以下は、2008年3月22日、長野県公共事業評価監視委員会の一委員として長野県に提出した意見である。
1.公共事業評価監視委員会の機能と役割
長野県は総務省の財政指標(実質公債比率)によれば、ここ数年都、全国道府県でワースト1〜3と危機的な状態にある。
世代間での持続性を考えれば、税金や起債により土建業を「養う」異常な状態から、一刻も早く脱却しなければならない。
また環境アセスメントに象徴される行政手続は、米国のように事業の必要性評価に踏み込むものでなく、明示的な代替案の分析もなく、実効性ある住民参加や合意形成もない。
一度決めた事業を実施する「機能不全」に陥っている状態からも脱却しなければならない。
公共事業評価監視委員会は第三者委員会として、県民、国民になり代わり、以下に示す<必要性>、<妥当性>、<正当性>の3つの観点から、公共事業を評価・監視し、過程を含め結果を県民、納税者に公開することを役割としている。
2.公共事業評価に係わる3つの視点
2−1 必要性
今日ほど不要あるいは不急な公共事業の実施が批判される時代はない。公共工事自体を自己目的化し進められる公共事業を厳しく監視する必要がある。
その意味で、事業が地域住民だけでなく、国民、納税者、専門家からみて社会経済的に必要性があるか、財政的裏付けがあるか、さらに事業実施の費用対効果(B/C)が1を超す見込みがあるかなどを可能な限り客観的、定量的な社会経済指標を用い検証、評価しなければならない。
2−2 妥当性
次は妥当性である。仮に必要性が認められる場合にあっても、環境影響、土地利用の適正はじめ科学技術的な妥当性の有無が重要となる。
たとえば地質学、土質学、防災工学、生物学、生態学、環境科学などの観点から浅川水系をダム予定地及び集水域全体の調査、予測を行い検討、評価すべきである。
妥当性には基本高水に関する議論、立地対象地域の地質、活断層や希少動植物の存在の有無、自然景観への影響なども含まれる。
2−3 正当性
最後は事業の計画・実施に係わる適正手続など正当性の監視である。関連情報がどれだけ時機を得て隠し立てすることなく公開されているか、地域住民だけでなく広義の関係者の意見や意向が把握され、合意形成がなされているか、その正当性を評価・監視すべきである。
国庫補助、交付金などを受ける公共事業にあっては国民、納税者に対しも十分に説明責任を果たせるものでなければならない。
3.浅川水系の河川整備方針、河川整備計画、穴あきダムの課題
まず、浅川水系の治水の基本方針が極めて不明確なことがある。浅川水系の治水は信濃川本流の治水のために存在していると言っても過言でない。
すなわち、洪水時に信濃川に流れ込まないように浅川をせき止めるためのものであると言える。周知のように、ダム予定地と信濃川の合流地点までには多数の支流がある。
今回の「穴あきダム」は浅川水系の集水域の1/4程度の面積を受け持つにすぎない。「穴あきダム」事業の元となる河川整備計画が、果たして合流地点までに多数ある支流を含め、どれだけ治水機能、治水効果を果たすのか分からない。
浅川で起きた過去の洪水は信濃川との合流地点で起きるものである。したgって仮に「穴あきダム」が事業化され稼働しても、浅川ダム下流部から信濃川に合流するまでの間に流れ込む水は依然として合流部で溢れる可能性がある。
不明確かつ杜撰な国の河川整備基本方針を元に浅川水系の河川整備計画が策定された結果、極めて費用対効果に乏しい不要な公共工事が、委員会から離れ強引に押し進めれていると言っても過言ではないだろう。
次は技術面での妥当性の欠如である。とくに重要なものとして浅川ダム建設の前提となる基本高水の課題がある。
それは国の河川整備基本方針で決定されている治水安全度(1/100)における基本高水、450m3/sが過大であることにある。治水安全度1/100における適切な基本高水が270m3/s〜280m3/sであると仮定すれば、そもそも「穴あきダム」建設は不要となる。
河川改修のみで外水の災害対策が取れるとの専門家の意見もある。ある専門家は浅川流域協議会、高水協議会、公聴会などでことあるたびに県にこれを主張しているが、県は治水安全度1/100、基本高水450m3/sは与件であるとして無視している。
その専門家によれば。@治水安全度1/100(平均して100年に一度発生する洪水)における基本高水450m3/sは誤った計算により過大に決定されており、その治水安全度は1/1000以下であること、Aしかもその基本高水はなんら実証、検証されていないこと、B他方、治水安全度1/100における基本高水は270m3/s〜280m3/sである結果が得られていること、C県土木部が基本高水450m3/sの検証に利用した雨量確率は1/1000以下であることなどを課題として指摘できる。
最後に正当性である。
長野県は平成15年、長野県治水・利水ダム等検討委員会の答申を尊重し、ダムによらない治水・利水対策を策定した上で、現行ダム事業を中止すると再評価案を決定した。
県はその後長野県公共事業評価監視委員会(当時)に同案を提示し、それを浅川ダムに関する県の対応方針とした。だが、長野県土木部は当時、敢えて国に正式に取り下げを行わなかったため、多目的ダム建設事業はゼロ要求のまま継続扱いとなっていた。
死んだふりといってよい。村井知事就任後の平成20年度から多目的ダムを治水ダム事業(=穴あきダム)とし、委員会以外の学識経験者にもちまわり審議を実施、河川整備計画を策定、国交省に許可申請をした。
同時に国庫補助事業を再開するよう国に要望した。ダム事業は中止していないにもかかわらず、委員会に「従来の浅川ダム事業は中止し、その後、穴あきダムを新規に河川整備計画を策定し国に認可申請した」と伝え、諮問すらしなかった。
公共事業評価監視委員会では、委員から浅川水系事業について多くの疑義が出された。後半の委員会では多面的に議論がなされたが県は「審議事項」となっていないことを理由に説明責任を果たすことはなかった。
そして第3回目委員会以降の議論で、浅川ダム事業は行政手続から見て中止されておらず、委員会で審議すべきという議論が大きくなる。それに及んで県は委員に対し「継続扱いでありそれを再開した」と、中止ではなかったことを認めるに至った。
この時点では時間切れとなっていた。これは県が不誠実であったですむ話しではない。
おそらく県が浅川ダム問題を審議事項としなかった背景には、その昔一度決めた公共工事を強行するということに加え、国の浅川水系に関する河川基本方針が間違って決定され、それに基づいて「穴あきダム」建設に至った間違いが明らかになる、ということも推察することが出来る。
「脱ダム宣言」以降、日本のダム問題、果ては異常な公共事業問題が大きく問われている。そのなかで必要性、妥当性、正当性に乏しい浅川ダムが進められることは、わが国の公共政策、公共事業の歴史に大きな汚点を残すことになると考えられる。 |