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シルバーウィークの初日の2009年9月20日、長野県北部でユニークな歴史文化のまちづくりを進めている小布施町に青山、池田、鷹取の3人ででかけた。 青山は長野県に特別公務員で行っていたとき、田中知事(当時)と小布施町にでかけたことがある。 このときは小布施町と高山市の境界上にある雁田山が採石場となっていて樹木、植物が丸裸となっており、小布施町からの景観が悪化していた。そこで雁田山に植樹して自然景観を修復するための植樹祭で雁田山に知事と一緒に出かけた後、小布施町に立ち寄った。 下のブログは、そのときに書いたものだ。当時、有名な小布施堂(和菓子屋)の副社長で私を案内してくれた、市村良三さんが今の小布施町長である。
今回は、別荘→鬼押し出しハイウェー→国道235号線→大笹→国道144号線→鳥居峠→国道406号線→須坂→国道403号線→小布施町のルートで北軽井沢から小布施町に入った。走行距離は50km弱、時間は一時間ちょっとである。 下は国道144号線の鳥居峠手前にある初秋の田代湖。 下は国道144号線から国道406号線に入るところ。 下は小布施町に入る直前の国道403号線上の標識。 当日は、めずらしいほどの好天気。空も写真のように真っ青だ。 小布施町に入った後、まずは駐車場を探す。下の写真は小布施町駅。 ■小布施堂 小布施町と言えば、小布施堂、私が、当時書いたブロブによれば「小布施町と言えば、葛飾北斎、そしてグランドデザインのないまちづくり、そして栗菓子で有名な小布施堂である。今回は、小布施堂の副社長、市村良三さんに小布施のまちづくりの背景、発端、歴史などを伺い、議論したあと、約1時間、小布施堂界隈をじっくり歩き、民家やひとつひとつのお店のなかにも入らせていただいた。市村さんによれば、小布施町は昭和42〜43年、ほとんど誰も来ない人口9000人の小さな町だったそうだ」とある。 小布施堂 小布施堂 小布施堂本店 以下は、小布施堂創業からのお客へのメッセージである。
小布施堂を背景に ■栗のこみち 小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち 小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち 小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち 栗のこみちの池田こみち ■高井鴻山記念館 栗のこみちには、高井鴻山記念館の裏門がある。 高井鴻山は、豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった。その高井鴻山に関する資料が高井鴻山記念館集積・展示されている。 おびただしい数の作品もさることながら、鴻山の書斎鋤Z然楼(ゆうぜんろう)など当時の面影を色濃く残す建物群が訪れる人の心を揺さぶります。例えば鴻山が北斎のために提供したアトリエ碧諸ハ軒(へきいけん)は、ひと間しかない極めて質素な一軒家にすぎないが、そこには北斎の面影と彼を慕った鴻山の想いが感じられ、それはガイドブックや書籍では絶対に伝えることのできない“当時を生きた人の残り香”と言えるだろう。 高井鴻山 ■北斎館 ところで、誰も来ない人口9000人の小布施町、それが一変したのは、岩松院の天井画、八方睨みの鳳凰図で全国的に有名な葛飾北斎を記念する「北斎館」を昭和51年に小布施町に開館したときからだった。 北斎館の入り口
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