第三回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune <3>移動手段と宿泊施設 青山貞一・池田こみち Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda Environmental Research Institute, Tokyo 掲載月日:2013年6月14日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー> アマルフィ海岸の位置 アマルフィの紋章 イタリア国旗 <日本からの移動ルートと手段> イタリアへの往復は、行きが羽田→ヒースロー(英国)→ローマ(イタリア)、帰りがローマ→ヒースロー→成田の英国航空です。円高最終段階で購入した安売りチケット(往復で5万円台、ただし燃料サーチャージは別)ですが、Fixタイプではなく帰国便は現地で変更が可能なものでした。 現地での移動は原則すべてローマで借りた小型自動車(フィアット・パンダ)、それも製造年月日が古い車ですが、マニュアル五速切り替えの小型車なので燃費は非常によかったです。 私達が海外調査で使うレンタカーは、いつも世界どこでも最安値で借りれるレンタカー会社の、さらに一番小型車なので1日単位の借料は、3000円台ものを借りています。実際には各種保険を付けるので別途料金が発生しますが、10日間借りても全体で4万円台です。 イタリアの州 今回の調査対象は、●のカンパニア(Campania)州 <ローマから南イタリアへの移動ルートと手段> 行きは、ローマでレンタカーを借りたあと、そのまま高速道路でローマ→ナポリ→ポンペイを3時間ほどで走りました。ちょうど、夕方のラッシュと重なりましたが、有料の高速部分は法定速度が時速110kmなので、ラッシュにぶつからなければ2時間半のみちのりとなります。途中、ナポリ周辺は高速道路の直線化工事などがあちこちで行われており、走りにくい状況となっていました。 帰りは、サレルノに近いアマルフィ海岸最東端のヴィエトリ・スル・マーレを深夜2時に経ち、ポンペイ→ナポリ→ローマと来た高速の逆をは走りました。こちらは行きより30kmほど距離がありますが、3時間弱でローマに到着しました。 高速道路料金は、日本の国土幹線自動車道並の高速道路がローマとナポリ間にあり片道で13.4ユーロ+2ユーロ(2000円程度)です。ソレント半島、アマルフィ海岸には一切有料道路はありません。 <ソレント半島・アマルフィ海岸内の移動手段> ソレント半島、アマルフィ海岸内の移動は、徒歩、船舶以外の移動は、すべて小型乗用車です。なにしろアマルフィ海岸の道路は、9世紀頃に出来、その後アマルフィ公国時代に整備された道路、それも超複雑な海岸線に沿って造られた道路が現在でもこの地域の道路の幹線であり、基本となっています。 もちろん、自治体間をめぐる定期路線バス、コミュニティバスもたくさんありますが、よくて1時間の1本程度です。そのため、駐車が困難な地域の調査、徒歩による調査の場合にはつなぎにバスをを利用しました。バス料金は40分内の乗り継ぎ自由で200円程度です。 日本の三陸海岸のような超立派な高速道路、高規格道路、一般道路はありません。半島、海岸内は、道幅が極端に狭く1車線そこそこの道路も多くあります。このような道路には信号が着いて相互通行となっています(笑い)。 <海の移動経路と手段> 今回、はじめて小型船舶を使っての海上からの現地調査も行いました。何しろアマルフィ海岸諸国は、かつての海洋都市国家であり、地中海漁業の一大拠点なので、船はありとあらゆる種類がそろっていますが、いわゆる海上タクシーは高額、他方、定期航路便はルートが限られており、数時間に1便しかありません。 今回の調査では、アマルフィ海岸のちょうど中央に位置するフローレ(人口約900人の崖上の小さな自治体)のはずれにあるマリーナ・デ・プライアという漁港からソレント半島の離島、カプリ島に行く小型観光船泊に便乗しました。 便乗と言っても、乗船者は船長以外は全部で12人です。 基本航路は、フローレ→カプリを何と8時間かけ回るもので、そのうち4時間は離島のカプリ島での自由行動となっています。行き、帰りは船からソレント半島、アマルフィ海岸が眺望できプライアーノ、ポジターノ、カントーネ、マッサルブレンセなどの沿岸基礎自治体の地形、景勝地、遺跡、自然環境保全地域さらに歴史的建造物であるトーレ(要塞、見張り台)を海からみることができます。 <宿泊地と宿泊形態と経営> 宿泊は大部分がリーズナブルなB&Bかアグリツーリズモの宿舎(農家が経営するB&B)を選びました。これはいつものことです。一度もいわゆるホテルには宿泊したことはありません。ただし、これらのB&Bやアグリツーリズモの農村宿泊でも、夏期のハイシーズンともなると、前2回の調査時期の2~3月に比べ2倍以上の料金になります。 今回の宿泊地は、以下の通りです。 ポインペイのアグリツーリズモB&B(営農者経営) 1泊 マッサ・ルブレンセのB&B(リゾート会社経営) 2泊 フローレのB&B(個人経営) 2泊 セント・アガタのアグリツーリズモB&B(営農者経営)1泊 ラヴェッロのB&B(個人経営) 2泊 ヴィエトリ・スル・マーレのB&B(個人経営) 2泊 個人経営、営農経営、リゾート会社ともに、それぞれさまざまな工夫を凝らしているところが、今回の調査との関連でも興味深かったです。 たとえば、ソレント半島突端のマッサ・ルブレンセでは、予約したナポリ湾の崖上にあるB&Bは料金は非常に廉価でしたが、崖下の海辺にある一大リゾート施設と一体化されていました。 崖の上のB&Bはギリシャ風の真っ白の大きなテラスが付いた4階の建物の最上階 撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-4 崖上のB&Bは崖下の海辺にある一大リゾート施設と一体化されていた 撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-4 定時あるいはオンデマンドで崖上と崖下をシャトルが行き来するなど思いも寄らぬ一幕もありました。B&Bなので朝食がついていますが、豪華な海辺のリゾートホテルと同一の朝食です。 B&Bの豪華?な朝食 撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-5 またほぼすべてのリゾート施設がB&B料金で使えました。夕食も10ユーロから最大25ユーロでコース料理が味わえました。これにはびっくりでした。 フローレのB&Bのご主人と一緒に 撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-7 またアグリツーリズモのB&Bは、いずれも自然の地形や農園の一角をホテルとしたもので、ナポリ湾、地中海のティレニア海を崖上から眺望できる立地にありました。たとえばソレント半島中央の最高標高にあるセント・アガタのアグリツーリズモのB&Bは、地域コミュニティの結婚式の披露宴会場として、また、自治会行事などでしょっちゅう使われており、かなりの雇用機会を作っていました。 ポンペイのアグリツーリズムのB&Bにて 撮影:池田こみち Nikon Coolpox S10 2013-6-4 いずれのB&Bやホテルも家族経営あるいは小規模農家のものであり、本格的リゾートシーズン前の宿泊であったこともあり、ご主人にご家族、地域社会、経営、歴史・文化、ゴミ管理、上下水管理などについてヒヤリングすることができました。 サント・アガタのグリーンツーリズムのB&Bの朝食 撮影:青山貞一 Nikon Coolpox S8 2013-6-9 <物価> 物価は、日本の円安と初夏という時期の2つの要因で、2011年3月の第二次調査に比べ、かなり高くなっていました。ホテル、B&Bの宿泊は単純に円安の関係で30%以上高くなり、6月という初夏シーズンでやはり20%程度高くなっています。 また駐車料金などの公共料金も、オフシーズンと春ー夏ー秋のハイシーズンでは異なり、約2倍となっていました。さらにレストランなどは、やはり世界第一級の観光地ということもあり、日本の同じクラスのレストランと比べほぼ同じと感じました。ただし、公共バスは季節を問わず同一額のはずで、通常、40分以内であれば1.6ユーロでいくら乗り換えてもOKとなっています。 駐車問題はかなり厳密であり、公共駐車場がある場合、そこに駐めずに違法駐車などをすると40ユーロプラス実際の料金を警察で支払わされることになります。ポジターノに近い道路などで、違法駐車だらけとなっているので、自分もなどと違法駐車すると後で大変なことになるので要注意です。 一方、同じ水のペットボトルや清涼飲料水ボトル(500ml)でも、地元の小さな雑貨屋で買う場合とソレントやアマルフィなどの繁華街で買う場合では、2-3倍違いがあります。 さらに同じメーカーのジェラードやアイスでも、トラモンティの小さな店とカプリ島の観光地では、2-3倍も違うなど、世界的な観光地ならではの問題もあります。 しかし、長期滞在などに対応したアパートやホテルのように、キッチンと食器がついていて自炊が可能なときには、近くの雑貨屋で野菜、肉、米、パン、バター、塩などを買うのが一番です。信じられないほど食材は低価格です。 <調査期間中の天候> 到着日(2013年6月3日)の夕方にのみ降雨がありましたが、他はすべて快晴でした。気温は日中は22~25度、早朝や夜は15~17度です。 「世界一美しい海岸線」(世界一世界遺産が多いイタリアのなかでも最も欧州人の人気が高い世界遺産)は、過去2回の調査(冬期、春期)と異なり、太陽を求めて集まった欧州はじめ世界各国からの人々でにぎわっていました。 つづく |