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本コラムの分類<世界紀行>
2009年は1999年にベルリンの壁崩壊から20年の記念すべき年である。そこで、東方諸国を中心に、壁崩壊後に訪問した欧州各地で撮影した写真を紹介したい。 ベルリンの壁は崩壊して20年経ったが、東欧諸国だけでなくいわゆる西欧諸国の真価が問われるのはこれからだ。G7諸国を見るまでもなく、新自由主義を謳歌した多くの国々は、リーマンショック以降深刻な経済社会の崩壊に瀕している。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix ベルリンにて またベルリンの壁崩壊後、湾岸戦争、イラク戦争はじめ多くの戦争が起き、多くの罪のない市民が殺されてきた。さらに豊かさと便利さを追い求める先進諸国の行く末には、気候変動による地球温暖化という深刻な環境問題が横たわっている。 第二回目は、旧ユーゴスラビア社会主義共和国、現在、人口わずか約60万人で独立したモンテネグロのヘルセグノビである。モンテネグロはイタリア語で「黒い山」を意味する。 ヘルセグノビは、「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドブロブニクの国際空港から車でわずか30分足らず、ここも欧州市民垂涎の保養地であり、リゾート地となっている。すばらしいのはアドリア海に面する世界一美しいと湾言われるコトル湾の水とそのコトル湾に落ちる黒い山々である。日本人にほとんど知られることのないモンテネグロのヘルセグノビを写真で紹介しよう。 |
モンテネグロのヘルセグノビの位置だが、ヘルセグノビはアドリア海に面するコトル湾の入り口、下の3次元立体地図の左下にある。一方、上の写真は、Herceg Noviの「H」の位置で山側を撮影したものである。 出典:Kotor Bay Map 中世から近世の欧州の歴史を紐解くと、アドリア海沿いには、ヴェニス、ドブロブニク(当時はラグーサ)とモンテネグロの3つが都市国家として敢然と輝いていた。とくに18世紀にモンテネグロの周辺はすべてオスマントルコ(Ottoman)であったことからも、小さくともキラリと光モンテネグロの存在感が分かるというものだ。アドリア海をはさんだ対岸には、イタリアの港町、バーリがある。 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix 10 下の写真を見て欲しい。この世の物とは思えないほど美しいコトル湾の水である。半閉鎖性水域でこれほど美しい水をたたえる湾は、おそらく世界でここだけであろう。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix 10 アドリア海の温暖な気候のもと、ヘルセグノビは南国ムードいっぱいだ。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix 10 海辺には別荘、保養所がゆったりとたっている。 ヘルセグノビにも立派な旧市街がある。現在はカフェテラスなどとして、地元の人々や観光客、保養客の憩いの場となっている。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix 10 下はコトル湾をはさんでヘルセグノビの対岸にある標高600mのルスティカ山頂から撮影したヘルセグノビの遠景である。背後に「黒い山」が連なっていることが分かる。山頂には青山の友人の別荘がある。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix 10 ヘルセグノビからルスティカ山頂に行くには、途中、コトル湾をフェリーで横切る。その後、ティバットという飛行場の脇を通り、ルスティカ山に登る。下はルスティカ山の別荘に行く途中のフェリーにて撮影したもの。真ん中がモンテネグロ・ヘルセグノビに在住する友人のランコ・ボッカ氏、左は南ロシアから保養・療養に来ているビクターさんである。 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix 10 コトル湾を背景に 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix 10 |