東北シリーズ(3) 「秋田焼山」と「玉川温泉」 その2 阿部 賢一 2007年11月15日 |
6. いよいよ登山開始 後生掛温泉駐車場の近くに立派なトイレ小屋がある。準備体操で身体をほぐす。 午前9時45分、後生掛温泉本館建物の間を通り抜け、湯治棟の前を横切り、湯田又沢の流れを渡り、いよいよ焼山への登山開始。 鬱蒼としたブナとアオモリトドマツの混交林の中の緩やかな道を登る。森の精気を充分に吸い込み、高山植物や花に詳しい仲間が、それらを指差しながら説明してくれる。 次第にアオモリトドマツが多くなり、国見台(1,322M)の山腹をトラバースしながら急勾配を登ると突然視界が開ける。今日は雲ひとつない晴天に恵まれて視界は広くはるか遠くまで見渡せる。 眼下には、澄川地熱発電所からの白い蒸気が、風がないので真っ直ぐゆっくりと上昇しているのが見える。 小休止して北東北の山々を眺める。眼下は澄川地熱発電所 撮影:2007/7/26 国見台をトラバースして森林地帯を抜ける急登で汗を流した後、視界が一気に開けてその先は毛せん峠。ここまで二回ほど小休止して後生掛温泉から3.4KM。途中、数組の夫婦連れやグループともすれ違っで挨拶を交わした。 7. 毛せん峠で昼食 毛せん峠一帯はガンコウランやコケモモで覆われ、その名前の通り緑のカーペットが敷き詰められたような美しい景観。この辺は風の通り道。潅木が必死で山肌にへばりついて生きている。 午前11時40分、約2時間で毛せん峠に到着。峠中央部直下の登山道沿いのベンチに腰掛けて、360度の視界を楽しむ。 そして、三々五々車座になって昼食。自宅で握ってきた大きなお握りを二個。タイミングよく漬物の差し入れも受ける。昼食後、準備体操のつもりで、ガレ場を数分で登って毛せん峠の一番高いところに立ち、青空の下、東北の山々の眺望を楽しむ。 八幡平アスピーテ・ライン道路が森林の間に見え隠れする。アスピーテとは、聞きなれない言葉だが、盾を伏せた形の火山のことをいう。その一番高いところが八幡平頂上(1,613M)、山小屋が見える。その右や左に連なるのが東北の背骨をほぼ南北に走る奥羽山脈。北は青森県の夏泊半島に始まり、南の栃木県北部の那須岳まで約450kmにおよぶ日本最長の山脈である。八幡平一帯は那須火山帯の一部である。 その奥に岩手山(2,036M)の頂上部が頭を出している。右方向に目を転ずると、畚岳(モッコ岳、1,578M)、その山並みを辿ると烏帽子岳(乳頭山、1,478M、その麓は見えないが乳頭温泉郷)、その先が秋田駒ケ岳。残念ながら山陰に隠れて田沢湖は見えない。我が地元の鳥海山は快晴でも遠すぎて確認できない。しかし、焼山の右奥には、独峰、森吉山(1,454M)がブナ林に覆われて緩やかに山麓を拡げている。アスピーデ・トロイデの複式火山で、標高1,000m以上の外輪山数座に囲まれた単独峰の雄大な姿に圧倒される。 毛せん峠から焼山頂上と火口 奥は森吉山 撮影:2007/7/26 8. 毛せん峠から鬼ガ城へ 360度の眺望を楽しみながらの昼食を楽しんだ午後1時、毛せん峠を出発。潅木に覆われ、頂上への登山道も荒れている焼山頂上には登らず、トラバースしているゴツゴツした岩肌の階段状の急坂を降りきった窪地の焼山山荘(避難小屋のため無人)にて小休止。 小屋の奥は池となっており、まだ雪渓が残っていた。 小屋からすぐのゴツゴツした溶岩隆起の岩場の階段状の山道を今度は急登。この辺一帯は鬼ガ城という。溶岩の盛り上がりで造られた火口丘。登りきって下を覗くと数十メートルの断崖絶壁。焼山山荘裏に続く火口湖が細長く水を湛えている。 この辺は坂上田村麻呂に追われた蝦夷の武将、登鬼盛が立てこもった場所だという伝説がある。 9. 鬼ガ城から焼山火口 鬼ガ城の岩壁を下りきり、今度は少し登ると焼山の火口が右下に大きく広がる。硫黄の臭気も強い。真っ白な火口の一部が硫黄で黄色くなっており、蒸気やガスが数ヶ所から噴出している。そのシューという噴気の音が静寂な中で不気味に響く。丁度十年前の夏、小規模な噴火と火山性地震が発生している。 焼山噴火口 十年前の噴火の余韻が残っている。 撮影:2007/7/26 火口を覗き込みながら火口壁上端部へとガレ場の道を登りきると、そこが真っ白な砂礫の名残峠、反対側の火口外壁も急斜面で植物の生えない粗い白い砂礫で荒涼とした山肌が見下ろせる。 その山肌の下には森林地帯が広がり、はるか下の森の中に玉川温泉の屋根群が見える。そして、深く切れ込んだ谷は玉川ダムで出来た宝仙湖に注ぐ渋黒沢。対岸を縫うように今朝バスで通ってきた国道341号線が眺められる。その急傾斜の森林の上はなだらかな雄大な山麓が拡がる森吉山の雄姿。 (つづく) |