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2008 ニューイヤーコンサート

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団


Das Neujahrskonzert
der Wiener Philharmoniker


青山貞一 Teiichi Aoyama

掲載日:2007年1月3日

 2008年ウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、日本時間元旦、夜7時から3時間にわたり、ウィーンの楽友協会大ホールで予定通り行われた。恒例のNHKによる生中継は、元旦の地上波の3チャンネル(教育)で行われ、翌2日、BSの102で再放映された。

 肝心な指揮者だが、今年は83歳のフランス人、ジョルジュ・プレートルGeorges Pretre)である。

ジョルジュ・プレートルGeorges Pretre

 プレートルは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などによれば、フランドル地方のヴァジエール出身。かのパリ音楽院で和声法をモーリス・デュリュフレに、また指揮をアンドレ・クリュイタンスほかに師事している。

 音楽院卒業後、プレートル氏はフランス国内の数多くの小さな歌劇場で指揮を執った後、オペラ=コミック座でリヒャルト・シュトラウスのカプリッチョを指揮パリでデビューを果たしている。

 1961年には英国の王立歌劇場でイギリス・デビューを果たした。さらに1960年後半に、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場やイタリアのミラノ・スカラ座にも初登場。多くの機会で晩年のマリア・カラスと共演し、カルメンやトスカの録音は歴史的名盤と呼ばれている。一時パリのオペラ座の音楽監督も務めたという。

 オペラを別にすれば、プレートルはフランス音楽の専門家として最も有名で、とりわけプーランクと縁が深い。プーランクの歌劇《人間の声をオペラ=コミック座で1959年に初演し、1963年には7つのレスポンソリウムSept repons des tenebres を初演している。1999年にはプーランク生誕100周年を記念して一連の演奏会を催した。 

 以下はウィーンフィルのニューイヤーコンサート2008年の演奏曲目である。

1. ナポレオン行進曲 作品156 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
2. ワルツ「オーストリアの村つばめ」 作品164 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
3. ラクセンブルク・ポルカ 作品60 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
4. パリのワルツ ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
5. ベルサイユ・ギャロップ 作品170   ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
6. 天国と地獄のカドリーユ 作品236 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
7. ギャロップ「小さな広告」 作品4 ( ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲 )
8. 喜歌劇「インディゴと四十人の盗賊」 序曲 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
9. ワルツ「人生を楽しめ」 作品340 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
10. ポルカ「かわいい曲」 作品271 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
11. トリッチ・トラッチ・ポルカ ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
12. ワルツ「宮廷舞踏会」 作品61 ( ヨーゼフ・ランナー作曲 )
13. ポルカ・マズルカ「とんぼ」 作品204 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
14. ロシア行進曲 作品426 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
15. ポルカ「パリジェンヌ」 作品238 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
16. 中国風ギャロップ 作品20 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
17. 皇帝円舞曲 作品437 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
18. ポルカ「インドの舞姫」 作品351 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
19. スポーツ・ポルカ 作品170 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
20. ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
21. ラデツキー行進曲 作品228 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )

 2008年元旦の曲目は、プレートルがフランスの指揮者であるからか、「皇帝円舞曲」や「美しき青きドナウ」、アンコール曲の「ラデツキー行進曲」など定番のワルツ、マーチ、ポルカをのぞけば「ナポレオン行進曲」、「パリのワルツ」、「ベルサイユ・ギャロップ」、「天国と地獄のカドリーユ」、「ポルカ・パリジェンヌ」などフランスに関連するシュトラウス曲のが多い。

 また北京オリンピックとの関係か「中国風ギャロップ」があり、今年EUで開催される欧州サッカーに関連してか「スポーツ・ポルカ」もあった。会場には中国の外交官とおぼしき2名がおり、何度もアップで写っていた。

 2007年元旦のマリス・ヤンソンスもすごくよかったが、今年のプレートルは、すべてにわたり知り尽くしたさすが余裕の老練というか、ウィーンフィルを縦横無尽に指揮していた、というのが率直な感想である。演奏中のプレートルの笑顔も印象的だった。東洋系の顔?ですごく親しみやすい。それでいて、すばらしいエスプリに溢れた演奏だった!

 以下は、ここ数年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートのブログである。
 
  青山貞一:ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2007
 
青山貞一:ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2006
 
青山貞一:ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2005

 以下は関連ブログ

 青山貞一:真冬の夜のウィーン:シェーンブルン宮殿コンサート
 
青山貞一:ウィーンフィルと永世中立国、オーストリア

 ところで2007年3月、オーストリア航空でクロアチアのドブロブニクとモンテネグロのコトルに行ったが、オーストリア航空ということもあり、ウィーンとザグレブを経由した。現地を経つ3月15日、ウィーンでフライトまでの待ち時間があった。そこで、地下鉄で楽友協会近くの都市公園(StadtPark)を散歩した。

 ウィーンには環境関連の仕事や学会発表などでかなりの数でかけているが、オーストリア出身の作曲家、音楽家などの彫像がある都市公園の彫像をひとりひとり見て回ったことはなかった。いずれも著名な作曲家の彫像がある。ひときわ目立ったのが、下にあるヨハン・シュトラウス(Johann Straus)2世の彫像だった。像は金色に光っている。なかなか秀逸、すばらしいヨハン・シュトラウス2世像である。

 ぜひとも2008年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのブログに使おう、と撮影したのが下の写真である。


ウィーンの楽友協会近くの都市公園にある
ヨハン・シュトラウス(Johann Straus)2世像 
 
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


公園内にあるヨハン・シュトラウス像への案内
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


フランツ・シューベルト像の前で、池田こみちさん
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


フランツ・シューベルト像の前で、筆者
撮影:池田こみち デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて


ウィーンの都市公園(StadtPark)にはオーストリア出身作曲家の
像があちこちに多数ある。上は都市公園の地図
 
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーンにて
 
 楽友協会大ホールにほど近い都市公園脇の道路を車道を悠然と歩いている。ウィーンではごく自然の風景だが、周辺の景観とマッチしていい。


車道を堂々と馬車が行く。ウィーンでおなじみの風景。都市公園の近くで
撮影:青山貞一 デジカメ NIkon Pool Pix S20 2007.3.15 ウイーン都市公園にて

 馬車と言えば、今年のコンサートでも下の写真に写っているような白いお馬さんが確かポルカ「パリジェンヌ」 作品238のなかでたくさん出演していた。

スペイン乗馬学校関係者によるによる行進

 今でも写真立派な立派な馬車がウィーン市内を闊歩している。大部分は観光用であろうが、モールアルトが欧州各地を父親らと旅行したときも、御者付きのこんな馬車をつかったのだろうか。(そういえばこの手の乗り物が好きな池田さんは、カナダのルナバーグでも馬車に乗っていた)


撮影:青山貞一 デジカメ Fine Pix 2002.8 ウイーンにて

 以下はプラハのまちを走る馬車。


撮影:青山貞一 デジカメ Fine Pix 2002.8 プラハにて


撮影:青山貞一 デジカメ Fine Pix 2002.8 プラハにて


 ついでに一言、ウィーンの景観論争について話そう!

 ニューイヤーコンサートでは黒柳徹子さんがウィーンのシュテファン寺院。このシュテファン寺院に触れていた。かのW.A.モーツアルトが1782年8月4日にコンスタンツェ・ウェーバーと結婚式をあげた大聖堂としても有名である。


ウィーンの中心市街地のど真ん中にあるシュテファン寺院(大聖堂)
あのモーツアルトがコンスタンツェ・ウェーバーと結婚式を挙げた寺院でも有名

撮影:青山貞一 デジカメ  2002.8 ウイーンにて

 行ってみると分かるが、実はウィーン市民、いやオーストリア国民が最も大切にしてきた歴史的文化的遺産のシュテファン大寺院の真ん前に、下の写真にある超現代的なガラス張りのビルが激しい論争の末に建ってしまった。日本でも京都などで激しい景観論争がある。

 中世の町並みをかけがえなく大切にする欧州でも、この種の論争が数限りなくあるようだ。もっぱら、シュテファン寺院の周辺はすでにウィーンいちの目抜きのモールとなっている。現代的な商業ビルがわんさと建築されている現実もある。


ウィーン最大の名所、シュテファン寺院の前に立った現代的ビル
撮影:青山貞一 デジカメ  2002.8 ウイーンにて

 とはいえ、以下の景観を見ると、やはり何だこりゃ、と思う。ドブロブニクやコトルとまでは行かないまでも、中世の町並みがあってこそ、モーツアルトもシュトラウスの音楽も生きるからだ。ウィーンの友人に聞けば、立ってしまった理由が分かるが、非常に残念である。


ウィーン最大の名所、シュテファン寺院の前に立った現代的ビル
撮影:青山貞一 デジカメ  2002.8 ウイーンにて

 
ただ、ウィーンがあるオーストリアは、日本人なら誰でも音楽、芸術の国と思いがちだ。しかし、実際はどうか? オーストリアは相当の工業の国でもある。以前、私たちの環境総合研究所はオーストリア大使館と一緒に環境問題のセミナーを共同で行ったのだが、そのときも、皆さんはオーストリアを音楽、芸術の都だとお思いでしょうが...と大使館の公使は冒頭で挨拶していた。

 オーストリアが単なる工業でなくハイテク技術の工業国でもあることは事実である。とはいえ、しつこいようだが、やはりことシュテファン大聖堂の真ん前に以下のようなトンデモ・ビルは日本人としても建ててもらいたくない。知らないでウィーンに出かけたひとは、詐欺にあったように感ずるかも知れない。

 NHKさんなり黒柳さんも番組中ひとことこの問題に触れて欲しかった。



とはいえ、やはりこれじゃシュテファン寺院が台無しだ!
撮影:青山貞一 デジカメ  2002.8 ウイーンにて

 そういえば、今年のコンサートの一番に以下の寺院が写っていた。この寺院は、楽友協会からほど近く、都市公園に接している寺院だ。古い写真集を探したら出てきた。


撮影:青山貞一 デジカメ  2002.8 ウイーンにて


つづく