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●最高裁判決は、本来、司法として当たり前の判決である! 最高裁は今回の判決に際し、次のように述べている。 事実誤認の主張に関する審査は、最高裁が原則として(法令違反の有無を審理する)法律審であることにかんがみ、原判決の認定が論理則、経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが、本件のような満員電車内の痴漢事件は物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上、被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから、これらの点を考慮した上で特に慎重な判断が求められる。 多くの冤罪犠牲者を踏み台としてやっとのことで司法があたりまえの判断をしたというのが実感である。ある識者は、最高裁たるものが事実認定にまで踏み込むのは誤りだと形式論を述べているが、痴漢裁判に関しては、最高裁の小法廷が下級審に差し戻すのではなく、自ら事実認定を行い、そのうえで推定無罪という刑事事件の原則に立ち戻ったと見るべきである。それほど痴漢裁判にあっては、地裁、高裁は機能不全、思考停止していて、警察、検察の主張を追認していたと言うことであろう。 ●超満員電車でひとたび手を捕まれたら残り半生は地獄! 下は少々古いデータであるが、東京を中心とした首都圏を走るJR、東急、西武、京急、東武などの電車の路線別の痴漢関連の検挙数を示している。当然、日本全体では以下の検挙数の数倍あるはずである。 図1 首都圏鉄道の路線別「痴漢」検挙数 (平成17年) 周知のように、混み合った通勤電車のなかで、ひとたび女性に手をつかまれ、痴漢呼ばわりされたら最後、否認しつづければかなりの確率で起訴され、さしたる客観的証拠がないまま、被害者の供述によって有罪と判決されている。 もちろん、逮捕後、警察、検察による取り調べで容疑を認めないと、20日間拘留され、そのあげく起訴される。容疑を認めれば略式命令請求、すなわち略式起訴により科料で保釈してやるなどと言われ、実際には何もしていないにもかかわらず、世間体などから実際には痴漢行為をしていなくとも、容疑を認める場合も多いと聞く。 もちろん、不起訴、起訴猶予もあるにはあるが、容疑を認めない場合、大部分は起訴され刑事裁判にかけられることになる。 ●被害者の供述だけ、物的客観的証拠なしで有罪! 今回の最高裁判決が示したように、まさに痴漢事件では、「痴漢事件は物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上、被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではない」という特性をもっているものの、従来は、まさに警察、検察にひとたび逮捕、連行されると、まったく何もしていなくとも、一方的に犯罪者扱いされることになる。 被害を受けていないのに、金銭目当てに男性を痴漢呼ばわりし、示談金を詐取する事件(甲南大学法学部学生らが引き起こした事件)もあったが、このような虚偽告訴罪の対象となるケースはおそらくそう多くないと思われる。 冤罪や冤罪モドキとなる多くのケースは、被害を受けた女性が下半身や下着、胸などに手を伸ばしてきた男性の手を直接捕まえたケースではなく、近くにいる男性を一方的に加害者と思いこむケースであると推察できる。 すなわち、被害者はいるとしても、その被害者が実際に誰かを客観的に特定することなく、超満員の電車のなかで名指しされたり、その後手を捕まれた男性は、第三者が明確に「この人ではないですよ」など、よほどのことがない限り、後の祭りとなってしまう。 ●正義なく暗黒、地検の筋書きだけのメンツ裁判 だが、当然のこととして、何もしていない場合には、逮捕され取り調べを受けた男性は、いくら容疑を認めろ!といわれても、通常は否認せざるを得ない。だが、否認を通せば、逮捕し、取り調べている警察、検察の側は、メンツもあり、何としても逮捕後20日間であらゆる手をもちいて、「落とす」ことに全力をあげることになる。 今回の最高裁判決以前の場合を例にとると、裁判所でも男性はしていなければ、していないと言い張ることになる。他方、女性側は最高裁の判事が述べているように、『痴漢被害者が公判で供述する場合、検察官と入念に打ち合わせするので、供述の内容が「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」となるのも自然の成り行きである』のである。 さしたる物証が無く、DNA鑑定もないにもかかわらず、圧倒的多くの判事はその「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」女性の供述を信じ、実刑を含む有罪判決を下すのである。 ●被害者と被告の供述が「水掛け論」は本来無罪 しかし、被害者と被告の供述が「水掛け論」になり、それぞれの内容をその他の証拠に照らして十分検討しても、それぞれに疑いが残り、結局真偽不明と考えるほかないのであれば、犯罪は証明されていないことになる』場合には、本来、刑事事件の鉄則は、いうまでもなく「推定無罪」でなければならない。 にもかかわらず、痴漢裁判では、被害者と被告の供述が「水掛け論」となった場合でも、痴漢被害者が公判で供述する場合、検察官と入念に打ち合わせをするので、供述の内容が「具体的」「迫真的」「不自然・不合理な点がない」ということになり、客観的証拠がないまま、有罪となる。 当然、執行猶予がついたとしても有罪となれば、勤務先を負われ、家族は地域社会で白い目で見続けられる。引っ越しを余儀なくされるなど、当人だけでなく家族、親類縁者が社会の厳しい目のもとに生き続けざるを得なくなる。 私見では、推定するに過去、膨大な数の男性が被害者と被告の供述が「水掛け論」でありながら、有罪となったのではないかと思える。 ●アウシュビッツ強制収容所並みの殺人的混雑 ところで筆者は先の図1にある東急田園都市線で毎日、大学まで通勤している。幸い私の場合、東京都品川区(自宅)→横浜市都筑区(大学)→東京都品川区(自宅)なので、同じ田園都市線でありながら朝、夜とも田園都市線はにガラガラである。 しかし、朝、横浜市、川崎市から東京(渋谷)、さらに都心方面に向かう田園都市線は、まさに毎日、殺人的大混雑である。私は毎日を見ているので間違いない。 この3月、ナチスドイツがポーランドにつくったアウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネクの3大強制収容所を現地調査してきた。多くのユダヤ人は理不尽にも貨車にこれでもかとつめこまれ、身動きすら出来ない状態でそれらの強制収容所に運ばれ、その多くはガス室などで殺された様子を現地でつぶさにみた。 ひるがえって、毎日見る田園都市線の朝夕の超ラッシュの殺人的大混雑は、上記の強制収容所やガス室を彷彿とさせるものである。これはけっして誇張ではない。 当然のこととして、痴漢事件発生以前に、そもそもこれほど異常な混雑そのものが問題である。こんな異常な混雑した電車で毎日、朝、夕(夜)通勤することが人間のすることかと言いたいくらいだ。 慢性化している田園都市線の超混雑 出典:Wikimedia 反対方向はご覧のようにガラガラ 撮影:青山貞一、Nikon CoolPixS10 2009.4.16 結局、マイホームを郊外に買い求め、都心に殺人的混雑のなかで通っている人々は、絶えず痴漢の冤罪候補者となっているとさえ思える。生きていくため、給与を稼ぐため、毎日毎日殺人的混雑で通勤している人が、ひとたび痴漢と間違えられれば、残りの人生の半分以上がなくなったも同然となる。実際そうだろう。 ●技術は生かせないだろうか? とかくDNA鑑定が好きな警察、検察だが、今回の事件ではDNA鑑定をしていないという。警察、検察は自分たちに明ら不利になることはしない、あるいはあっても出さないと言われる。 出典:警視庁公式Web http://www.npa.go.jp/ 今回の事件はその典型では無かろうか? 二審まで冤罪となっていた防衛医大の教授はDNA鑑定を希望したが、かなえられなかったと記者会見で述べている。 警察、検察は自分たちに有利となると居丈高となって人権を無視してまで鑑定などを行っているにもかかわらずである。 逮捕、起訴までした後だと、いくらDNA鑑定を臨んでも、もし、被疑者がシロだったら、警察、検察は大失態となるから、教授が言われるように初動でDNA鑑定をしなければ後の祭りとなるだろう。 またDNA鑑定用のサンプル(試料)は全部使わず、後日のダブルチェック用に残しておかなければならい。従来、科学警察研究所などでの測定分析では、あえて全量を消費するようなことをしている。これでは仮にクロといわれた場合でも本当なのか、捏造なのか第三者は判断出来ない。 ところで、これだけデジタル技術、無線技術などIT技術が進歩した現在、一瞬にして一生を台無しにされる恐れが高い、痴漢時間を防止する技術はないものだろうか?と思う。男性は皆、両手を上にあげホールドアップの姿勢でないと電車に乗れない現実もこれまた異常である! 全車両にWebカメラを導入するというのは、おそらくプライバシー、人格権、肖像権の侵害などと言われるだろうが、朝夕ラッシュ時だけでも有効かも知れない。ただし、上からのWebカメラでは当然のこととして限界があるだろう。 田園都市線では申し訳程度に女性専用車が1両だけある。 これを2−3両と増やせば、とりあえずであるが未然防止にはなるだろう。1両ではどうにもならない。 この際、通勤時間をずらすのもよいだろう。 日本社会は「犬の卒倒」、恐怖のワンパターン社会である。 画一的なライフスタイル、ビジネススタイルが超混雑を加速していることは否めない。ワークシェアリングもよいが、もっと積極的に時差出勤、専門裁量型の労働をいれたらどうか? ●極度に中央集権的な国土政策・都市政策失敗の犠牲者? さらに言えばすべて都心に向かう超中央集権的国づくり、都市づくりを何ら疑問を持たず、推進してきた国土交通省、東京都、横浜市などにも大きな政策的な瑕疵があると思える。 すなわち多くの人々を冤罪地獄の恐怖に陥れているこの問題は、何も司法の問題だけでなく、ひろくは日本における国土政策、都市政策の誤りでもあると思う。 たとえば横浜市と同じ人口規模を持つベルリンの交通網をみると、横浜市内の鉄道網の貧弱さに唖然とさせられる。 私は大学で全学リスク管理委員長をしている。大学の教員は、誰も自分だけはそんなことにならない、巻き込まれないと思っているようだ。そうだろうか。 たまたまだが「それでもぼくはやっていない」の周防監督は、私の大学の附属高校を卒業されている。 私達は、いつなんどき冤罪地獄に巻き込まれないとは言えない。私は教員にそう警告している。 もちろん痴漢はれっきとした刑事犯罪であるが、刑事犯罪であればこそ、断じて「推定有罪」はあってはならない。 最後に、最高裁判事が言うように、被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い、「合理的な疑いを超えた証明」の視点から厳しい点検が欠かせない。 と同時に、沿線に明らかに交通容量を超える土地開発、住宅開発を行い続けている都市産業、電鉄会社にも、この痴漢事件、冤罪の責任の一端はあるだろう。 |