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731部隊ドキュメンタリー

第二次世界大戦と大日本帝国の中国侵略

■本編−3:731部隊の実態
−何が行われていたか

 
UNIT 731 Documentary Japanese Invasion of China
  Second Sino-Japanese War 1937-45

 
Boston Republic Documentary Feb 25, 2015

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 編翻訳
September 30, 2017 独立系メディア E-wave Tokyo

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■本編−3: 731部隊の実態−何が行われていたか
 32.<監獄の床に座る囚人達> 〜 46.<マルタの配置図>


32.<監獄の床に座る囚人達>
 ここは施設の中でも最も秘密とされていた部分である。


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33.<数本の薬の瓶>
 731部隊は大勢の科学者、医学研究者達が集められていた。彼らは、この施設を人体実験の場として活用して先進的な研究施設は悪夢の場所と化したのだ。


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34.<毒ガス散布のような現場>
 ここでは、生物兵器の開発を進めるだけでなく、日本軍が通常兵器とともに生物兵器を敵に対して戦場でどのように使えば効率的かといった実践的な訓練も行われた。


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35.<ベルトのついた手術台>
 こうした事実について、地域の住民に対しては、「731部隊は無害な木材工場である」と嘘をつき安心させて人々を誤解させていた。

(Harris氏)「彼らは、奇妙なユーモアのセンスがあったのか、収容している実験材料の中国人たちを木材を意味する「マルタ」と呼んでいた。まさに、人を人とも思わず、殺し、焼却していた。」


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36.<線路> 37.<線路と施設の屏>.
 まさに、石井四郎の夢を実現するための生きた(実験)材料には事欠かなかったのだ。

(Harris氏)「仮に足りなくなれば、いくらでも補充が出来た。まちの路上から捕まえてくることができた。」

まさに、片道切符の列車に乗せて次々と実験材料を731部隊に補充することが出来たのだ。施設内で強制的に働かされていた中国人の証言によると、(証言者:FANG ZHENG-YU-Chinese Slave Laborer at Unit 731)

(中国人証言)「列車は8両で到着すると日本兵がドアを開けて、筵のようなものを着せられ金属のロープでつながれた人々を下ろしていた。最初は、何だかわからなかったが、その隙間から腕が出たり頭が動いたり、血が流れたりしているのを見て、日本兵が「マルタ」といっているのは人間であることがわかった。」


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38.<ピンファン駅と線路>


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39.<男性囚人>
 ここに運ばれた囚人たちの運命は、施設に入った瞬間に定められてしまった。誰一人生き残ることは出来なかった。


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40.<篠塚氏> YOSHIO SHINOZUKA (Unit 731 Medical Researcher) 
  731部隊所属の日本人医学研究者の証言。

(篠塚氏)「細菌の効力を確認するため、ワクチンを打たないで細菌を投与した場合、何人が生存可能かを調べる実験を行った。また、別の囚人には、細菌を注射し、しばらく待って抗体がどのように反応するかを観察する実験を行った。最初に、やはり、ワクチンをしなかった人が死んだ。それで私たちは彼らを解剖した。」

 研究者たちにとって、人体が有害な菌にどう抵抗するかを調べるうえで最善の方法は、ほとんど麻酔もせずに生体解剖することであり、またとない研究材料だった。

(篠塚氏)「私は、特別チームのメンバーの一人から、彼らを解剖台に運ぶ前に、体を裸にしてデッキブラシで洗うように指示された。あるチームが体を洗おうとしたとき、その人がナイフをもって聴診器をあてて心臓の鼓動を聞いているのをみて震え上がったのを覚えている。彼が聴診器を耳から外すやいなや、体にナイフを突き刺したのだ。医者は言った。このタイミングこそが最も重要であり、そうしないと、血が飛び散って周りにいる者が感染してしまうことになる、と。」


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41.<手書きの人体解剖図>
 彼らは、病原菌に感染させられて生体解剖されるだけでなく、その他さまざまな驚くような実験にも供された。石井とそのスタッフは、自然に気まぐれ的に思いついたような50種類もの致命的な人体実験を行い、内臓や組織の反応を調べたのだ。


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42.<破壊された建物外観>
 Zing Cheng Ming: Vice Curator, Unit 731 Crime Evidence Museum, Ping Fan, Manchuria 
 満州、ピンファンの731部隊による犯罪証拠博物館の副館長 ジン・チェン・ミン氏

(Zing氏)「この建物は、1973年に建てられた731部隊の実験棟の跡です。様々な実験が行われていた。冷凍機の基礎部分や観察用窓なども残っている。」


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43.<囚人>
(Harris氏)「彼らは冷凍庫も使ってたが、満州は冬には華氏40度から50度にもなるような非常に寒冷な地域なので、中国人囚人の身体の様々な部位を外気に曝して、どのように身体が凍傷になっていくかまさに脱水していくかを観察していた。これは、敵に対する作戦のためだけでなく、日本軍の兵士が凍傷になるのをどうすれば効率的に防げるかという研究でもあった。」


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44.<縛られている身体・腕の写真>


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45.(マルタの配置図:安達特設実験場における「丸太」とその配置)
 ある実験は、もっと乱暴なものだった。日本兵が前線において榴散弾で受ける多様な怪我に対する最善の治療法をさぐるため、中国人の囚人達を直接、榴散弾に被弾させる実験を行っていた。
  囚人達を固定した板に何の防御もない状態で縛りつけ、中心に設置した爆弾から一定の距離を置いて配置して実験したのだ。爆破後は多くの囚人達は死後、検死され研究に用いられた。

(Harris氏)「こうした実験は通常4〜6週間も続いた。そして、最終的に犠牲となったのだ。この実験では、男はもちろん、女や子供も実験の餌食となったことがもっとも憎むべきことだ。」

 死体は、3000マイルも遠く離れたナチが支配したヨーロッパと同じように、火葬炉に放り込まれ、処分された。


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46.(マルタの配置図:安達特設実験場における「丸太」とその配置)

 731部隊爆撃機パイロットであった松本ショウイチの証言
(松本氏)「死体を焼却するための焼却炉には、常に2000から3000本もの木材が準備されていた。2つの焼却炉があり、常に死体を燃やしていた。私は、彼らは研究のために死んだのだと思った。」
 ナチの死の収容所における行為が彼らにとって崇高なものであったように、731部隊に係わった献身的な日本人にとってもこうした行為は崇高なものと考えられていた。

(Harris氏)「天皇に仕え、国に仕えることが彼らにとってすべてであり、実験に供されて死んでいく人々のことは、彼らにとって何の意味もなかった。」


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