フィリピンとドゥテルテ新大統領 青山貞一 Teiichi Aoyama October 28 2016 独立系メディア E-wave Tokyo |
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◆フィリピンとは 出典:Wikipedia 7000以上ともいわれる島々からならるフィリピンですが、現在の人口は1億人を突破しています。正確には、外務省発表では島の数は7109の島、人口は2015年フィリピン国勢調査では約1億98万人となっています。 下図はそのフィリピンの地域と行政区です。 フィリピンの行政区 出典:Wikipedia フィリピンの行政区 出典:Wikipedia ◆フィリピンの地理、地形 フィリピンは、ルソン島・ビサヤ諸島・ミンダナオ島などを中心に、大小合わせて7109の島々から構成される多島海国家です。 フィリピン海、南シナ海、セレベス海に囲まれ、フィリピン海のフィリピン海溝は太平洋側にあり、世界3位の深さがありますこの海溝は、ルソン島中部からミンダナオ島のずっと南方まで続いています。いくつもの海溝の地殻運動が東西1100キロ、南北1800キロの海域に大小合わせて7000以上もの島々が散らばるという地形を作り出したと考えられています。 国土は約30万平方kmでマヨン山、ピナトゥボ山、タール山など活動中の火山を含む山岳と熱帯雨林が占めています。マニラの東南に位置するパナハオ山はラグナ州とケソン州の境に聳える標高2177メートルの休火山であり、宗教的な聖地、聖山として知られています。 最高地点はミンダナオ島の東部よりにあるアポ山の標高2,954mです。因みに、マニラの北、ルソン島の北よりにあるプローク山 (Mt. Pulog) は2934メートルあります。火山と地震が多いのはプレートテクトニクスによるものです。また、鉱物資源に富み、金鉱床は南アフリカに次ぐ規模を誇り、銅鉱床は世界規模で、ニッケル・クロム・亜鉛も多い。地熱発電は電力需要の18%を賄い、アメリカに次ぐ量です。 220万平方kmに達する領海には豊富な海洋資源があり、魚類は2,400種、サンゴは500種あるといわれています。アポ・リーフはオーストラリアのグレート・バリア・リーフに次ぐ規模のサンゴ礁であります。 フィリピンはスプラトリー諸島(南沙諸島)で領有権問題を抱えています。また違法伐採による森林減少も大きな問題となっています。全国的に、日本のような詳細な地図・道路地図は発行されておらず書店、空港などで購入できる地図も、非常に大まかなものです。むしろインターネット経由でGoogle マップを閲覧した方が、詳細な地図情報を得られるとされています。 フィリピンの地理・地形 出典:Wikipedia 以下はフィリピンの主な火山です。 フィリピンの主な火山 出典:Wikipedia 東南アジア唯一のキリスト教国でもあるフィリピンは、マレー系が主体です。ほかに中国系、スペイン系及びこれらとの混血並びに少数民族がいます。少数民族は人口の10%と推定されています。 下はフィリピンの民族分布地図です。赤い部分がタガログ属です。 , 以下はフィリピンの概要です。タガログ語は、上に示した地図のうち、マニラが含まれるルソン島、その南のミンダナオ島などの赤色部分(タガログ族)が使用する言語です。 出典:Wikipedia 一方、フィリピンはGDPが世界41位、一人当たりGDPが31位となっていますが、実質的には人口の過半が一日200円程度で暮らす、今なお世界でも経済的に貧しい国家であり、その主要生産、産業は農業です。しかし、その実態は一握りの土地所有者と圧倒的多くの農民からなり、多くの農民はマニラなど大都市に移っています。しかし、大都市でもまともな雇用は見つけられず、スラム住民となります。 これは、50年以上前にメキシコとともに国際的な問題となった「緑の革命」の失敗により、農村部の多くの人口が大都市に流入するという事例の象徴的な国といえます。 主要生産物のひとつ、砂糖 出典:Wikipedia ちなみに、緑の革命(Green Revolution)とは、1940年代から1960年代にかけ、FAOや米国主導で高収量品種の導入や化学肥料、農薬や除草剤などの大量投入などにより穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成したことである。農業革命のひとつとされたこともあります。 しかし、この緑の革命には、収量の増加や都市住民に安価な穀類の供給という正の側面とは裏腹に、農民達の貧困を助長する、また格差を助長する、さらに土壌の疲弊など持続可能性の喪失など結果を招いたという負の側面も指摘されています。その結果、多くの農民が大都市に流入することになったのです。また貧富の差を一段と拡大させたのです。詳細(Wikipedia) 下図は色と面積で表したフィリピンの輸出産品です。40%が電子部品(IC回路)、デジタル製品となっています。 そのようなことから、フィリピンは日本はじめ中東諸国などへの出稼ぎ者が多く、また米国などへの移住者も多くなっています。一説にはマルコス政権崩壊以降500万人以上のフィリピン人が米国に移住したという報告もあります。ただし、日本へは就労ビザで出稼ぎにくる者は極めて少なく、風俗営業関連者だけでなく3K職場などで働いているフィリピン人の多くは出入国管理との関連でトラブルが多発しています。 なお、現在のフィリピン産業の中心は食品加工、製糖、製剤、繊維などの軽工業が中心です。下図にあるように、近年では電子部品の生産も盛んです。フィリピンの工業化はマルコス政権時代から図られ、新中国やベトナムなどの共産圏と対峙するために、反共の砦としてアメリカ合衆国に軍事的・政治的に従属する代わりに莫大な支援を受けて、マルコス独裁のもとに開発独裁を進めた結果、農業国から軽工業国へと変貌を遂げ、1960年にはフィリピンは東南アジアで最も豊かな国となりました。 しかし1980年頃を境に一人当たりの所得は次第に頭打ちとなり、独裁による政治腐敗や1983年におきたアキノ上院議員の暗殺事件などを経て、1986年のエドゥサ革命によりマルコス政権が崩壊します。そして、もともと脆弱だったフィリピンの社会情勢は一気に政情不安状態に陥り、共産党系の新人民軍やイスラーム教が主流を占めるモロ族との内戦状態が激化すると、次第に外国企業にとってビジネスのやりにくい国、投資のしにくい国になり、タイやマレーシアなどの他のASEAN諸国が急成長するなかで「東南アジアの病人」と言われるほど経済成長が伸び悩んでいました。 フィリピンのインフラストラクチャーも極めて貧弱で、とりわけ高速道路・鉄道やエネルギーなどの社会資本の立ち遅れなどが、工業化を妨げる一つの要因となっています。その代わりに、重工業化がタイ王国などに比べると、まだ進んでいないため、皮肉にも今のところは原油価格の変動を受けにくいとも言えます。 また、フィリピンはその地理から、天然の良港が多数あることを生かした造船業が盛んで、2010年に造船業で世界第4位の規模を誇ります。日系・独系などの自動車メーカーの組立工場は、カビテ州やラグナ州に集中し、エアバス・ボーイングの航空機部品工場はバギオ市近郊に集中しています。 色と面積で表したフィリピンの輸出産品 , 私は過去2回フィリピンに出かけていますが、一回目はアキノ政権の時でした。現地の日本人が車でマニラのスラム街、有名なスモーキーマウンテンさらに北部の農村などを案内してくれましたが、その実態はものすごいのひとことでした。スモーキーマウンテン詳細 , アジア開発銀行(ADB)はじめさまざまな経済援助が行われてきましたが、経済離陸には到底至らず、たとえば日本の援助でできた火力発電所の周辺には呼吸器疾患の人々が蔓延するなど、援助の在り方そのものにも大きな問題があります。これについては知人の日本人弁護士が継続的に現地に入っていました。 , 一方、ルソン島北部にある棚田では、少数民族による伝統的な米作農業がおこなわれるなど、自治、自給自足的な地域もありますが、有数の農業国でありながら、いまだ主食のコメを輸入に頼るなど、不可思議な農政となっています。 , フィリピンルソン島の棚田 出典:Wikipeida フィリピンはスペイン、その後、米国、日本などの植民地そして占領地となっていますが、マルコス政権以降、アキノ三世大統領まで米国との間に同盟関係を結できました。アキノ三世時代に従来の米軍基地に加えあらたに5カ所の基地が加わっています。 ,フィリピンの米軍基地 一方、フィリピンでは麻薬常習者が蔓延しており、取り締まる警察官が麻薬常習者を逮捕した際に取り上げた麻薬を密売するなど、すさまじい現実があるようです。新大統領はこの問題の解決を目指すことで、国民からの絶大な支持を得ています。 , フィリピンでは、2008年ごろ、死刑は廃止しており、麻薬関連での死刑はありませんが、地域の自警団が麻薬密売人や常習者を襲撃するなどの事件が多発しています。 フィリピンのドゥテルテ新大統領が、「治安改善」、「麻薬撲滅」などを公約にし警察が違法薬物の容疑者の取り締まりを強化したため、恐れをなした薬物中毒患者や密売人、約57万人が警察に出頭しています。新大統領のドゥテルテ氏はダバオ市長時代から薬物対策に取り組んでおり、その実績が国民に評価されています。 なお、新大統領の出身地であり永年市長をしてきたダバオ市は、歴史的にはスペイン人による征服とアメリカの統治を受け続けてきたフィリピン最南端に近い地にあります(下図参照)。 出典:グーグルマップ 以下にダバオ市の概要をWikipediaから掲載します。
なお、以下にダバオ市出身の新大統領、ロドリゴ・ドゥテルテ氏について概要を紹介しておきます。
そのロドリコ新大統領は、2016年10月にブルネイ、中国、日本を歴訪後、今後はロシアも訪問する旨を語っています。下は、それを報ずる、スプートニクの記事です。
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