第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6 A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune 初夏のアマルフィ海岸を行く 9日目 カーヴァのみどころ(教会・修道院)2 青山貞一・池田こみち 2013年6月14日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー> アマルフィの位置 カーヴァの紋章 イタリア国旗 ◆サンピエトロ San Pietro 使徒ペテロとパウロに捧げられた教会は、一般的にサン・ピエトロ・シエーピと呼ばれ、その歴史は11世紀にまでさかのぼりますが、この地域で最も保存状態がよく重要な教会の一つです。 18世紀に再建され、1710年に創られた直線的なファサードの玄関口をもち、両脇はフレスコ画で彩られています。 内部は、格子天井が素晴らしく、その歴史は18世紀に遡ります。また、礼拝堂の右側の主祭壇には1689年に彫刻家ジャコモ・コロンボによって作られた十字架が掛けられています。 サイドチャペル(副礼拝堂)では、様々な彫刻や紋章などを見ることが出来ます。聖具室には、16世紀のモニカの彫刻家カーヴァ・アンブローズによる作品である大理石に細かい細工で彫られた浅浮き彫りが保存されています。この美術館の二階部分には、非常に価値の高い作品が保管・展示されています。
聖フランシス会の教会、聖フランシスと聖アントニー Franciscan sanctuary of St. Francis and St. Anthony 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ◆サンタ・マリア デル クアドゥルヴィアーレ Santa Maria del Quadruviale 交差点の近くにあるのでこの名前が付けられました。 16世紀のファサードと6階建ての鐘楼の屋根はマジョルカ焼きで覆われ、彫刻的などで飾られています。これはルネッサンス様式の建築の特徴を示すものであり、「ラ・カヴァ」と呼ばれ、著名ですぐれた建築家たちの作品です。 1383年頃に建てられ、それは16世紀後半当時の様式を採用していました。その隣には、集会場とひとつになった小礼拝堂があり、木製の小部屋と微細に描かれた天井がありました。 下のスペースには、大切なヴィア・マッジョーレのすぐ近くを通過するので、巡礼者のためのホスピスがありました。今日でも、山々を越えて、サレルノからここに到達するために、その古代の道路を辿ってくることができます。 サンタ・マリア デル クアドゥルヴィアーレ Santa Maria del Quadruviale 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ◆サンタ・マリア オルモの大聖堂 Basilica of Santa Maria Olmo 聖母マリアへの崇拝や信仰の起源は11世紀に遡ります。その当時、羊飼いたちに発見されたとき、彼は、葉が一杯ついたニレの木の枝を絡ませた囲いの中でした。(そのために、マドンナ・デル・オルモというタイトルが付いています) 聖チェザーレオやヴェtラント教会に運ばれたものの中には、奇跡的に発見されたこの場所に戻ったものもありました。 伝説によれば、これが、歴史的には、太古の時代からマドンナの礼拝堂としての特徴を示しています。 この遺跡にとっての最初の歴史的な日付は15世紀にまで遡ります。当時、パオラの聖フランシスが遺跡の土台となる石1482年に設置しました。 この遺跡では19世紀まで、最小の人数で司祭らが職務を遂行していました。今日では、聖フィリップ・ブラックスの礼拝堂の教父たちがそれを受け継いでいます。 1672年からマドンナ・オルモは、市の守護神であることを宣言しました。そして、それによって自治体の決議が1672年5月21日であることが分かりました。当時、市長フルビオ・アディノルフィの提案により、市政府は「サンタ・マリア・オルモの称号の下に、神の栄光の聖母のための特別な守護」を得ることを決議したのです。そして、1931年以来、遺跡(サンクチュアリ)は、小さな大聖堂であることを宣言しました。 サンタ・マリア オルモの大聖堂 Basilica of Santa Maria Olmo 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 教会には小さな脇礼拝堂と身廊(礼拝堂)があります。天井には、パオラの聖フランシスの生涯の様々なシーンが彫刻で描かれ、色づけされています。(描いたのは17世紀の画家、M.ラゴリアです。) 中央祭壇の上のドームにはフレスコ画が描かれています。また、注目すべきは、聖具室の左側奥にある祭壇の彫像です。(1594年−ナッチェリーノの作品です) 祭壇は、今日では、聖心に捧げられ、一時は、マドンナの絵画が今日のこの祭壇への崇敬を集めていました。1924年にオープンし、聖フランシス・ジェラス、聖アルフェリウス、パオラの聖フランシス、黒人の聖フィリップの四人の彫像がニレのブロンズ製の葉っぱを敷き詰めたところに飾られ、そこには、聖母マリアの絵が埋め込まれていました。注目すべきは、ライオンと雄牛の福音主義のシンボルに乗ったA. バルジコの大理石の説教壇です。 二つ目の祭壇の右側には、神の使いである Giulio Castelli神父の遺体が安置されています。そこでは、1896年にカーヴァ・デ・ティラニにおける黒人の聖フィリップ礼拝堂の参拝席で福を授けている過程で発見されています。 大聖堂の隣には16世紀(1582年)に創られた回廊をもつ小さな修道院が発見されました。そこでは、年間を通じてコンサートが開かれています。 現在では、建物は複合的な役割を持っています。すなわち、神父様たちの小さな礼拝堂をもつ家であり、や若者の活動の場でもあり、教区の人々にとっての家であり、また図書室でもあります。9月8日には祭りがあり、1581年以来、マリアのキリスト降誕の日を祝います。 1931年7月、教皇ピウス11世が教会を訪れ、この教会を小さな大聖堂と格付けしました。 つづく |