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「上州高原の晩秋短訪シリーズ」7番目は、嬬恋村の鎌原観音堂である。 ※標高と紅葉 この時期、標高では1500m-で紅葉は終了。 1200-1500mでほぼ終わり。 900-1200mで真っ直中。 500-900mでぼちぼち。 -500mでは時期尚早といったところか。 もちろん、同じ標高でも地形により日当たり風当たりなど 気象条件によって、また植物の個体差により紅葉時期は 変わりる可能性がある。 現地に行く前日、テレビ朝日スーパーJチャンネルで吾妻 渓谷で紅葉が見所と報道していたが、吾妻渓谷は500- 650mの標高にあり、ごく一部を除き紅葉はこれからだった。 鎌原観音の標高は、おおよそ900〜1000mである。 嬬恋村の鎌原観音堂は私たちの環境総合研究所の北軽井沢別荘から車で10分足らず、「鬼押しハウィエー」の北側、鎌原村のなか郷土資料館の隣にある。資料館や観音堂には、有料道路の鬼押しハイフェーからも寄れる。 私たちは浅間高原に行く度に、必ず鎌原観音堂のお参りしている。 鎌原神社の周辺地図。この地図は上下左右に動かせます。 またズームイン、ズームアウトも可能です。マウスで試してください! 出典:Google Map この鎌原観音堂は、以下の記述にあるように浅間山が天明3年(1783年)に大噴火し、その火砕流によって浅間北麓の吾妻郡鎌原村、今で言う群馬県嬬恋村一帯に住んでいたひとびと1000人以上が亡くなったととき、たまたま火砕流に早く気づき、観音堂の階段を上り、逃げ込んだ93名のみ助かったことで知られている。 そのような歴史的史実、すなわち浅間山による火山災害から命を救った観音堂として、今でも厄除け信仰の対象となっている。 この災害では当時の村の人口が600人程であり、477名もの人命が失われたという。鎌原観音堂の階段の高さ分が生死の分かれ目になったという。
浅間山大噴火の被害については、群馬県指定文化財のなかに以下のような記述もある。
天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村 上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村。 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 出典:鎌原村郷土資料館 嬬恋村郷土資料館 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村 上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村。 出典:鎌原村郷土資料館 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 嬬恋村の鎌原観音のドウダンツツジ 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 生死を分けた鎌原観音の階段 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008..5 鎌原観音で資料を頒布する地元のひと 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 嬬恋村の鎌原観音にて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.11.2 |