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2012年10月3日の原子力防災計画策定会議終了後、私達は有島武郎記念館を再度訪問し、加藤課長や学芸員から説明を受けました。 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 これは記念館入り口。有島武郎に関連するたくさんの写真がモザイク状に組み合わせてあります。何でも、この記念館の建物自体が、北海道の形を表しているそうです。 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 有島武郎は長野県軽井沢にも縁が深いそうです。 このところ、文学との接点がなかった私達ですが、ひさびさ文学の香りを満喫しました。札幌農学校に学び農民に思いを寄せた有島の生き方は、岩手の宮沢賢治を思わせます。花巻の宮沢賢治記念館には、昨年、被災地現地調査で岩手県を訪れたときに寄りました。 有島武郎 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 出典:chocolacafe715
以下は、記念館の公式Webからニセコ町と有島武郎についての紹介です。 <有島武郎記念館の概要> ・目 的 有島記念館は、大正11年、ニセコの地で画期的な農場解放を実践した有島武郎に謝恩の意味を込め、また文学をはじめ、その多彩な業績を広く紹介するため、昭和53年、農場事務所跡地近くに開館されました。 館内では、写真、書簡、書、絵画、初版本などを展示し、有島武郎の生涯と文学、農場の解放にいたる軌跡を紹介しています。 ・記念館の沿革 有島記念館の前身―農場事務所での有島記念館及び火災後の有島記念館 有島武郎による農場解放の後、設立された狩太共生農団では、団員の合議制により、相互扶助の思想のもと経営されてきましたが、戦後の農地改革で解団されるにあたり、故農場主有島武郎の遺徳を偲び、その思想を後世に伝えるべく、有島謝恩会を結成して農場事務所の一部を有島記念館とし、その維持管理に当たりました。この記念館は不幸にも焼失しましたが、有島謝恩会が中心となり、昭和38年、有島記念会館として開館しました。 ・ニセコ町による現在の有島記念館 その後、建物の老朽化、農業を巡る状況の悪化等々の事情から、有島武郎生誕100年に当たる昭和53年、ニセコ町により、現在の有島記念館が建設され、謝恩会から引き継いだ資料をもとに展示、開館されました。農民が創設し、ニセコ町の町民が継承したこの記念館によって、有島武郎の明澄な思想、文字の一端に触れていただければ幸せです。 有島武郎記念館 これは記念館に飾ってあった写真から 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 なお、ニセコ町の東側には約1800mの羊蹄山があります。これは富士山にしたシンメトリーのすばらしい山ですが、有島武郎記念館からは、この羊蹄山がよく見えます。 有島武郎記念館にて 撮影:Nicon Coolpix S8 2012.10.3 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 ということで、片山町長はじめニセコ町のみなさまには大変お世話になりました。本来の意味での自治体、また、有島武郎が残した相互扶助を町民参加に生かしている町、ニセコ町が今後とも、日本の基礎自治体にさまざまな規範となることを期待しています。 ニセコから見た羊蹄山 撮影:青山貞一 Nicon Coolpix S8 2012.10.3 有島武郎作品リスト 或る女 An Incident 生まれいずる悩み 運命と人 描かれた花 遠友夜学校校歌 惜みなく愛は奪う 溺れかけた兄妹 親子 カインの末裔 火事とポチ 潮霧 狩太農場の解放 かんかん虫 クララの出家 幻想 碁石を呑んだ八っちゃん 小作人への告別 自然と人 私有農場から共産農団へ 星座 聖書の権威 宣言一つ 想片 小さき者へ 燕と王子 ドモ又の死 農場開放顛末 農民文化といふこと 卑怯者 一房の葡萄 広津氏に答う 二つの道 片信 僕の帽子のお話 北海道に就いての印象 骨 真夏の夢 水野仙子氏の作品について 私の父と母 |