「信州軽井沢の晩秋探訪シリーズ」の2番目は、旧軽井沢地区の旧三笠ホテルである。
※標高と紅葉
この時期、標高では1500m-で紅葉は終了。
1200-1500mでほぼ終わり。
900-1200mで真っ直中。
500-900mでぼちぼち。
-500mでは時期尚早といったところか。
もちろん、同じ標高でも地形により日当たり風当たりなど
気象条件によって、また植物の個体差により紅葉時期は
変わりる可能性がある。
現地に行く前日、テレビ朝日スーパーJチャンネルで吾妻
渓谷で紅葉が見所と報道していたが、吾妻渓谷は500-
650mの標高にあり、ごく一部を除き紅葉はこれからだった。
旧軽井沢地域の標高は、900-1000mである。
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧三笠ホテルは、長野県軽井沢町にある歴史的建造物であり国の重要文化財でもある。実は、この旧三笠ホテルと、私たち環境総合研究所の北軽井沢の保養所との間に小さな接点がある。
何かと言えば、下の解説にあるように旧三笠ホテルの工事監督は、佐藤万平氏である。佐藤万平といえば、軽井沢で最も有名な現役ホテルである万平ホテルの創業者だ。
実はその佐藤万平氏のおそらく孫にあたる代表取締役会長 佐藤泰春氏の自宅が私たちの北軽井沢の保養所の隣にある。
旧三笠ホテル
長野県軽井沢町にある歴史的建造物。国の重要文化財。
実業家山本直良によるホテル開業は明治39年(1906年)5月。 建物は明治38年(1905年)に竣工した日本人の設計による純西洋風建築で、また文化人財界人が多く宿泊したことから、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていた。
大正14年(1925年)に経営母体が変わり、太平洋戦争中は、軽井沢が駐日外国人の主要疎開地として指定された事から、外務省の軽井沢出張所が設置された。戦後は進駐軍の施設になり、その後三笠ハウスの名称で営業を再開し昭和45年(1970年)まで営業を続けた。
廃業の時点で竣工当初のおよそ50%の建物が現存しており、昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定を受けて保護されている。
建築概要
- 建築主 - 山本直良
- 設計 - 岡田時太郎
- 施工 - 小林代造
- 工事監督 - 佐藤万平
- 起工 - 明治37年(1904年)
- 竣工 - 明治38年(1905年)
- 構造 - 木造、2階建
- 所在地 - 〒389-0100 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1339-342
出典:Wikipedia |
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルの周辺地図。
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出典:Google Map
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルにて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2
旧軽井沢地区の旧三笠ホテルの道路をはさみ反対側の庭にて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2