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霞ヶ関から皇居周りの桜

青山貞一 池田こみち 

掲載日:2014年4月1日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


 今日(2014年4月1日)は霞ヶ関にある日弁連の法曹会館で講演(米国の沿岸域管理法)の後、池田こみちさんと霞ヶ関の法曹会館→桜田門→半蔵門→千鳥ヶ淵手前→田安門→北の丸公園(皇居内)→九段下と歩きながら桜見物をしました。

 下の写真は内幸町から法曹会館に行く途中にある日比谷公園の噴水です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下は日比谷公園のしだれ桜。背後のビルは霞ヶ関第四合同庁舎です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 以下の写真は法務省と桜です。日弁連の法曹会館で講演した帰り、最初に寄ったのは法務省です。実は法務省の2階に無料のギャラリーがあり、日本の司法、裁判の歴史文書や写真、模型が沢山展示されています。諸外国の裁判所の模型などもあります。さすがに日本における冤罪の歴史一覧(笑い)などはありませんでしたが、霞ヶ関に行って30分でも時間が余ったら、このギャラリーに入ってみるのも良いと思います。

 入るまで看守、護衛が沢山いて面倒でしたが、別に身分証明書を見せる必要も無く、入館時のセキュリティーチェックはありませんでした。ただし、内部での撮影は一切禁止でした。後ろに見える高い建物は、東京地方検察庁・公安調査庁・法務省検察庁の入るビルです。駐車場には被疑者移送用のバスが数台、停まっていました。私たちは、弁護士会館から一旦日比谷公園側に出て、法曹会館の前を通って桜田門に向かいました。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 この敷地は、敷地は江戸時代に米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)であり、その記念碑も建立されています。以下は、Wikipediaからの解説です。

◆法務省建築物(旧司法省庁舎)

 旧司法省庁舎として1895年に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築である。基本設計は建築顧問官を務めていたお雇い外国人のドイツ人建築家ヘルマン・エンデ(Hermann Gustav Louis Ende)とヴィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Bockmann)で、実施設計と工事監理は河合浩蔵が行った。官庁集中計画は頓挫したが、旧大審院(最高裁判所)庁舎とともに明治の近代公共建築を象徴する建物となった。

 1923年の関東大震災では煉瓦外壁が鉄材補強されていたことでほぼ無傷で乗り切ったものの、1945年の空襲により壁面と床以外を全て焼失した。

 1950年に法務府庁舎(1952年からは法務省本館)として再利用されることになるが、それにあたっての改修工事では屋根材(スレートから瓦)等に変更が加えられた。

 しかし1994年の改修工事では文化財としての観点から創建時の外観に戻され、法務総合研究所及び法務図書館として利用されるようになった。同年12月27日には国の重要文化財に指定。

出典:Wikipedia


撮影:池田こみち ニコン CoolPix S2400

 以下の地図にある赤線が「霞ヶ関・皇居の桜見物」コースです。


出典:グーグルマップ

 以下の写真にある門は、かの「桜田門外の変」の桜田門です。

 警視庁の真ん前に位置しています。今日は何しろ天気が良く、温暖で気持ちの良い一日でした。桜田門の中には入れますが、ほんの一本の桜があるだけでした。

 「桜田門外の変」は、安政7年3月3日(1860年3月24日)にこの桜田門外の外、すなわち警視庁近くで、水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が彦根藩の行列を襲撃して、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。吉田松陰はこの変に連座したなどで斬首されています。


撮影:池田こみち ニコン CoolPix S2400


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

◆桜田門

 江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。

出典:Wikipedia


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下の桜は、半蔵門手前、三宅坂にある最高裁判所前の桜です。私は最高裁判所の建築物はデザイン、色彩、質感などいずれも評価できません(笑い)。桜の背景にある最高裁判所は、まさに「何だこれ」です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下の写真は桜田門から半蔵門に向かう途中で撮影しました。黄色い菜の花の奥にソメイヨシノが咲いています。背景は皇居です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下の写真は、半蔵門手前で撮影したものです。左の花はぼけ(木瓜、学名: Chaenomeles speciosa)です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

◆ボケ(植物)

ボケ(木瓜、学名: Chaenomeles speciosa)は、バラ科ボケ属の落葉低木。果実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したとも言われる。

学名の speciosa は、「美しい」、「華やか」、Chaenomeles は「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が語源。日本に自生するボケは、クサボケといわれる同属の植物。

出典:Wikipedia


出典:グーグルマップ

 下の写真は半蔵門から千鳥ヶ淵に向かう途中のものです。さまざまな花と木の共演です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

◆半蔵門

 江戸城(現在の皇居)にある門の1つ。江戸城城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(現・国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。住所は東京都千代田区麹町1丁目。また半蔵門・半蔵門駅周辺の呼称。

 この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされた。現在は吹上御苑と呼ばれ、御所(今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が田植えをする水田などがある。

 太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。

出典:Wikipedia

 下の写真は、千鳥ヶ淵珠恵で撮影したものです。お堀の水面が綺麗に写っています。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ


撮影:池田こみち ニコン CoolPix S2400

 下は半蔵門付近で撮影した「つくしんぼ」です。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ


出典:グーグルマップ

◆田安門と北の丸公園

 もともと太田道灌らが江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった築土神社(旧田安明神)の旧地であり、のち、徳川家康が入府した際に、関東代官であった内藤清成らの屋敷となったため、代官町と呼ばれた場所である。

 その後、徳川忠長や徳川綱重らの屋敷を経て、明暦の大火以後は火除け地になっていたが、8代将軍である徳川吉宗が就任してからは徳川氏の御三卿であった田安徳川家が1731年に、清水徳川家が1759年に上屋敷を構えるようになった。敷地内には御蔵地や植溜御用地、馬場などもあった。

 維新後、明治政府によって近衛師団の兵営地が設置された(現在の東京国立近代美術館工芸館は、近衛師団司令部の建物を改修して利用している)。

出典:Wikipedia

 下は北の丸公園内の河津桜 か 寒緋桜 か 大島桜です(笑い)。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下の写真は国立近代博物館の工芸館です。場所は皇居内の北の丸公園の一角にあります。今日は、「花」をテーマにした陶芸、工芸、彫金、織物などの一段展示をしていました。65歳以上は無料、それ以外の大人は210円とリーズナブルです。私は今67歳なので無料、池田は210円払っていました(笑い)。展示は非常にすばらしかったのですが、何と内部で暖房を入れており、すごく暑かったです。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下は国立近代博物館の工芸館入り口前に置いてあった造形アートです。


撮影:青山貞一 ビクターGZE256 ビデオカメラ

 下は牛ヶ渕の桜です。この牛ヶ渕のほとりには有名な九段会館があります。


撮影:池田こみち ニコン CoolPix S2400

 この後、九段下にあるグランドパレスホテル1階のレストランで食事をして帰りました。