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例年のように今年(2013年)のゴールデンウィークも、研究所の保養所がある群馬県西部にでかけた。 下のコラムにあるように、同一時期、同一地点、同一標高での桜の開花は、このところ年々遅れている。直接的な原因は、気温の低下である。 ◆青山・池田・鷹取:年々遅れる桜の開花〜群馬県北軽井沢 実際、東京を出発したのが4月26日夜、北軽井沢に到着したのは深夜近くだったが、何と現地は雪だった。翌朝27日は好天だったが、早朝の外気温は3度以下と、この時期としてはめちゃくちゃ寒かったのである。 本ブログでは、ブログ調で上州(群馬県)、信州(長野県)、甲州(山梨県)の春を開花で追ってみた。 ●2013年4月27日 晴れ 北軽井沢で最初に行く場所と言えば、それは鎌原観音である。 ◆鎌原観音 鎌原観音は、天明3年に浅間山が大爆発、噴火した際、村民が高台にある観音堂に逃げ込んで命が救われたことで有名だ。鎌原地区のお年寄りは、毎日鎌原観音にお祈りし、観光客などへのもてなしをしている。 鎌原観音の入り口 撮影:青山貞一 鎌原観音のお地蔵様。新しい着物が鮮やかだ 撮影:青山貞一 鎌原観音。この階段の上に逃げ込んだ村民は命が助かっている 撮影:青山貞一 鎌原観音のお堂の隣には、かやぶき屋根の小屋がしつらえられている。そこには毎日、地元のお年寄りが朝からお昼過ぎまで詰めていて、お参りする人々に御茶やおつけものを用意している。 おつけものは鎌原キュウリや高原キャベツの塩漬け、タクアンなどだが、とても美味しいので、いつも楽しみに頂いている。御茶を飲みながら、お年寄りとしばし談笑。いろいろなお話を聞くことが出来る。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 観音堂の一角に置かれた書物の上には、鎌原は日本のポンペイであると書いてある。言うまでないが、ポインペイはイタリア・ナポリの南にあり、ヴェスビオス火山の大噴火で西暦90年頃、町全体が噴火による灰に埋まった町だ。
天明3年の浅間山大噴火遺跡の解説 撮影:青山貞一 火砕流に追われ観音に逃げ込んだ村民の中で、 母親をおんぶし階段を上ろうとし、途中で息が絶えた親子の遺骨 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 下は観音の近くにある資料館所蔵の天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村の絵である。おどろおどろしさが絵によく現れている。 天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村 上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村。 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 出典:鎌原村郷土資料館 下は同じく天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村の絵。上側(南側)にあるのが浅間山、下側(北側)が鎌原村となる。 天明3年(1783)の浅間山大噴火と鎌原村 上側にあるのが浅間山。下側が鎌原村。 出典:鎌原村郷土資料館 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 2008.5 鎌原観音は北軽井沢保養所に比べ、標高がかなり低い。そのため山桜さえ咲かない北軽井沢と違い、下の写真のように境内にあるソメイヨシノは満開だった。 群馬県嬬恋村鎌原観音のソメイヨシノ 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S8 2013年4月27日 群馬県嬬恋村鎌原観音のソメイヨシノ 撮影:鷹取敦 ここには「ソメイヨシノ」と「辛夷」が重なって植えられていて、辛夷の花もまだ咲いていました。4月中旬の寒さで蕾がやられ、花の先端が茶色に寒さやけしていたのが印象的でした。 お茶当番のおじいさんが話していた。下の方の写真では辛夷がさくらとかさなっているところがよくわかる。辛夷はもう一ヶ月も咲いているって。それだけ寒くて花は遅々としてさかず、長持ちしているのだ。 群馬県嬬恋村鎌原観音の「ソメイヨシノ」と「辛夷」 撮影:鷹取敦 ◆鎌原神社 鎌原観音から東に向かう道路沿いに、ひっそりとたたずむ鎌原神社がある。境内にはこれといった春の花はなかったが。 撮影:青山貞一 鎌原神社には、下の写真にある江戸時代天明8年頃に建てられた古い郷蔵(倉庫)が現存している。天明8年と言えば、天明3年の浅間山大噴火の後にあたる。村民は、いざというときに備えた備蓄庫と考えられる。 それにしても、かくも古い備蓄庫が残されているのは、日本全体としても希有ではないだろうか? 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 撮影:青山貞一 つづく |