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2009年7月4日と5日、沖縄県読谷村の依頼により青山貞一(東京都市大学教授、環境行政改革フォーラム代表)、池田こみち氏(環境総合研究所、環境行政改革フォーラム副代表)、坂本博之氏(ゴミ弁連事務局長、弁護士、環境行政改革フォーラム幹事司法担当)の3名が読谷村で講演した。 講演会の前後、読谷村内を視察した。私自身、今回で読谷村は4回目だが、やはり読谷村の副村長ら関係者に案内してもらうと今まで見なかった場所は文化が見えてくる。 ■沖縄戦の悲劇、集団自決の場所! 沖縄県読谷村は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が沖縄本島に上陸した場所。村内には2つの米軍施設が所在。合計1,261 haの軍用地が存在し、村面積の36%を占めている。
読谷補助飛行場(海兵隊)と楚辺通信所(海軍)は、2006年に全面返還された。瀬名波通信施設(空軍)はマイクロウェーブ塔部分(約0.1
ha)を除くほぼ全部が2006年に返還された。
◆読谷村集団自決事件生存者証言集・読谷村戦時記録 ■読谷村と言えば大河ドラマ「琉球の風」 読谷村と言えば、NHKの大河ドラマ「琉球の風」の舞台、オープンセットがあったところだ。 『琉球の風 DRAGON SPIRIT』(りゅうきゅうのかぜ ドラゴン スピリット)は、1993年1月10日から6月13日まで放送された第31作目のNHK大河ドラマ。16世紀末〜17世紀初頭、琉球王国が薩摩藩島津氏により支配されていく時代の人々を描いたものだ。 朝鮮、ベトナムなどと同様、独立国だった琉球王国。慶長14年(1609年)、薩摩により侵略支配され属国になるものの、独自の歴史と文化に誇りを持ち続けた。主流の歴史観では顧みられなかった悲哀の歴史を描く大河ドラマ第1弾でもある。 NHKの大河ドラマ「琉球の風」の舞台、オープンセット この「琉球の風」には東山紀之はじめ、渡部篤郎、小柳ルミ子、原田知世、工藤夕貴、沢田研二、寺島しのらが出演していた。 出典」:Wikipedia 7月4日の昼食、その中心となった赤瓦屋根の家で沖縄そばを食べた。 NHKの大河ドラマ「琉球の風」の舞台となった場所 NHKの大河ドラマ「琉球の風」の舞台となった場所 ■現在は新たな文化の発祥地! 現在の読谷村には多くの文化が芽生えている。多くのガラス細工や窯業の工場があり、若い人たちがそこで働いている。読谷村は芸術村でもある! ガラス細工の工芸館、ほむら工芸館 ガラス細工の工房 物色する池田さん ガラス細工とは別に読谷村には、焼きもの(陶器)の工房が沢山ある。 読谷村の窯業 読谷村にあるのぼりがま 読谷村にあるのぼりがま 作品を売っている「北窯」 ■読谷村は自然と共生する独立文化王国? 今の読谷村は、日本全体がとりつかれている「はこもの」主義から脱却し、自然と共生する文化村、しかも地理的に国道から離れた半島であることから独立王国的な存在となっている。 そのためにも産廃処分場問題は解決しなければならない! かつてアメリカ軍が上陸した西海岸も、いまでは瀟洒な別荘風住宅や粋なイタリア風レストランなどが散在し、残波岬には広大な公園がある。 読谷村の西海岸 読谷村の西海岸にて、筆者 残波崎の公園。大きなシーサー増が像がある! ハイビスカスの飾りを付けご満悦の池田さん その公園には誰でも使えるバーベキュー施設があり、もちよった肉や野菜で食事が楽しめる。 皆で懇親会 2009年7月4日 読谷村にて 残波岬の夕日 ただし、この写真は2009年2月に環境総合研究所の現地視察 で沖縄県を視察したときに撮影したもの。 |