米国が画策しNATOが追随した ウクライナ、シリア紛争の結末 青山貞一 Teiichi Aoyama August 31, 2016 独立系メディア E-wave Tokyo |
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, 米国そしてNATOが1990年代の冷戦終結後、図に乗ってどんどん欧州の東へ東へと版図を広げ、ウクライナにまできたとき、米国は民選の大統領を追い払い、親米の大統領に差し替えました。
上記の画策にはオバマ政権下の米国国務省でヒラリー・クリントンの配下として動いてきたヴィクトル・ヌーランド国務次官補がかかわっているとされています。
米国は、この親米傀儡政権下でウクライナをNATOさらにEUに組み込もうとしたのです。さすがに、これには第二次世界大戦で2000万人以上の犠牲を払いながらナチス・ドイツからウクライナを中心とした領土を守ってきたロシア(当時はソ連)だけでなく、ウクライナ東部の人々が激怒しました。さらにもとはといえば、クリミア半島はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ譲渡された土地であることもあります。 ウクライナのクリミアでは、従来からウクライナ内の自治共和国におさまるか、それともロシアの一部となりロシア内の自治共和国となるかについてクリミアの住民投票が実施され、圧倒的多数の賛成でクリミア及びセヴァストポリ市をロシアの一部としての自治共和国として独立させることを選択しました。これらの住民の圧倒的多くはロシア語を話すひとびとであり、それ以来、クリミアは実質、ロシア内の自治共和国となったのです。 ウクライナとクリミアの位置 出典:Wikipedia 下はウクライナにおけるロシア語圏の割合です。東部とりわけクリミア半島が圧倒的にロシア語圏であることが分かります。これは、もともとクリミアがロシアの一部であったことに由来しています。またドンパスなど今なお戦闘が続くウクライナ東部地域(ロシアに接する地域)にもロシア語を話す人々が圧倒的に多いことが分かります。 ウクライナにおけるロシア語圏の割合 出典:Wikipedia 以下はクリミアにおけるロシア人の割合です。もともと半数以上の住民がロシア人であることが分かります。 クリミアにおけるロシア人の割合 出典:Wikipedia 下の地図はクリミア自治共和国です。首都はシンフェロポリで、主な都市はヤルタ、ケルチ、バフチサライなどがあります。半島最大の都市セヴァストポリ(地図中、左下)は軍港地区をロシアが2042年まで租借しているウクライナ政府直轄の特別市で自治共和国に含まれていません。 クリミア自治共和国の地図 出典:Wikipedia ところで、クリミアのロシアへの編入を欧米、日本、NATOは、ロシアのクリミア併合さらに侵略とキャンペーンし、執拗な経済制裁をロシアに課してきました。しかし、歴史と実態を理解する人々には、上述のようにクリミアについては当然のことと理解されているのです。 上記について、英国のテレグラフ紙は、2016年08月29日号で以下のように書いています。
テレグラフ紙にもあるように、ウクライナの悲劇が起こった唯一の原因は、米国の支援を受けEUが常に拡大を続ける帝国(=米国やNATO)にウクライナを含みこもうとする厚かましい行為にあったと言えます。 その後、ウクライナは、米国が画策し政権を転覆しようとしたイラク、アフガンなどの国家の多くがそうであるように、国内の政治、軍事はもとより、経済それに社会の基盤は、ズタズタとなり、国家の体をなさなくなってきたのです。さらにウクライナでは今でもドンパスなどの東部地域で騒乱が日々おきています。またウクライナ軍の士気はあがらないばかりかモラルも低下しているようです。
また傀儡政権化している現在のウクライナの経済は米国やEUからの援助なしにはどうにもならない状態にあります。これはEUにおけるギリシャの財政危機の比ではなく、国家としてのガバナンスもほとんどなくなっています。 ウクライナ問題は、1990年代の冷戦終結後、米国、EU、NATOが厚かましく図に乗ったあげくの果てのことです。これは米国が一方的、恣意的に独裁国家などと決めつけ、中東などで政権転覆を画策したイラク、アフガン、シリアなどの諸国に共通することなどです。 このように米国が他国に対して国連安保理決議がないまま物理的に介入することは、ジョージ・W・ブッシュ政権以降顕著となっています。しかし、米国によるこの種の政権転覆行為は、歴史的にみると、かなり前からはじまっています。それは中南米諸国が対象となっていました。これについては、米国マサチューセッツ工科大学名誉教授のノーム・チョムスキーが詳細に論じています。 閑話休題 米国が中東のアサド政権の転覆を画策したシリアでは、米国などから武器、弾薬、資金などを支援されたアサド反政府勢の一部が、最終的に世界を震撼とさせるISILに化けることになります。これは古くは、ソ連のアフガンへの南下に対応し米国(CIA)により組織された中東から寄せ集められた反ソ連勢力が、イラン・イラク戦争後、アルカイダなどに化け、さらにサウジ出身で参加したオサマ・ビンラーディンらが米国のニューヨークにあるWTCビルに航空機が突撃させるいわゆる9.11が有名です。これも、まさに身から出た錆と言えます。 以下の写真は、米国がビン=ラーディンとアイマン・ザワーヒリーを捕獲するために、賞金額を告げるためアフガニスタンに空から投下したチラシです。 出典:Wikipedia 米国に独裁国家と名指しされ米国らにより物的、財政的援助を得たアサド政権の転覆を図られたシリアは、反政府勢力のヌスラ戦線はじめさまざまな反政府勢力が勢いづくだけでなく、世界的に脅威、恐怖となるISILを生み出します。 さらに2013年4月、イラクのイスラム国(ISIL)はシリアの過激派組織アル=ヌスラ戦線と合併し、組織名をアッ=ダウラ・ル=イスラーミーヤ・フィル=イラーク・ワ・ッ=シャームとしました。 当初シリアで発生したISILは周辺諸国にもアメーバのように増殖します。 下図は2014年秋(9月)におけるシリア情勢を示します。この種の地図は多種類ありますが、この地図はCNNが戦争研究所が作成したものを公表したものです。2014年秋(9月)という時期は、ロシアのプーチン大統領がアサド大統領の承諾を得てジェット戦闘機によるISIL掃討を開始した時期です。 地図を見ると、アサド政権支配地域(赤色)とともにシリア反政府勢力のヌスラ戦線支配地域(茶色)、それ以外の反体制勢力支配地域(黄色)、それにISIL(イスラム国、灰色)支配地域、さらに北部にはシリア内のクルド人舞台(人民防衛隊)の支配地域があることが分かります。 下の地図(出典:Wikipedia)は、シリアだけでなく、イラク、レバノンにおけるISILや反政府勢力の情勢図です。この図は状況変化により随時変更されています。 以下の地図は2016年8月30日版です。次のシリア詳細図を含めて見ればわかるように、ロシアによるISIL掃討作戦後、ISIL(灰色)はイラク側に大きく流出していることが分かります。 以下はシリア部分の詳細拡大地図です。 上記の地図の凡例では、シリア人権監視団推計で約17万人となっていますが、内戦状態にあるシリアでは11年以降現在までに25万人以上の死者が出ているという統計もあります。 なお、以下は、2011年以降現在までのシリアで衝突している勢力の詳細です。出典はWikipediaです。 出典:Wikipedia 2015年秋からはシリアのアサド政権からの要請もありロシアが、本格的なISIL掃討に動きました。これは昨年の今頃からです。これによりシリア西部ではISILが大幅に掃討されましたが、上述のようにISILの残存部隊はイラクなど他国に流出することになったのです。 このように2011年から始まったシリア紛争は収束の気配を見せず、2014年末には、シリアは難民の最多発生国となりました。国外へ逃れたシリア難民は約410万人、また国内で避難生活を送っている人々は760万人にものぼっています。これはシリアの総人口の約半数、世界の避難民の約5分の1という類例をみないものとなっています。 2015年、ヨーロッパ諸国には中東やアフリカなどから前年の二倍以上の難民が殺到し、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)は2015年末、年初から欧州に到達した難民・移民の数は100万人を超えると発表しました 難民は中東(シリア、イラク)、アフリカ(エリトリア、ナイジェリア、ソマリア、スーダン)、南アジア(アフガニスタン、パキスタン)、バルカン半島西部(コソボ、アルバニア)が移民および難民の主な出身地となっています。UNHCRによれば、2015年9月時点で地中海経由の難民の内訳はシリア(51%)と全体の半分以上を占めており、アフガニスタン(14%)、エリトリア(8%)です。移民の多く(69%)は成人男性です。 ユーロスタットに拠れば2014年の欧州連合加盟国が受け取った難民申請は626,000件で、これは672,000件の申請を受けた1992年以降で最多となります。EUへの難民庇護申請の約3分の2をドイツ、スウェーデン、イタリア、フランスが受け持ち、承認された庇護難民のうちの3分の2を受け持っています。EU加盟国それぞれの人口との比率でみれば、ハンガリー、スウェーデン、オーストリアが一人当たりの難民庇護申請の届出数が上位にきます。 以下の地図は、2015年の欧州における難民受け入れ数です。過去におけるナンミンにはシリアが一番多く次がコソボ、第三位がアフガンとなっています。以降、アルバニア、イラクと続いています。またEUへの難民申請数は2014年以降急増していることが分かります。 出典:Wikipedia このように、多数のシリア難民が発生、その多くがEUになだれ込むことになったのです。EU各国はウクライナ問題どころではなくなりました。 その結果、EU各国はドイツからデンマークに至るまで、さらに、英国でも国内の民族派が怒り、メルケル、キャメロンなどEU主要国の政権を揺るがすことになり、英国では国民投票でEU離脱派が多数を占めるまでになりました。 ただ、EU諸国への難民流入問題は、上の地図にあるように、歴史的にはシリアのみならず、バルカン半島のコソボ紛争でも同じ構図となっています。これについては、巻末に<参考>として紹介します。コソボ紛争は、ウクライナ紛争にも関連しています。 EUに難民が集中した背景には、シェンゲン協定があります。この協定には26の国家(EUからの22カ国に加え欧州自由貿易連合から4カ国)が参加しています。シェンゲン圏内では国境での検問が廃止されています。一方で圏内外での往来が制限されます。 そして圏外との国境を抱える国々は国境管理の義務を負います。さらにダブリン規約(Dublin III Regulation)はEUの参加国に難民申請の調査を行う責任を負わせています。申請者の親族の居住地や人道的な理由が無い限りは、規定では不法移民(難民)が最初に到着した国が彼らに対する責任をもつことになっています。 この規定はシェンゲン圏外との国境を抱える国々、たとえばイタリア、ギリシャ、ハンガリーなどに対して責任を押し付けすぎていると批判されています。 シェンゲン協定とダブリン規約 出典:Wikipedia 米国のネオコンや軍産複合体の画策に付き合ってきたEUやNATO諸国は、なだれこむシリア難民の問題、またウクライナやギリシャなどへの経済援助で疲弊しています。 一方、米国はEU,NATO諸国にロシアの脅威を煽り、戦闘機やミサイル防衛システム(MD)をポーラントやバルト三国などに売り込み膨大な軍事利権を得ましたが。しかし、旧東欧諸国(旧ワルシャワ同盟諸国)などにおいても、果たして本当に自分たちが親米、親NATO化してよいのかに疑問を持つ国民が増えつつあります。モンテネグロなどバルカン諸国はその典型です。 結局、米国による<非民主的な独裁国家>と一方的、恣意的に決めつけ、政権転覆を企てるための画策や国連安保理決議がないまま軍事介入したり、ウクライナ、シリアを見るまでもなく、きわめてきわめて傲慢な行為であるだけでなく、膨大な量の難民を生み出し、EU諸国など関連各国内の政治的不安定を呼び起こします。 シリア難民問題では、多くの幸福度調査で世界一位の常連となっているデンマークにおいても大きな政治的、社会的不安定をもたらしており、シェンゲン協定には参加していない英国でも、この難民受け入れ問題が、結果的に英国がEUから離脱する国民投票を惹起し、離脱派が多数となる結果をもたらしています。 さらに上述したように、最も多くの難民を受け入れているEUを政治、経済面で牽引してきたドイツのメルケル首相への支持率は低下しており、EU全体の政治的不安定の大きな引き金となりつつあります。
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