第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6 A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune 初夏のアマルフィ海岸を行く 7日目 アマルフィ公国とはA 青山貞一・池田こみち 2013年6月14日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー> アマルフィ海岸の位置 アマルフィの紋章 イタリア国旗 ◆アマルフィ公国の歴史(2) |
しかし11世紀に入ると、政権は次第に不安定になりサレルノ公国からの介入を許すようになります。その後、1073年、ノルマン人のロベルト・イル・グイスカルドによってアマルフィが征服されると、アマルフィ公国の地位もグイスカルドの息子に奪われ、アマフィ公国は独立を失うこととなります。 1096年にアマルフィ内で反乱が起きますが、1101年に鎮圧されます。1130年に再度反乱が起きますが、逆に1131年、アマルフィ公国はルッジェーロ2世によってシチリア王国に併合されることになります。 とはいえアマルフィは11世紀半ば以降、地中海諸国で最初の海上法令を制定したことにより、ピサやジェノバなどとティレニア海における海上交易に係わる利益の確保について協約を結ぶことができ、収益性の高い貿易を享受することになります。 しかしながら、アマルフィは海上交易に関連しアマルフィ商人を保護する軍事力をもっていなかったことから、12世紀に入ってからピサやジェノバなどからの激しい攻撃を受けるようになります。 そのなかでピサの海軍はアマルフィとの海岸諸都市との協約を破棄し、アマルフィ諸都市を攻撃し、最終的にアマルフィは、その政治的独立性を喪失することになりました。 アマルフィは、ランゴバルト系のサレルノ公国の脅威にさらされるようになり、それを回避する目的で11世紀後半からノルマン人の保護と統治を受け入れるようになりますが、ピサからの攻撃による影響もあり、アマルフィは自立的な都市国家としての公国、共和国を維持することが困難となって行きます。 こうしてアマルフィはノルマン朝のシチリア王国に併合されることになり、1135年および1137年の2度に渡るピサからの攻撃を受けた後、都市国家としてのアマルフィ公国の威信や政治的独立性を急速に衰退させてゆきます。かくして200年に及び強大な繁栄を築いたアマルフィは、その経済力と海軍力を衰退化させて行ったのです。 下の地図は、11世紀から13世紀半ばの東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代の南イタリア地域を示しています。薄紫色の地域が東ローマ帝国の領土ないし影響下の土地を意味していますが、ナポリやアマルフィはその外側に位置していることが分かります。一方、サレルノは東ローマ帝国の領土内にあることも分かります。 11世紀以降の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代の南イタリア。 出典:Wikipedia 下の地図は1494年のイタリアです。 南イタリアにはナポリ王国とシチリア王国ができていることが分かります。 15世紀後半から19世紀までナポリ王国とシチリア王国が南イタリアを支配し、サレルノがナポリ王国とシチリア王国の両方の首都となっています。 下のイタリア地図はノルマン朝のシチリア王国にアマルフィが併合されたことを示しています。 15世紀終わり(1494年)のイタリア。アマルフィはナポリ王国に包摂されていた 出典:Wikipedia Italiano 一方、以下の地図は、19世紀初頭のフランス帝国のナポレオン侵略後のイタリア(1812年)です。 濃い緑色の部分はフランス帝国の領土、図中央上部の緑色の部分はチザルピーナ共和国を1805年に改称し1814年まで継続したイタリア王国である。このイタリア王国は1861年成立のイタリア王国とは無関係です。 ナポリ王国(シアン色)の名も見えますが、支配者はナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトを引き継いだナポレオンの義弟ジョアシャン・ミュラでした。彼は1815年まで在位しています。 19世紀初頭のナポレオン侵略後のイタリア(1812年) 出典:Wikipedia Italiano ◆国旗にみるアマルフィの歴史 とはいえ、中世におけるアマルフィ公国やアマルフィ共和国は、海洋都市国家として強盛を誇り、海洋法の原型を作り上げることで現代のイタリア共和国の海事関係の一大基礎をつくりあげたことは間違いないところです。 現在のイタリア国旗には、アマルフィ同様、海洋国家として発展したヴェネツィア(ヴェネツィア共和国、左上の獅子)、ジェノヴァ(ジェノヴァ共和国、右上の十字)、ピサ(ピサ共和国、右下の十字)とともに、アマルフィの紋章(濃紺の八角十字)が取り入れられていることからもアマルフィが海上交易とその保護に果たした役割がよく分かる。 イタリア海軍旗 商船旗(市民用海上旗) アマルフィの紋章(濃紺の八角十字) 下はアマルフィの町中にあった絵図。 アマルフィの紋章(濃紺の八角十字)があります。 アマルフィの町中にあった絵図 アマルフィの紋章(濃紺の八角十字)があります 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-5-8 また南イタリアの中世以降の歴史を見るとき、アマルフィはキリスト教勢力とサラセン(イスラム)勢力との確執、闘いの歴史の上できわめて重要な位置を占めていたことが分かります。 以下は、旗に見たアマルフィ公国とサラセン(イスラム)勢力と闘ったマルタ騎士団の歴史である。
つづく |