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貧困・格差社会問題
新進気鋭の論客、湯浅誠氏


独立系メディア編集部

掲載日:2009年1月8日


 以下は、日刊ゲンダイ2009年1月9日号とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の湯浅誠を出典としています。
 

 「湯浅誠」という名前に聞き覚えがあるだろうか?

 そう、湯浅誠氏は、昨年末から正月明けまで東京都千代田区のど真ん中、日比谷公園で派遣切りなどで仕事と住まいを一挙に無くした人々を「年越し派遣村」で全面支援したあの村長さんである。

 湯浅氏は、1969年生まれ。したがって現在39歳である。非営利活動法人(NPO)自立生活サポートセンターもやいの事務局長であり、文筆家でもある。

 湯浅氏は、東京都小平市出身。私立の進学校、武蔵高等学校を卒業後、難関、東大法学部に入学、卒業後、東大大学院法学政治学研究科を単位取得退学している。

 経歴を見ると、霞ヶ関の官僚も及ばない超エリートのようだが、湯浅氏は何と大学院在学中の1995年頃よりホームレス支援などに関わっている。そして日本経済新聞記者だった父親の死をひとつのきっかけとして貧困者支援活動に専念するようになった。

 ホームレス支援と同時に、現在顕在化している我が国の格差社会問題や貧困問題に正面から取り組む。

 一体どうやって食っているのか不思議である。

 湯浅氏はNPOもやい事務局長職はボランティア(無給)、すなわち給与をもらっておらず、東大の大学院を辞めてからは、毎月わずか数万円で生活していたというのだ。

 小泉政権の閣僚だった弱肉強食の市場原理主義者、竹中平蔵氏による「日本に絶対的な意味での貧困は存在しない」との発言に湯浅氏は大反発、『貧困襲来』(山吹書店)を執筆する。この著作の執筆がきっかけとなり、文筆依頼や講演が舞い込むようになり、それらの報酬もあって、以前の生活よりいくらか生活は改善したという。

 2008年12月、著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』で平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞、大佛次郎論壇賞を受賞する。この反貧困は10万部をを超えている。

 2008年12月31日、社会問題化したいわゆる「派遣切り」への緊急対策として、湯浅氏は他のNPOと協同し、日比谷公園内に「年越し派遣村」を開設し、村長として運営を取りもみする。これ以降、とくに年末年始はテレビ、新聞で大々的に「年越し派遣村」が報道されることになった。

 ところでWikipedeiaの「湯浅誠」では以下の興味深い論考がある。

 湯浅氏は自身の経験から、小泉純一郎による「聖域なき構造改革」以降の日本社会で顕在化した貧困において、個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスには5つの排除構造が存在すると指摘している。
教育課程からの排除
親世代が貧困状態である場合、その子供たちは多くの場合中卒あるいは高校中退で社会に出なければならず、社会的階層上昇(貧困脱出)の為の技術や知識、学歴を獲得することが極めて難しい。この背景には、日本がOECD加盟諸国の中でも、学校教育費への公的支出のGDP比が下から2番目という、教育関係への公的支出が極端に少ない国であるという問題がある。
企業福祉からの排除
小泉構造改革によって激増した非正規雇用の人々は、正規雇用の人々に与えられている雇用保険や社会保険、企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されており、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。
家族福祉からの排除
低負担・低福祉である日本社会では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしているが、貧困状態に陥る人々はもともと頼れる家族・親族が居ない(例えば家族・親族もワーキングプアであるなど)ことが多い。
公的福祉からの排除
「ヤミの北九州方式(水際作戦)」に代表されるように、現在の日本では生活保護担当の公務員は、申請者をあれこれ理由を付けて追い返すことばかりに力を入れており、いよいよ追い詰められた状況でも生活保護受給に辿り着けない者が非常に多い。湯浅は現在、生活保護受給資格があるにも関わらず「水際作戦」などによって生活保護から排除されている人々(漏給と呼ばれる)を600万人から850万人と見積もっている。
自分自身からの排除
上に述べた4つの社会的排除に直面した結果、自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう状態を言う。

 さらに湯浅氏は日本社会に特徴的な病理として「自己責任」論を厳しく批判する。

 湯浅氏によると、日本社会に蔓延する自己責任論は、自他の持つ社会資本の格差(親の所得格差、人脈の有無など本人の努力以外の部分で社会における有利不利を決定づけるもの)を見落としているという。

 またこうした自己責任論はいわゆる「負け組」の人々においても内面化されてしまっており、所持金が底をつきどうにもならなくなるまで「自己責任」で頑張りすぎる者が非常に多いと湯浅は指摘している。

 「負け組」におけるこのような自己責任論の内面化の弊害として、より早い段階で各種の支援事業にアクセスすれば防げる事態の悪化(多重債務や一家離散、自殺、無理心中など)を湯浅は挙げている。