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里山の紅葉狩りを楽しむ
C花楽の里から沢渡へ

青山貞一池田こみち・鷹取敦


19 October 2009
初出:独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁


 10月18日、日曜日は、朝、草津温泉を出発し、県道55号線、国道405号線、国道292号線を走り紅葉狩りを楽しんだ。

 おおよそ六合村町役場まで292号線を引き返し、左折して県道55号線を中条町方面に向かう。中条町に入る車坂峠の直前に、「花楽の里」がある。




撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日

 群馬県六合村の「花楽の里」については、「独立系メディア」で以下のように紹介してきたので参照して欲しい。

◆青山貞一・池田こみち:真夏の上信越を行くG花楽(からく)の里

 何度も来ている「花楽の里」だが、今日は本当にすばらしい天気だ。まさに里の秋にぴったり。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日

 花楽の里を後に、私たちは県道55号線で六合村から中之条町にある沢渡温泉を目指す。そこで昼食だ。

 下の写真は六合村の「花楽の里」から中条町の「沢渡温泉」に行く途中の中山間地の風景。この辺はまだ標高が低く、本格的な紅葉はこれからだ!


撮影:池田こみち Nikon CoolPix10  2009年10月18日

 花楽の里を後に、私たちは一路、中条町の沢渡温泉を目指す。途中、若山牧水の碑に出会う。そういえば、花楽の里から沢渡温泉の間は、「若山牧水」になじみが多い場所だ。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日

若山牧水

 1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、明治から昭和初期の歌人。本名・繁(しげる)。

 宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。

 旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。

 自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。

 また、情熱的な恋をしたことでも知られており、喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードである。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した業績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与している。

 1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし、「早稲田の三水」と呼ばれる。

 1908年(明治41年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。

 1911年(明治44年)創作社を興し、詩歌雑誌「創作」を主宰する。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。

 1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。

 1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。

 1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。大正11年10月、御代田駅より岩村田へ向かい、佐久ホテルに逗留し、数々の作品を残す。

 1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。

 1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国する。翌1928年夏頃より病臥し、自宅で死去する。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。

 牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。長男・旅人も歌人となり、沼津市立若山牧水記念館の初代館長をつとめた。

出典:Wikipedia


 ここから沢渡温泉までの間には、国土交通省及び林野庁所管の多数の砂防ダムがあるが、これについては、別途、論考を書きたい。

 下の写真は有笠山。そそり立つ岩場でロッククライミングもあるという。この有笠山が見えてくると、もうすぐ沢渡温泉だ。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日

 有笠山は標高は882m。登山道は整備されているが頂上へのアプローチは鎖場・はしごがある。コース途中には有笠西石門や先住民族の遺跡(弥生時代中期)といわれる洞窟などもあるという。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年10月18日

 上州軒というラーメン屋で昼食をいただく。味噌ラーメン、中華丼、いずれも500円だが、量も多く味も良い!


沢渡温泉の上州軒へ
撮影:鷹取敦 Casio EXH10 2009年10月18日


沢渡温泉の上州軒
撮影:鷹取敦 Casio EXH10 2009年10月18日

 以下は、沢渡温泉の共同浴場。今まで何度か沢渡温泉に来ているが、ここの源泉はすべすべしてなかなか泉質がよい。200円で共同浴場にも入れる。以下は前回来たとき撮影したもの。


沢渡温泉の共同浴場(温泉)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年9月


沢渡温泉の共同浴場(温泉)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix8  2009年9月

 沢渡温泉で昼食をとった後、私たちは一路、中条から前橋、上信越自動車道経由で東京にもどった。