小泉政権、とくに竹中平蔵大臣(当時)の「財政・金融改革」に徹底的に異議を唱えていた植草一秀早稲田大学大学院教授(当時)が痴漢などの容疑で最高裁で実刑が確定した。
植草氏は、1979年に東京大学文科2類に進学、1983年3月、東京大学経済学部経済学科を卒業している。その後の経歴は以下に示すように絵に描いたようなエリートコースそのものである。
- 1983年 4月、野村総合研究所に入社し経済調査部を担当
- 1993年10月、スタンフォード大学フーバー研究所(Hoover Institute)客員フェロー
- 2003年 4月、早稲田大学大学院(専門職大学院)公共経営研究科教授。大阪経済大学客員教授
その植草氏は、2004年、4月に東京の品川駅構内のエスカレータの登り階段で女子高校生のスカートの下に手鏡を差し出したとして逮捕された。
この逮捕は、なぜか逮捕後数ヶ月後になってマスコミの記事になり、早稲田大学大学院の教授職はじめ当時連日のように出演していたテレビ番組などの仕事を失い、表舞台から去ることになる。
結局、植草氏には罰金50万円、手鏡1枚没収の判決が言い渡され、刑が確定した。植草氏は、同4月、スリーネーションズリサーチという名の会社を登記し、自らをその代表取締役となった。
上記の事件で非常に不可解なのは、なぜ、植草氏が手鏡を出した段階で刑事に逮捕されたのかということである。直感的に分かることは、常々、小泉政権、とりわけ竹中氏の経済、財政、金融政策を批判していた植草氏に、意図的に警察関係者がつきまとっていたのではないか、ということである。
仮に植草氏にその種の癖があるとしても、品川駅構内のエスカレータの登り階段にいた植草氏がいきなり、すぐに逮捕されるのはわきめて不可思議である。
この不可思議さは、その後も続く。
......
その後、2006年4月に、名古屋商科大学の客員教授として着任したが、同年9月には迷惑防止条例違反で再び現行犯として逮捕され免職。10月には電車内の痴漢行為容疑で東京地検から、「常習性があり悪質」として逮捕容疑で起訴され、東京拘置所に拘置された。
2007年1月、保釈が認められ、保釈金を支払い、保釈されたが、2008年4月、東京高等裁判所で控訴が棄却。2009年6月、最高裁判所への上告が棄却され、懲役4ヶ月の実刑が確定した。
実刑判決につながった2つめの事件はこうだ。
2006年9月13日午後10時すぎ、青物横丁から大森海岸駅に向かう京浜急行下り列車内で、女子高校生のお尻をスカートの上から触ったとして、東京都迷惑防止条例違反で植草氏は再度逮捕された。
新聞各紙は、被害者が「やめてください」と声を上げたため異変に気付いた男性2人が取り押さえ、駅事務室に連行した、とされている。植草氏は女性とまったく話しもさせてもらえなかった。そして何と力づくで引き離され、ホームに引きずり出されたという。
その後開かれた公判には、肝心要の「被害者」である女子高校生は、一度も出廷していないという。
さらにこの植草事件では、疑義が深まる。
2007年1月25日の公判では、蒲田駅に到着してから蒲田署の担当巡査が出動指示を受けるまで、わずか3分しかかかってないことが、警察の記録により明かされている。
いうまでもなく、上記はよほどの準備、計画がなければできないことである。
12月20日の第2回目の公判では、検察側の目撃者が取り押さえた男性を「私服」と呼んでいたという。エーなんだこれ!
これが意味するところは明らかである。
このような不自然さはさらに続く。
3月28日の公判では、検察側の目撃者が「私服」と呼んだ男性が次のような証言をしている。
「私服」とおぼしき男性は、たった一人で植草氏をホームに連れ出し別の「協力者」に移動を手伝ってもらい、電車からホームに降り、「駅員さんを呼んでください」とそこにいた乗降客に依頼、駅員に来てもらった、と話している。
果たして、一般乗客で上記のことが、わずか3分以内にできるであろうか?
ここで明白なことは、もし、逮捕した者が「私服」の警察官であったなら、証言台に立ってその身分が発覚すれば一大スキャンダルとなるのは間違いない。一言で言えば、植草氏を標的とした警察側のヤラセ、デキレースとなるからだ。
そこで公判では、「私服」の代わりに別の者、すなわち替え玉人を証言台に立たせる。だが、その替え玉は、当然、事の顛末が分からないから、上記の様なことになるのではなかろうか。
上記から容易に想定されるのは、次のことである。
取り押さえた男性は、あらかじめ植草氏、とくに電車のなかにつきまとい、ひょっとしたら女子高校生とおぼしきダミーの女性をあらかじめ用意しておき、一緒に植草氏に近づく。彼女が「やめてください」と声を上げ、その後、すぐにそばにいる「私服」が取り押さえたということだ。
例によって大メディアは警察、検察の言い分を垂れ流すだけである。私の教え子が冤罪になりかかった事件(初審で勝訴し、横浜地検は東京高検に控訴を断念した事件)でも、大マスコミ(朝日新聞系の神奈川新聞)は、当初、実名をあげK君を犯人隠避、教唆でであるかのような記事を出している。
しかし、起訴後、7回に及ぶ横浜地裁で開かれた公判には、読売新聞記者が毎回傍聴したものの、私や同僚の教授等が知る限り、神奈川新聞や朝日新聞の記者は判決以前に傍聴することはなかった。
結局、大メディアの多くは、本来、警察、検察の言い分を鵜呑みにするのではなく、しっかり公判に足を運び、すこしでも冤罪の可能性があるなら、それを足を使い徹底的に追跡調査し、紙面とすべきである。
ここにも大メディアのどうしようもない劣化の現実をみる!
つづく
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