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さらに、鳩山総理が日米共同声明を読み上げる2010年5月28日の直前の5月27日、川内衆議院議員ら180名は、鳩山総理あてに普天間問題緊急声明を提出する。 ★鳩山総理大臣宛「5.27普天間問題緊急声明」提出 ★5.27普天間問題緊急声明全文(連名議員一覧27日時点
しかし、この時点では、周知のように鳩山氏は総理辞任の意向を固めており、レームダック状態になっていた。 ただ上記についても副総理だった菅直人氏が知らないはずはない。だが、あらゆる場面で普天間基地問題に関して冒頭に掲げたブログにある菅氏のプレゼンスはないのである。 これを象徴するようなエピソードがある。
上述したように、鳩山政権誕生後の普天間問題では、いずれも外務、防衛の官僚やそのOBが徹底して鳩山氏を取り囲み洗脳してきたからだという説が有力である。それはその通りだ。しかし、もし、平野、岡田、北沢の3大臣が鳩山総理の意向、腹案を受け、県外、海外移設を本気で体を張って対応すれば、また菅氏が積極的にこの問題で財務大臣としてではなく、副総理として積極的にアシストしていれば、これほど無様なことにはならなかったのではないか。もちろん、鳩山総理のリーダーシップの徹底欠如がその背景にあるにしてもだ。 もとより、平野、岡田、北沢の3大臣は、はなから県外、海外移設を考えていなかったのだろう。沖縄県外の可能性を探ったフリをしたものの、それは何かしたんだぞという痕跡を残す、すなわちアリバイ的にしたのであって、その気はさらさらなかったのである。平野、岡田、北沢の3大臣がしたことは、辺野古案にせいぜい徳之島案をおまけでつけた程度ことである。 平野氏が中心となって画策されたその徳之島案だが、つい最近、知人からトンデモの話を聞いた。 それは、民主党幹部が徳之島に沖縄海兵隊の訓練場を立地することの見返りに、関市町村に巨額の経済援助(カネ)を提供するとともに、徳之島を含む鹿児島2区で徳田虎雄氏の政界引退後、現在自民党代議士となっている徳田毅氏に将来重要なポストを提供するという話をちらつかし、徳之島への海兵隊訓練施設の受け入れを誘導したという。 にわかに信じられない話だが、その知人によれば徳之島や奄美など鹿児島県南部諸島では、この話でもちっきりとなっているそうだ。 カネの話は当然あると推察できるが、真意のほどは別として、ポストを餌に立地を誘導するという話は、聞きづてならないことである。もっぱら、民主党と入院中の徳田虎雄氏や自民党衆議院議員の徳田毅氏は、下の記事にあるように受け入れを拒否している。
菅政権は、普天間問題におけるいわばA級戦犯の平野は切ったものの、米国追随で前政権の意向をくむ岡田氏、北沢氏、前原氏ら平野氏に準ずる閣僚を居抜きで登用した。 そのうえで菅氏は、日米安保50年の年に、まっさきに日米同盟、をそのまま踏襲し、普天間飛行場代替施設の移設先として自民党時代の辺野古立地を趣旨とする「日米声明、日米合意」をためらいもなく引き継いだのである。 菅氏は、日本中を翻弄した外交・防衛案件について、何のためらいもなく、「日米声明、日米合意」追随した。 鳩山、小沢両氏の辞任が主因ではあろうが、このような変節した菅直人氏による菅政権に60%台のV字回復の支持を与える国民にも唖然とさせられるのは私だけであろうか? 追記 なお、鳩山前首相は、6月11日、辞任後初めてBS朝日の番組に出演し、退陣の一因となった米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について自らの指導力の欠如に「反省」の弁を述べたという。 鳩山氏は、移設先を同県名護市辺野古周辺とすることで米国と合意したことについて「米は辺野古で非常に固かった。外務省も防衛省も今までの経緯があるものだから、『最後はここ(辺野古)しかないぞ』という思いがあった」と述べ、鳩山氏が目指した県外移転には、米国だけでなく、外務、防衛両省も非協力的だったと明かした。 そのうえで、「政府の国家戦略局ががっちりできていれば、もっと指導力を発揮できたと思うが、そうなっていなかった」と官邸機能が弱かったと反省。「本当は、みんなを説得するぐらいの肝が据わってなきゃならなかった」とも述べている。 一言でいえば鳩山総理(当時)に強力なリーダーシップがなかったことだが、同時に早期段階で政権交代後肝いりで設置した国家戦略(局)の主担当だった菅直人氏が、しっかり鳩山氏を陰に日なたにアシストしていれば、状況はまったく変わっていたはずである。 菅氏が政権交代後、まったく存在感すらなかったのは誰しもが認めるところであろう! 縦割りを排し、行政横断的に国の戦略を設置したにも関わらず、菅氏は普天間問題は外交、防衛両省それに官房長官の問題と、まったく不作為を決めていたのだろう。その意味でいえば、菅氏も普天間問題のA級戦犯かも知れない! つづく |