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2009年4月23日、最高裁第1小法廷(甲斐中辰夫裁判長)は23日、住民側の上告を棄却する決定をした。 裁判は、1977年9月の1号機原子炉の設置許可を不服として、周辺住民が79年7月に提訴したもので、国の安全審査の違法性を訴えたが、94年3月の1審・新潟地裁判決と2005年11月の2審・東京高裁判決は、「安全審査の手続きに誤りは認められず、設置を許可した国の判断に不合理な点はない」と請求を棄却した。 裁判の最大の争点は、「柏崎刈羽は活発な地殻構造運動の続く油田地域で大きな地震に耐えられない原発立地不適な場所」かどうかであった。 東京高裁判決の2年後の2007年7月、原告指摘どおり、新潟県中越沖地震が発生し、設置許可で想定した最強地震の地震動300ガル(S1)、限界地震の地震動450ガル(S2)を大きく超える1699ガルに遭遇、大きな被害を受けた。 設置許可を妥当とした判決の誤りの何よりの証拠が中越沖地震の発生である。 中越沖地震後を最高裁は地震に関して原告見解を求めてきた。原告は、数次の上告理由書を提出して対応してきたところである。 決定書は昨日郵送されたと聞くが手元に届いていないので詳細は不明であるが、法律的手続きを理由に、中越沖地震は全く考慮されていない不当判決であると聞く。 中越沖地震は、地震列島日本の原子力問題に対する、自然の警告である。その中越沖地震を無視した最高裁決定は、被災地域住民や県民・国民の信頼は得られない。最高裁は、国の失政の庇護装置と言わざるを得ない。 原発裁判は、密室で秘密裏に進められた原子力行政に対抗し「公判法廷を公開討論の場に」を目的に進めようとの目的で進めてきた。裁判は1979年の米・スリーマイルアイランド原発事故を契機に提訴された。 1986チェルノブイリ事故や、1989福島第二3号事故、1995もんじゅ事故、1999JCO事故、2004美浜3号事故、2002年電力各社の不正隠蔽等々の原発や原発関連施設の事故、地震問題では1995の兵庫県南部地震・阪神淡路大震災や2004年新潟県中越地震やスマトラ沖大地震、金属材料や設備の老朽化問題を公判廷で主張し、その目的は達成されたと考える。 柏崎刈羽原発は新潟県中越沖地震のあと7基が停止中であり、訴訟対象の1号炉の点検は困難を極めている。最高裁の上告棄却決定で原発の安全が確保されるものではない。そうした状況を無視して7号機の運転再開についての地元自治体の判断がヤマ場をむかえているこの時期に、突如上告棄却の決定をしたことは運転再開を後押ししようとした意図は明らかである。さらに、この棄却の決定は、国民の原子力行政に対する不信の念を一層強める結果になることを関係者は認識すべきである。 中越沖地震と柏崎刈羽原発の被災は、科学技術で自然を制御できるとする原子力関係者と現代社会に対する、自然からの強い警告であることを改めて認識しなければならない。原告は、柏崎刈羽原発の反対運動を、この自然からの警告として、脱原発社会実現のための教訓として生かし、最高裁の上告棄却の決定の誤りを証明するため今後さら運動を展開していくことを決意するものである。 |