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私の友人でフリーのジャーナリストは、以前、農水官僚の昇進にあわせ農業系公共事業などで世話になったとされる群馬県の片田舎の新治村の村長が元助役に指示し有力者からカネを集めお礼を贈ったとする記事を日刊ゲンダイに掲載した。 助役は友人のジャーナリストに銀行の通帳まで見せその事実を認めていた。ほぼ同じ内容の論文を岩波書店の「世界」に書いたところ、村長から友人と岩波書店を相手として民事の損害賠償請求訴訟を起された。 一審の前橋地裁では、友人と岩波書店が勝訴したものの、二審の東京高裁で逆転敗訴し、最高裁で棄却され確定、最終的に2百万円の損害賠償請求が確定した。 判決では、「裏付け取材を欠き、筆者が真実と信じる十分な理由はなかった」とし、記事中で村長が元助役に依頼して金を集めたという事実は真実と認めるが、そのカネが農水官僚に渡ったとまでは言えない。にもかかわらず記事を読む読者には農水官僚がもらったように、すなわち黒である印象を与えていることを判決の根拠にしていた。友人のフリージャーナリストは、決して決めつけて書いたわけではなく、疑惑があると書いただけと、今でも述べている(2010年11月6日本人談)。
当時、この判決は、刑事事件に関連することについては裁判が確定するまでジャーナリストは何も書くなと言うに等しいと話したものだった。そして当然、この事件の判決内容は判例となっているはずだ。 もし、その判例をもとに小沢一郎元民主党代表に関する新聞の記事やテレビのニュースを検証すれば、間違いなく、どれもこれも小沢氏にかけられた政治資金規正法に関連する容疑(個別具体に法的に見ればこの容疑は大したものではない)をグレーであるどころか、明らかに黒である印象を与えている。 であればこそ、この間、頻繁に大メディアが行ってきた世論調査、とりわけ2010年初秋に行われた民主党代表選での小沢一郎議員に対する支持が異常に低くなったと言えるのであろう。 今や大メディアの記者の多くに、「社会の木鐸」という言葉はないし、求めるのも無理がある。 本来、取材がメディアの大前提である。だが、こと小沢一郎氏に対しては、ろくに取材をしていない。 私が知る限り、この2年間、夕刊紙である日刊ゲンダイの独占インタビューと今回のニコニコ動画の1時間30分に及ぶロングインタビューをのぞけば、大メディアはどれも小沢氏本人にロングインタビューをしていない(できていない)。 民主党代表選に関連し、テレビ朝日の朝の情報番組と報道ステーションが小沢氏をスタジオに呼びキャスターらの質問に応えたことがあったものの、その場合でも小沢氏の実質発言時間は10分にも満たないものだった。 一方、小沢氏に対する新聞テレビなどの大メディア、さらに週刊誌、夕刊紙の名誉毀損、信用毀損、侮辱的な記事、それも「誰が読んでも書かれた当人が黒である印象を与える」記事や報道は星の数ほどあった。 大メディアは司法当局とか司法関係者によれば、などと記事のソースを書いてきたが、もとより検察、警察は法律や服務規程によって捜査中の情報を外部に漏洩することを禁止されている。そんな司法関係者からのリークをもとにあたかも事実であるかのような情報を、この2年近く連日連夜記事にし、報道してきたのである。 法学部や法科大学院の学生はもとより誰でも周知のように、我が国では憲法や刑事事件訴訟法に規定される「推定無罪」がある。 しかし、この間のメディアの論調をつぶさに見れば、「推定無罪」などどこ吹く風である。みんなで書けば怖くない。みんなで名誉毀損すれば恐くない。検察当局がリークしているのだから怖くないとばかりに、連日連夜、小沢氏の名誉や信用を毀損することに精を出してきたのである。
日本は「起訴法定主義」ではなく「起訴便宜主義」をとっている国だ。この「起訴便宜主義」により、検察に絶大な裁量が与えられている。しかもその検察には、それこそ説明責任の義務はない。なぜなら法律や服務規程によって情報開示がシャットアウトされているからである。
その結果、検察が起訴し公訴、すなわち公判にもちこめば、99.9....%の事件が有罪になる。だから一旦起訴されれば=有罪となり=罪人となるという図式がメディアで常識となってきた。すなわち、日本では起訴された時点で罪人といういかにももっともらしい言説が流布されてきたのである。 しかし、ここ数年分かったことは、99.9...%のなかに、かなりの無罪が含まれていたことであった。これを冤罪と言う。 そして、ここ数年、日本の捜査、取り調べがいかに無謀なものか、また昔特高、今特捜というべき実態が明らかになってきた。 物理的な拷問ではないとしても、検察自らが描いたシナリオを金科玉条とし、それに達するためには、人質捜査はじめ、やくざ顔負けのありとあらゆる言論暴力、時間的拷問、精神的拷問、さらに誘導をしてきたことが分かってきた。 そのあげくの大阪地検特捜部の幹部検事による証拠の捏造が明らかになったのである。 いずれにせよ、この間にメディアから出された決めつけ的な記事やニュース、情報番組は数知れない。 ご承知の方も多いと思うが、その昔、三浦和義氏(故人)が別件で逮捕、起訴され有罪となり収監されている最中に行った通信社、新聞社、テレビ局などのメディアへの本人訴訟による民事訴訟は、実に約500件に及んだ。しかも、その80%以上で三浦氏が勝訴したことは有名だ。
現在は被疑者の人権を守るために、逮捕や連行の場合は警察は頭から衣服をかぶせたり全体をシートで遮断するなどの措置が、報道機関では手錠にモザイクをかけたりしている。 これは1985年9月11日に警察が三浦氏を逮捕し連行する際に、報道関係者の撮影用に腰縄・手錠姿を撮影させたが、三浦氏はこれに対して、「有罪が確定していない被疑者をさらし者にする人権侵害だ」として提訴し勝訴したことがきっかけとなっている。 小沢氏の場合どうだろうか? 当然のこととして、決めつけの名誉毀損、信用毀損、侮辱的な記事は桁が違う。どうみても起訴に値しない政治資金規正法問題だけでなく、政党交付金の使途に関する決めつけ記事を含めれば、新聞、テレビの大メディア、週刊誌、夕刊紙などで1万本以上が相当するのではないか? もし、小沢氏が上記の記事や報道内容をひとつひとつ検証し、不法行為(民法第709条、共同不法行為は第719条)により損害賠償の民事訴訟を提起すれば、現時点でも圧倒的大部分で勝訴することになるだろう。まして、強制起訴され公判で当該容疑事実が晴れればなおさらである。
メディアによる小沢氏への攻撃、毀損行為は過失ではなく明らかに故意であることは間違いないところだ。地方紙などが共同通信や時事通信が配信する記事を転載した場合でも、不法行為が成立するのは三浦和義氏の件で明らかとなっている。 親亀(通信社)だけでなく、子亀(地方紙)、さらにそれらをもとに記事を書いた雑誌や夕刊紙などの孫亀も不法行為の責任を負わなければならない。さらに言えば、無責任に匿名で書き散らすブログなども同じだ。いくら何々新聞が掲載していたからと言ってもその責任は免れないのである。 また不法行為の消滅時効は、不法行為の損害および相手(加害者)を知ったときから3年、不法行為のときから20年である。できればはやめに対応した方がよいだろう。
もちろん、政治家である小沢氏にとって重要なことは、この2年間、「記事は誰が読んでも書かれた当人が黒である印象を与え」られたことである。 小沢氏自身が何度となく述べているように、民主党代表時に事務所を幾度となく強制的に家宅捜査され、当人に対しも何度も確か4度にわたり事情聴取が行われている。 その上で容疑を裏付ける証拠を東京地検特捜部は、見つけられず不起訴にせざるをえなかった案件だからである。こんな例は聞いたこともない。まして、もし、東京地検特捜部の杜撰な捜査やリークがなければ、昨年9月以降、小沢一郎氏は日本の総理、首相となっていた人物である。 半世紀続いた自民党などの実質独裁政権によりできあがった既得権益を手放したくない自民党や大メディア、それに先進国では日本だけ独裁的権力をもつ検察権力が既得権益を手放したくないことは分かる。 かといって、勝手に描いたシナリオで秘書を逮捕したり、事務所の強制捜査後に、証拠をかき集めるという乱暴きわまりない捜査は前代未聞である。 しかも、司法当局は当初から司法クラブに居座る大メディアの記者を子飼い化し、いい加減な捜査、取り調べ情報をリークしまくったのである。まるで戦前の特高警察そのものであり、大本営発表を鵜呑みにし、また分かっていながらウソを書きまくった大新聞がしたことのデジャブである。 周知のように、名誉毀損や信用毀損の法的成立条件はいくつかあるが、最終的には顕示した事実が真実であるか、真実性の証明が困難な場合、相当性があるかどうかで判断される。 刑事事件における名誉毀損、信用毀損の場合には、刑法230条の2第1項によれば、名誉を毀損する表現であっても、第一に、それが公共の利害に関する事実に係るものであり、第二に、その目的がもっぱら公益を図るものであり、第三に、当該事実が真実であれば、処罰されないが、当然の事として証明が難しいのは、第三である。 東京地検特捜部が国策捜査と揶揄されるように、意図を持って古い案件について、政権交代直前で小沢氏にかけた容疑で秘書らの逮捕、小沢事務所の家宅捜査、小沢氏本人への度重なる事情聴取で証拠が得られない案件である。真実性はもとより相当性であっても証明するのは容易ではない。 まして、平均年齢が30歳のまったくのシロウト審査員が二度にわたり起訴相当を出したことこそ疑惑を超える。しかも、何から何まで非開示、非公開の検察審査会はどうみても憲法違反の可能性が大である。人民裁判による人権侵害の危険性もある。 本題の小沢氏に関連する疑義であるが、第一に当初の西松建設問題があるが、肝心要の西松建設幹部の証人が前言を覆し大久保秘書裁判は頓挫している、判決どころか検察側は今後の公判維持すら危ぶまれている。 次は佐久間元東京地検特捜副部長が現在収監されている水谷建設社長の供述からはじまった5000万円問題だ。これも社長に虚言癖が指摘され、無理筋である。具体的証拠がまったく見つからない。もともと小沢氏は当時、民主党の幹部ではあっても閣僚でも与党の幹部でもない。職務権限がない。 三つ目は、本題の政治資金規正法違反容疑である。ここ2年世間を騒がした4億円問題で明らかになったのは、最終的に政治資金収支報告書におけるいわゆる「期ずれ」である。 これは民間ではよくあること。非現実的な現金主義をとる政治資金管理における会計のあり方の問題である。 仮にこの「形式」問題で公党の代表(当時)をいきなりお縄とするのは言語道断である。「形式犯」的微罪が問われるなら大部分の国会議員は、その都度お縄となるだろう。 また政治資金で不動産購入を執拗に問題にするマスコミや政治家がいるが、平成19年以前、これはまったく問われなかった。平成19年の法律改正で禁止されているが、小沢氏問題は平成19年以前である。 もとより、小沢氏がそれらにより私財を増やし、私腹を肥やしているのならまだしも、多くの書生や秘書を一人前に育てるためのアパートや宿舎のために合法的に使っているのだから、とやかくいわれる筋合いはないだろう。 歳費で海外に豪華な観光旅行したり、政治資金でキャミソールを購入したり、菅氏のように毎日のように数万円の会食を身内でしていることこそ、政治的、倫理的に問われなければならないのではないか。 そもそも、特捜部の何はともあれ片っ端から捕まえ、家宅捜査してから容疑を考えるトンデモ捜査こそ断罪されるべきであろう。 もし、上記のような疑義だけで現職の政党党首を引っ張るとなれば、自民党の大部分の幹部はひっぱられるだろう。事実、西松建設問題では20名近くの自民党及び自民党系代議士や知事が献金を受けていたからだ。 次いでに言えば、巷では政党交付金の使途問題が執拗に騒がれている。もしこれが問題、さらに違法の可能性が有れば、とっくにこれを容疑事実としてひっぱっている。 このように法、法理、証拠、事実、真実などをまるで伝えず、ただ「政治とカネ」と喧しく騒ぎ続ける人権無視の大マスコミとそのスクラムは、一体どう責任を取る用意と覚悟があるのだろうか? |