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カナダ最東端探訪
北半球最東端・最古の都市
セントジョーンズ

St. Johns: Most Eastern and Old City
in The northern hemisphere

青山貞一 Teiichi Aoyama 
5 October 2008
無断転載禁

 ※本論考中の写真は一部を除き撮影は(C)青山貞一、Nikon CoolPix S10

 2006年9月上旬、環境政策の現地調査でカナダ最東部のカナダのセントジョーンズにでかけた。セントジョーンズは、以下の地図にあるようにノバスコシア州の北東部に位置するカナダで一番東にある州、ニューファンドランド・ラブラドール州の州都だ。

 下の地図の赤い部分がニューファンドランド・ラブラドール州だが、その一番東(右)にあるのが首都のセントジョーンズである。9月とはいえ、緯度はアラスカに近く夕方ともなると結構寒い。



 この現地調査では、成田→ニューヨーク→ハリファックス→一泊→セントジョーンズと二日がかりでセントジョーンズに到着した。名にしろなにしろ遠い。東京をたって2日目、セントジョーンズで本題のゼロウエイスト政策のインタビューを行った。

 以下は調査の合間に訪問したセントジョーンズ滞在中に撮影したまちなみ、景観、名所である。ノバスコシア州のハリファックスを訪問する日本人はけっこういるが、最果ての町、北半球の最東端のまち、セントジョーンズではほとんど日本人を見ることはなかった。

 なお、カナダの国道1号線、トランス・カナダの起点は、このセント・ジョーンズある。その終点はバンクーバー島にある。


 


北半球で最果ての空港。セントジョーンズ空港

◆セントジョーンズの概要(出典は主にWikipedia)

 セントジョーンズは、ニューファンドランド・ラブラドール州(NFLと略称されている)の州都だ。そのセント・ジョンズ(英:St. John's)は人口9万9,512人。広域圏の人口は17万2,918人(2001年統計)。ニューファンドランド島の東南に突き出たアバロン半島の東端に位置する港町である。 このNFLのセントジョーンズは同じカナダのニューブランズウィック州のセント・ジョンと混同されがちだが別の都市である。

 すでに述べているように、セントジョーンズは北米で最も東にある都市だ。いわゆるアトランティック・カナダでは私たちがよく行く、ノバスコシア州のハリファックスに次ぐ2番目の規模をもっている。

 カナダの大都市の中での特徴として、セントジョーンズは最も日照時間が少なく(年1,497時間)、また最も霧が多い(年124日)。最も風が強く(平均24.3 km/h)、最も雪が多く(最大積雪記録・359cm)、さらに最も降水量が多い(年1,514mm)。

 気象面から見ると相当きびしそうだが、冬はカナダの他都市、たとえばハリファックスに比べてそう厳しくない。むしろ穏やかであるとさえいえる。理由は海洋性気候であることにあり、夏は涼しく冬は比較的厳しくない。ちなみにハリファックスに2月にでかけたことがあるが、連日マイナス20度の吹雪だった。

 セントジョーンズの経済、産業だが、かつては漁港として繁栄した。しかし、現在は水産業と海底油田・ガス田関連産業で成長を遂げている。今後は海洋産業のみならず、観光業などの発展が見込まれている。

 セントジョーンズの都市圏全体の人口は微減しているが、近郊自治体は人口が急成長している。人口の中には科学者や技術者の割合が多いことも特徴だ。だがNFL全体ではグランドバンクスでの乱獲からきたタラ激減や1990年代以来続く漁獲制限などにより漁民の生活が崩壊している。漁業中心の経済は沈滞しており、人口も減少しており、セントジョーンズの成長が州自体の成長にはつながっていないといえる。

セントジョーンズ市の基礎データ
 カナダ
 
ニューファンドランド・ラブラドール州
都市名 セント・ジョンズ
(英:City of St. John's)
創設日 1583年8月5日
緯度
経度
北緯 47度33分
西経 52度40分
標高 海抜 0 m
面積 446.04 km2
804.63 km2 (広域圏)
人口
 - 都市
 - 広域圏
2001年
99,512 人(国内42位)
172,918 人(国内19位)
時間帯 ニューファンドランド標準時(NST)
UTC-3:30
ニューファンドランド夏時間(NDT)
UTC-2:30
市外局番 +1-709
公式サイト www.stjohns.ca

 下はグーグルマップで示したセントジョーンズ市である。この地図はマウスで自由に動かせ、拡大や縮小も出来る。さらに通常の地図、衛星写真、地形図も表示可能である。ぜひ試して欲しい。



 上の地図で分かるようにセントジョーンズは、大西洋に面した入り江から地形的に見てほりこみ港の岸にできた町である。

 下の写真は、セントジョーンズ湾(ほりこみ港)の入り口の北部にあるシグナルヒルという小高い丘から撮影したもので、写真の左側にセントジョーンズのダウンタウンが広がっていることが分かる。



 下はシグナルヒルの頂上からセントジョーンズ湾(ほりこみ港)とその沿岸に広がるセントジョーンズ市のダウンタウンを一望した写真である。セントジョーンズ市はほりこみ港の沿岸域から拡大していった様子がよく分かる。なお、セントジョーンズは好天、晴天の日は一年を通じて少ない。私たちが滞在した数日もほとんどが曇天で、ときおり日が差す程度であった。



 下はセントジョーンズ湾(ほりこみ港)の入り口の北部にあるシグナルヒルという小高い丘である。地名の由来は、この小高い丘の頂上にある施設からイギリスに向け、北米で採取に無線電信による更新が行われたことにある。写真でも丘の一番頂上に小さな箱(=施設)があるのを見て取れる。右側は大西洋である。



 下の写真は、セントジョーンズ湾(ほりこみ港)をダウンタウン側に入ったところだ。この辺には漁民の家が岩場に張り付くようにいくつも存在している。



 下の写真は上の写真の真ん中部分を拡大したものである。岩にへばり付くようにしてカラフルな住宅が散在していることが分かる。



 以下にセントジョーンズのまちの歴史をWikipedia(日本語)から示す。セントジョーンズは、北米で最も古い歴史を持つ街であることが分かる。

歴史

 1497年6月24日(洗礼者ヨハネの祭日)、探検家ジョン・カボットがヨーロッパ人として初めて町近くの港に上陸したと言われる。上陸した地点は今もなお争点になっているが、その後、ポルトガルやフランス、バスク地方、イギリスの探検隊や漁船が次々と訪れている。

 1519年のポルトガルの地図には「サン・ジョアン Sao Joao」として記入されるなど、早くからその存在を地図に見ることが出来、北米で最も古い歴史を持つ街である。繁華街ウォーターストリートも16世紀半ばには原型ができている。

 1583年、探検家サー・ハンフリー・ギルバート(Sir Humphrey Gilbert)が到達し、この付近はエリザベス1世の特許状が出たイングランド最初の植民地となった。その当時、港の沖には16ものイングランド船と20ものフランス船とポルトガル船が入港していたが、定住者はいなかった。1605年には定住のための入植者がイングランドから到来し、1620年までにはイギリス漁船が他国の漁船を圧倒するようになった。

 17世紀にかけて徐々に人口が増えたが、当時はニューファンドランド最大の入植地というには遠い状況だった。人口は、漁の季節になる夏の間には膨らみ、多くの漁師や漁船がセントジョ−ンズを訪れるようになる。

 町の防衛は、漁業や商業を巡る争いから必要性を増した。1665年6月、オランダの海軍軍人 Michiel de Ruyter が一時的にセントジョーンズを占領する事態になった。1673年にも二度目のオランダ軍による侵略があったが、街にいた人々は国籍などを問わず防衛に参加し、防ぎきった。

 1689年ごろからイギリス政府は町の要塞化を進めた。フランスの航海者ピエール・ル・モイン・ディベルヴィユによる1696年の占領と破壊の後、イギリスは町を取り返し要塞建設を進めたが、1705年と1708年にもフランス軍に襲われ市街が燃える被害を受けている。七年戦争に呼応して北米で起こったフレンチ・インディアン戦争では、最後の戦闘が1762年にセントジョンズ郊外のシグナルヒルで起こり、フランス軍が降伏した。

 18世紀には、セントジョ−ンズにニューファンドランド植民地の行政府が置かれ、教会の建設や商業の発展などに力を入れ始めた。その後、セント・ジョ-ンズはグランドバンクの豊富な漁獲を背景にした水産業、英国海軍の駐屯地、ニューファンドランド自治領の首都や商業の中心地としてゆっくり発展していく。

 古くはアメリカ独立戦争ほか、第二次世界大戦などで、軍港として機能した場所でもある。1949年にニューファンドランドのカナダ編入とともにニューファンドランド州州都となった。



つづく