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■ローマクラブの「成長の限界」警告報告 私自身、大学卒業後、数年経ってから人類の危機報告、「成長の限界」(The Limits to Growth)で世界的に有名なローマ・クラブ(The Club of Rome)の日本事務局に入り、都合9年在籍した。 数年経ってからという意味は、大学卒業後、一旦、当時、新宿区市谷本村町にあったアジア経済研究所の関連組織に3年ほど在籍したからである。 その後、友人の薦めでローマ・クラブ(日本事務局が出した朝日新聞への求人募集に応募。数100人の応募に3人が採用されたが、そのひとりとなったというわけだ。 あとで事務局の関係者に聞けば、入社試験(論文と面接)で、たまたま私の席にだけ間違って他の人に比べ数倍の原稿用紙が配付されていたそうだ。私はそんなことをつゆ知らず、原稿用紙全部に意見を書いてしまった。論文執筆は「成長の限界について述べよ」であった! 現在所長をしている環境総合研究所の同僚、池田こみちさんは私がローマ・クラブ東京事務局を辞める少し前に、仕事を手伝いに来てくれたのが知りあったきっかけである。この事務局では、発行していた新書版の「技術と経済」という月刊誌の編集長も5年間行った。そこでは約60冊について私なりの政策提言を世に問うた。 妻(淑子)はローマ・クラブ東京大会開催時(1973年10月)、ローマ・クラブのメンバーだった日立製作所の駒井会長の命を受け、私がいた事務所に急所ハワイ大学から援軍として呼び寄せられたという経緯がある(笑い)。 ローマクラブ東京大会にて 左から日立製作所の駒井会長、同夫人、淑子、1973年 当時、まだ26歳だった私は、世界中の研究者、大学教授など100名のローマ・クラブ・メンバーが一堂に集まる一大国際会議の開催準備を任されることになった。ガ〜ン! 当然のこととして、てんてこ舞いとなった。 会場の設営、配布資料の翻訳、印刷、同時通訳の世話、海外からのメンバーはほぼ全員奥様同伴で来るから、奥様たちのためのレディースプログラムづくりなどなど、よくもまぁパニックにならずやったものだと、我ながら感心したりする。 今考えると、このローマ・クラブ日本事務局に9年在籍したことは、自分の人生にとって非常に大きな意味と価値を与えてくれたと思っている。 ■「成長の限界」から「転機に立つ人間社会」へ 下の写真の左に写っているひとは、はローマ・クラブ東京大会で「成長の限界」に続く、ローマ・クラブの第2リポート「転機に立つ人間社会」のプロジェクト・リーダーとなったミハイル・メサロビッチ教授(Prof. M.D.Mesarovic、セルビア) である。 私自身の研究はその後、コンピュータを使いさまざまな環境問題のシミュレーションに向かうことになるが、その端緒はこのミハイル・メサロビッチ教授との出会いにあると今でも思っている。メサロビッチ教授は、「成長の限界」報告におけるモデルが地球をひとつの宇宙船となぞらえたのに対し、世界各地の特殊性、南北問題などをモデルに組み入れている。 当然、そのモデルは「成長の限界」のようなシンプルなモデルにはならない。巨大なモデルとなったため、「転機に立つ人間社会」は、「成長の限界」のような衝撃を世界に与えることはなかったが、シミュレーションモデルはより現実との関連性が高いものとなったと思う。 ローマクラブ東京大会にて 左からミハイル・メサロビッチ教授、筆者(青山、当時26歳)、1973年 このローマクラブの国際会議には、「成長の限界」報告を主導したデニス・メドウズ(Prof.Dennis Meadows)、ドネラ・メドウズ夫妻も出席された。ドネラ・メドウズ女史はその後、「世界がもし、100人の村だったら」などの著作で世界的に有名になっている。 私自身、ローマ・クラブリポートでは、アーヴィン・L・ラズロー教授(ニューヨーク州立大学)が主導した第5リポート、「人類の目標」に参加し、日本の目標を執筆した。 そのローマ・クラブは人類の危機報告、「成長の限界」の中で、今から40年近くも前に、このまま先進諸国を中心に豊かで便利な生活を希求していくと、そして発展途上国において人口の爆発が続けば、21世紀の中頃に地球規模の危機(クライシス)が到来すると世界中に大きな警告を発したのである。 「成長の限界」の標準モデル(シミュレーション) 「成長の限界」の天然資源が無尽蔵にある場合 のモデル(シミュレーション) 当然、「成長の限界」の中には二酸化炭素による地球温暖化についての現状認識と将来への警告も含まれていた。そしてローマ・クラブ東京大会の直後、世界はいわゆる石油危機に見舞われるのである。 ■ローマクラブの「成長の限界」報告から約40年 当初、オオカミ少年などとも揶揄されたローマ・クラブであったが、「成長の限界」報告が発した強烈なメッセージは、その後、次第にリアリティを増し、気候変動問題以降、さらにその警告は現実味を増してきた。 そして今、ローマクラブの「成長の限界」報告から40年近く経った。 まさに私たちを取り巻く環境は、温暖化問題、資源エネルギー問題、食糧問題、廃棄物問題、経済問題等々、どれひとつをとっても、まさに危機的な様相を強めている。 HOMEより 昨日(2009.7.15)、私が在籍している東京都市大学の横浜キャンパス、環境情報学部にNHKの技術研究所からこられている同僚の宮坂教授から、今、世界で大きな話題となっている映画、「HOME」を巨大スクリーンで試写してみたいので、よろしかったら来てください、と連絡された。 HOMEより 私自身、「HOME」をまだ見ていなかったこともあり、そして時間もあったので午後3時すぎから5時すぎまでの2時間にわたり「HOME」を宮坂先生や学生と一緒にじっくり鑑賞した。 はっきりいってこの映画にはさまざまな意味で驚いた! もちろん、冒頭に述べたローマ・クラブが世界に警鐘を鳴らした意味もある。しかし、それだけではない。 この映画は、フランスのアルテュス=ベルトラン,ヤン監督によって地球の起源から現在私たちが遭遇している地球規模での人類の危機でを、世界各国にデジタルハイビジョンカメラを使い空から撮影した映像をもとにドキュメント映画化している。 監督の経歴を見ると、私と生まれ年が同じ、1946年である。 HOMEのエントランス画面 ■ローマクラブの「成長の限界」を地で行く空撮映像 まさにローマ・クラブの人類の危機リポートを世界各国、地域を対象にリアルな空撮映像であると言える。 ローマ・クラブは世界を均一なものとして扱っているが、このHOMEではアフリカ、カリブ海、南米、中東、インド洋、太平洋など世界各地の問題箇所をくまなく、デジタルハイビジョンのすばらしい詳細な映像で撮影しまくっている。内容の衝撃さとは別に映像そのものもきわめて秀逸で価値があると思う。 大学の巨大スクリーンの映像と音響の効果もあったが、HOMEは非常に内容が濃い。2時間があっという間にくるほど、映画に吸い込まれてしまう。 そこでは資源・エネルギー、食糧、農業、水、森林、生物(多様性)、空気(大気)、廃棄物、都市化、山林火災などの実態、人類への影響、さらに両極・ロシア凍土・グリーンランドへの地球温暖化の影響、太平洋・インド洋の環礁地域への温暖化の影響を実写のハイビジョン映像と音響、ナレーション、字幕でこれでもかと映し出している。 HOMEより 当初、地球温暖化の警鐘映画かと思っていたが、どっこい、温暖化関連は全体の1/5程度である。筆舌に尽くせない実写場面の連続に、思わず息をのむ。 私自身、いままで60カ国以上、世界各地を歩いてきたが、西アフリカ諸国、中東諸国、カリブ海などで、はじめて見る映像も多い。 HOMEより またHOMEは地球規模の環境破壊がこれだけ具体的に進んでいるという警告だけの映画でなく、では私たちはどうすればよいか、についても、次々に問題を提起している。私たちに多くの問題を投げかけている。 最近になく衝撃、インパクトを受ける秀逸なドキュメントである! ぜひ、皆さんも一度ご覧いただきたい。 ●著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) アルテュス=ベルトラン,ヤン 1946年フランス生まれの航空写真家。フランス中部の自然保護区長を務め、30歳の時ライオンの生態調査のため、アフリカのマサイ・マラ国立保護区に移り住む。 この経験から1981年に初の著書「LION」を出版。アフリカ在住中、気球に乗り空から見る世界の美しさに気付く。 フランスに帰国後、冒険、スポーツ、自然を専門とするフォトジャーナリストに転身。 航空写真への情熱が高まるにつれ、その分野のスペシャリストとして世界的に名声を集める。写真はParis Match、GEO、LIFE、National Geographicなどの雑誌に掲載されている。1991年、航空写真のエージェンシー「ALTITUDE」を設立。 1995年、UNESCOの後援で「Earth from above」プロジェクトを発足し、1999年にその作品集として出版された書籍は全世界で24カ国語に翻訳され、300万部以上のセールスを記録。現在もプロジェクトは進行している。 2003年には世界各地の人々にカメラマンがインタビューする試み「6 BillionsOthers」、2005年には持続可能な発展を進めるための非営利団体「GoodPlanet.org」を立ち上げる。 上記プロフの出典はアマゾン |