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私が「小エネ住宅奮戦記〜暮らしに自前の技術を〜」(はる書房)を書いたのは、1983年だった。 それより5年ほど前から、私は実姉が神奈川県厚木市に所有している100坪ほどの土地を使用貸借で借り、「小エネ住宅」の実験をしていた。 ※小エネ住宅奮戦記は、友人の古川氏が当時、北斗出版を辞め 自分の出版社をつくるというので、そのお祝いで執筆したものだ。 残念ながら現在、絶版となっているが、今から30年近く前に 家庭用住宅にこの種の自然エネルギーを取り入れる実験をし ていたのはそれほど多くない。 ※アマゾン「小エネ住宅奮戦記〜暮らしに自前の技術を〜」(はる書房) 小エネ住宅は、今で言うライフサイクルアセスメント、LCA(Life Cycle Assessment)の分析・評価にもとづいて開発された軽量鉄骨構造の家庭用住宅で、開口部の位置・面積、採光、カーテン、断熱材、断熱構造などいわゆるパッシブソーラーを十分に考慮したものであった。 私の当時の小エネ住宅の実験は、それらパッシブソーラーだけでなく、太陽熱の直接利用、メタンガス発酵、風力発電など、アクティブな自然エネルギー利用も行った。しかも、できるだけ手作り的に自前の技術を暮らしに生かす実験を行った。 小型の風力発電装置は大手電機会社に勤務していた方が設計、製造に協力してくれた。太陽光の直接利用は簡単に言えば温水器である。さらに深夜の外気を利用して数1000個の空き缶に蓄えた水を冷やし、昼間外気温が熱くなったときに換気用のブロアーで家の中に涼しい空気を取り入れる空き缶冷風装置もつくった。これは大林組研究所の所長が自宅で活用していた技術を生かした。 はる書房の本のタイトル、すなわちを「小エネ住宅奮戦記〜暮らしに自前の技術を〜」を「省エネ」でなく、敢えて「小エネ」としたのは、単なるエネルギー消費を省くだけでなく、ひとつひとつは小さくともまとまるとそれなりに家庭用に使える太陽光、太陽熱、風力、メタンガスなどを、自前の技術で生み出し、利用したいという私の思いがこめられていたからに他ならない。 下は小エネ住宅奮戦記などの著作の一部。
その後、私は自分の研究や仕事、ボランティア活動が多忙となり、なかなか思うように厚木の小エネ住宅に行けなくなった。 厚木市の小エネ住宅は娘が旦那と使い、現在は娘らはその隣に同じく使用貸借で土地を使い立派な住宅をたて住んでいるが、LCAに基づき建築した住宅は、妻が週末住宅として使っている。 私は東京は品川区で60年以上生活しているが、田舎で生まれ育った妻は土のにおいが忘れられず、菜園やクリスマス・ローズなどの花を厚木の家を拠点に週末住宅として使い楽しんでいる。 .... ところで当時、私が仕上げとしてやりたかったのは「太陽光パネル」による東京電力に頼らず自前で発電し使用する「分散型発電システム」であった。 1980年代中頃から国は、家庭用太陽光発電システム、すなわち太陽光発電パネルと逆潮流のために直流を交流に変えるインバーター装置に助成をはじめていた。 しかし、私見ではどうみても当時の国の消費者への助成には多くの疑義を感じた。消費者が国の助成を受け購入可能な、太陽光発電パネルの価格は、非常に高額であった。同時期、国は太陽光発電パネルを製造するメーカにも開発補助を行っていたが、それにもかかわらずどうみても消費者が購入する際の価格は、助成金をもらっても非常に、高額だったのである。 なぜ、高額であるかといえば、現在でこそ太陽光発電パネルは日本のメーカーの専売特許となっているが、当時は欧米、とくに米国のメーカーがアモルファス系だけでなく結晶系のパネルの技術で先頭を走っていた。 その道の関係者に聞いたり、調べると、日本で国(通産省関係団体)から補助をもらって買う場合よりも、米国では補助なしの消費者の元金で補助金を含めた発電能力を持つパネルを買えることが分かった。 そこで私は思い切って、米国の太陽光発電パネルを6KW分、並行輸入で購入することを考えた。当時、6KW分と言えば相当な発電量である。日本では補助金を受けてもこの半分のKWのパネルしか買えないということだ。 当時、静岡県にあった電気製品の輸入代理店まで東京から鷹取敦氏と車で行き、代理店の社長に私の意向を伝えた。いろいろあったが、最終的に米国の太陽光発電パネルを並行輸入してくれることを了承してくれた。 そのとき、社長から聞いた話では、日本の太陽光パネル製造メーカーは、国から補助を受ける条件として、決められた販売価格でしか消費者に売ってはいけないと指示を受けているという。今流に言えば、メーカーやパネルの代理店は「官製談合」を承諾せざるを得ない状態にあったわけだ。信じられないことだが本当の話だ。 これについて環境総合研究所主任研究員(当時)の鷹取 敦氏は、「環境にやさしい太陽光発電−その期待と課題−」という論考の中で次のように述べてる。
本来、もっと安くパネルを消費者に提供できるメーカーもあったのだが、当時の通産省側からの行政指導で高い販売価格とならざるをえないと話してくれたのである。 事実、当時、米国から輸入した太陽光パネルの価格は、国から補助を受けて買うパネルの約半分の値段であった。したがって、消費者は元金と補助金があれば、日本のメーカーから購入する2倍の太陽光パネルを米国から購入できたのである。信じられないだろうが事実である。しかも、メーカーは別途、国から開発費補助を得ていた。 鷹取氏の論考にもあるが、当時、国は逆潮流、すなわち太陽光発電パネルで得た直流の電気を家庭用の交流100Vに変換し、電力会社の系統ネットワークに売れる制度をはじめていた。 だが、私が太陽光パネルとは別の会社から購入した米国のインバーターは約50万円で、PC制御の本格的なインバーターであり当然のこととして逆潮流は技術的に可能であった。しかし、当時、変換される交流の質が悪いとされ逆潮流で電力会社ることを断られた。 国のお墨付きを得てインバーターを開発して高額で売っていた会社のシステムは装置が大きく、見るからに古めかしいシステムであったが、米国製のシステムは小型、大部分のことが内蔵しているコンピュータから制御が可能であった。しかも、発生する交流電気は、日本製より遙かに高品質のはずだった。しかし、上述のように国策に反するからか、米国から並行輸入したパネルとインバーターでは逆潮流システムを通じて日本の電力会社の系統電力ネットワークに買電することはできなかったのである。 つづく |