この8月7日から9日、大学の青山研究室による恒例に北軽井沢合宿を行った。行ってみて改めて分かったのだが、もし、軽井沢−北軽井沢→万座鹿沢−草津にその昔あった草軽鉄道があったらどんなに、地域にとって、別荘族にとって、そして観光客にとって有意義なものであるかを再認識した。 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」より転載 今回は、ほぼ上記の地図にある草軽鉄道の駅があった地域を車で、またトレッキングしてみた。 草軽鉄道の歴史によれば、 1959年(昭和34年)8月14日 台風のため、吾妻川橋梁が流失。嬬恋〜上州三原間が不通となり代行バス運行。その後、復旧されることなく廃止されてしまい、 1960年(昭和35年)4月25日 新軽井沢〜上州三原間が廃止され、 1962年(昭和37年)2月1日 上州三原〜草津温泉間が廃止され全線廃止されている。 だが、現在、日本社会がやっと成熟期に入り、また自然と共生する環境重視社会が到来、さらにガソリン価格が暴騰している今日、業者主導でない真にリゾートを満喫するには、草軽鉄道の復興がきわめて友好であると思える。 主要駅の近くにパークアンドライド用の駐車、駐輪場があれば、ひとびとは気楽にタオル一本で草津や万座・鹿沢に出かけ、温泉を存分に楽しむことが出来る。今まで車でないとまったくどうしようもなかった当該地域に東京から長野新幹線あるいはJR吾妻線で容易にアクセスできようになる。ルートは、軽井沢→旧軽井沢→三笠→白糸の滝→浅間牧場、→北軽井沢→吾妻→嬬恋→万座鹿沢口→草津前口→谷所→草津温泉、とすればかつての距離である55kmが40km程度ですむ。 列車も軌道方式ではなく、地上10〜50mの高さに、50人乗りのゴンドラをロープウェー方式で渡す方式とする。そのゴンドラを約100m間隔で吊し、軽井沢→浅間高原→吾妻渓谷→草津白根(その逆も)の一大パノラマ景観、紅葉をゴンドラから存分に満喫できれば、まさに「草軽電鉄の創業は、スイスの登山電車のように高原の避暑地へ、又、草津温泉へと旅客を導く」という初志が一段と高いレベルで実現できるのではないか。 たとえば、北海道の函館山のロープウェーは、初代は30人乗り、2代目が44人乗り、3代目からは125人乗りとなり、時代と共に大型化している。トップスピードも秒速7m、海抜334mの山頂まで約3分で到着している。もちろん、ロープウェーではなくケーブルカー方式でも良い。 出典:函館山ロープウェー公式Webより なお、ロープウェー及びゴンドラの形式について以下を参照して欲しい。 http://www.ansaku.co.jp/rw.htm http://www.shinki-tour.com/photos/上高地%5C立山ロープウェイ1(7月)_A702.jpg このロープウェーを上記に用いた場合、20分で約13km、40分で約26km、1時間で39kmとなり、ほぼ1時間で軽井沢から草津、草津から軽井沢にロープウェーで行けることになり、現状の路線バスより遙かに時間が短縮される。下に例を示すように、要所の間を別のロープウェーで結び、乗り換えを容易にすれば、建設、維持管理、安全管理、利用も楽となるだろう! (長野新幹線、 しなの鉄道連絡) 軽井沢 → 北軽井沢 北軽井沢 → 万座鹿沢口 万座鹿沢口 → 草津温泉 (JR吾妻線連絡) もちろん、下の写真にあるような雄大な浅間山系、白根山系さらに吾妻渓谷の自然景観が堪能できる。 浅間山系 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10、2008年5月 白根山系 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10、2008年5月 ぜひとも、この提案を実現させたい! 以下は、草軽電気鉄道の今日的存在意義@の論考。 この春のゴールデンウィークに北軽井沢に1週間ほどでかけた。浅間牧場入り口の軽食の店の外の壁に、「草軽鉄道」の新聞記事やモノクロームの古い写真が沢山が張ってあった。 いうまでもなく、「草軽鉄道」は長野県の軽井沢町と群馬県の草津町を結んでいた鉄道である。記事や写真の多くは、「草軽鉄道」が昭和37年に廃業することに関連したものであり、北軽井沢駅を写したものであった。 草軽鉄道の草津温泉駅跡 現在、軽井沢から草津までは、西武系の路線バスなど、バス以外の公共機関はない。まだ現役の吾妻線のたとえば万座鹿沢口駅からは、草津行きそして北軽井沢経由で軽井沢に行くバスが1時間に1、2本ある程度だ。
しかし、よく考えてみれば、今でこそこの種の鉄道が軽井沢から北軽井沢を経由し草津まであったら、別荘族だけでなく、草津の温泉めぐりをするひと、スキーを楽しむ人、本物の自然景観を楽しみたい人に、どんなにありがたがれるのではないか、など勝手に考えてしまう。 確かに保養所や別荘から上信越高原国立公園や浅間山系、白根山系などには乗用車がないとどうしようもないが、もし「草軽鉄道」があれば、いろいろな楽しみ方ができるだろう。 その意味で、21世紀、地球温暖化時代を迎えた今でこそ、この種の公共輸送機関の出番ではないだろうか? 草軽交通のWebによれば、「草軽電鉄の創業は、スイスの登山電車のように高原の避暑地へ、又、草津温泉へと旅客を導くというアイデアに端を発し、さまざまな努力によって会社設立へこぎつけた。明治45年2月草津軽便鉄道株式会社発起人一同による「創立の趣旨」の中には次のように書かれている。「本鉄道は、一面草津その他沿線の旅客を目的とするとともに、草津方面に出入する物資及び長野原・嬬恋・吾妻牧場付近より積み出す木材・薪炭・その他貨物輸送のため」「この地方の発展に資するところあらんとする。」とある。 さらに、大正14年草軽電気鉄道と社名を変更。大正15年9月、軽井沢〜草津間、全長55.5kmが全線開通し、『四千万尺高原の遊覧列車』をキャッチフレーズに草軽電鉄は活気にあふれた時代を迎えた。多くの文士や著名人が軽井沢、草津を訪れた。湯治客や避暑客を乗せて走った草軽の電車は、戦時下、戦地へ赴く出征兵士達を運ぶようになった。とある。まさに日本近代の歴史がここに見てとれる。 昭和37年廃線の後に 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」に路線図があるので以下に示す。 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」より転載 当初から高原の避暑地や草津温泉に旅客を導くという目的があったわけだ。 以下は最新のデジタル技術で再生修復してみた「草軽鉄道」モノクローム写真。 往年の「草軽鉄道」 往年の「草軽鉄道」 |