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信州痴痔戦・猿山狂騒戯画 混迷を極める知事候補選定 その5 生みの親、 茅野實語録の検証 青山貞一 2006年5月21日 |
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連載の第5回目は、田中康夫知事の生みの親と言われる、八十二銀行元頭取の茅野實氏の発言について検証してみたい。 田中康夫氏が最初に県知事に立候補する2ヶ月前の2000年8月、茅野氏は産経新聞系の雑誌で次のように発言している。
ごもっともである。 同時期、茅野氏は、「県職員出身の知事が四十年続いた。健全な民主主義のためにも民間から有力候補を出す必要がある」と述べている。これも至極ごもっともな発言であろう。 そして、2000年10月の知事当選直後、茅野氏はかの名言、すなわち「田中氏は目覚まし時計」を述べる。 今から23年も前、神奈川県逗子市で起こった弾薬庫跡地への米軍大規模住宅建設問題において住民団体がありとあらゆる直接民主制度を試行したことがある。今ではそれほど驚くに値しないが、市長リコール、直接請求による住民投票などを次々に市民団体が使った。このときある人は、「逗子は民主主義の学校」だ、と述べた。 茅野氏の「田中氏は目覚まし時計」も、けだし名言だと思う。 これについて、信濃毎日新聞は以下のように報じている。
ところで、長野県議会の議場で田中康夫知事が「脱ダム宣言」を蕩々と読み上げることに端を発し2度目の選挙となる。その2ヶ月前、茅野氏は2002年7月に 信濃毎日紙上で次のように発言している。
茅野氏のこの発言も至言である。さらに、2回目当選後の2004年4月、茅野氏は朝日新聞紙上で次のように述べている。
苦言とされているが、意見はきわめて妥当なものである。 実はこの朝日新聞のインタビューへの茅野氏の意見のなかに、茅野氏の田中康夫氏への変遷が見て取れる。朝日新聞記者のインタビューの全容は以下の通り。少々誘導質問的な面も否めないが、茅野氏の反田中感情の萌芽を見て取れる。
今年(2006年)1月下旬になると、反田中の萌芽が著しく発展し、こともあろうか「何としても田中知事が続けるのを止めなければならない。だれも(対抗馬に)出ないのであれば、わたしが出る」と言いはなっている。
とくに「田中さんは県民のためでなく、自分のためにやっている」と言う下りは、その後次第にヒートアップするが、問題は何を根拠にこのような発言をしているかである。 これに対して田中知事は、次の応戦している。以下の記事にある3日は、2006年2月3日のことである。
さらにその一ヶ月後の2006年3月、読売新聞のインタビューに応じ、田中知事の生みの親の反田中は鮮明となる。もはや、理性の世界から感情に近い世界に変質している。
本連載が始まった直後の茅野氏の発言に次がある。ブログの筆者が述べているように、田中康夫への怨念はかなりのものがあるようだ。
この春、長野県が知事選候補選定モード一色となった後、県内のある事情通は次のような情報を寄せてきた。
茅野氏がこだわった菅谷昭松本市長は、その直後、出馬を明確に否定。 その後、茅野氏はどうしたのか? 猪瀬氏は長野高校OBらの招きでGWのさなか長野に入る。猪瀬氏は午後9時から長野市内のスナックで長野高校の同級生らと話したのだが、猪瀬当人は「私も長野県民(出身)だ」などと言い、長野知事選に関心あることは否定も明言もしなかった。おどろいたことに、なんとその場に、茅野氏がいたのである。いったい、茅野氏は何しにその場に、来たのかわからない。 ........ 以上、2000年から2006年5月までの茅野實氏の言動の変遷を「語録」として見てきた。 上記の語録から茅野氏の上記の語録の中に、当初、田中知事を熱狂的に支持し、その後、反田中となった他の人々のビヘイビアーを見て取ることができると思う。もちろん、田中知事の生みの親と結われる茅野氏の場合、反田中の他の人々、たとえば脱ダム宣言、脱記者クラブ宣言などで一気に反田中となった人たちとは異なる側面がある。 それは、茅野氏が田中知事を自分の手の内にあると思ってきたのに、ビヨンドコントロール、すなわち手に負えなくなった、言うことを聞かなくなってしまったと言う面があることは否めない。 逆にある部分だが、自分が当初考えたことを超えてやり出したこともあるかもしれない。 問題はそれだけとは思えない。それは何かである?語録との関連でそれらを検証して見たい。 そのさえたのものは、田中は壊すだけで何も創らないと言うものであろう。 田中知事は、結果民主主義、成果民主主義を標榜し、手法、すなわち手続きにこだわらないと言う類の批判である。 これは先に示した朝日新聞インタビューへの茅野氏の発言に象徴的に見て取れる。 すなわち「 田中さんは説明や説得の努力が足りない。反対者を説得するのが政治家だ。「壊すから創る」と言うが、「創る」がなかなか進まない。理念は良いが、文章や言葉だけでは困る。例えば、「脱ダム」という言い方で理念は広まったが、その後の具体策が遅い。毎晩夜中まで県庁の電気がついている割には、「創る」熱気が感じられない」。 しかし、本当にそうだろうか。 田中知事は壊すだけで何も創ってこなかったのだろうか? 私はそれは偉大なる誤解だと思う。 読者の多くは先刻ご承知と思うが、ここ数年の長野県は、全国的に見ても画期的な政策や施策、それも単なる理念、計画、思いつきでは到底無理なことを次々に試行し、それなりの効果、成果、実績がでている。もちろん、朝令暮改やおもいつきと思われても仕方ないこともあったことは事実である。 問題はその後だ。どういうわけか長野では、それらが地元メディアでは新聞やテレビに正確に掲載されない。掲載されてもごくごく小さな記事であることが多い。メディアが権力批判の側に回るのは当然だが、それにしても全国に誇れるようなこと、全国初のことなどは、メディアがしっかりと報道してナンボである。 そこには情報操作と言われても仕方がないほど、意図的に田中県政の実態を伝えてこなかった地元メディアの存在があると思える。 ところで、田中県政における「創る」の意味は、一義的には「はこもの」を創ることではないはずだ。 たとえば、福祉、林務、環境、土木などの分野で新たな雇用を創ると言ったこと、高齢者医療費が少なく、就業率が高いこと、全国都道府県で唯一と言ってよい累積的な借金を減らしたことなども田中県政が創った中身である。 たとえば、今までゴミを出したい放題だった状態から、3R、5R、すなわちゴミの発生や排出を減らす(Reduse)。再使用し(Ruse)、再資源化する(Recycle)と言った施策を県議会、市長会、町村会、業界筋からの激しくバッシングされるなかで田中県政が必死に歯を食いしばりがんばってきたこと、それも「創る」ことに他ならない、と思う。 世界に冠たる談合国家ニッポン。その日本で全国に先駆け一般競争入札を導入し、談合を事実上止めさせ、公共事業費や測量費、調査費などを30%前後削減したことも、まさに新たな仕組みを「創った」ことに他ならないのではないか。 これなど、政権与党の自民党や公明党の幹事長でさえ、NHKの政治討論会と言った公衆の面前で、評価する発言をしている。 非常に残念なことは、なぜかそれが地元議会やメディアは、高く評価しないのか? きわめて不思議である。 壊すばかりで創らないと言う茅野氏の言葉が、もし、鉄とコンクリートに象徴されるはこものを田中県政があまり創らないと言うことであれば、まさにその通りである。しかし、田中知事自身が繰り返し述べているように、長野では従来型、20世紀型の土木公共事業から福祉、林務、農務、環境などの分野に公共事業をシフトさせ新たな雇用を生み出している。 お年寄り、病人を含めた社会経済的弱者を支援し、物言わぬ自然環境を保全し、ゴミを資源化し、先進国とは到底思えない町並み景観を保全しつくる、そして談合や癒着を止めさせる。これは創るではないのか? このように、本来あるべきこと、すなわち国のように格差を拡大することなく、「県民益」を高めることで、田中県政はおそらく全国に胸を張れるはずである。 要約的に言えば、田中県政は、ハード(はこもの)からソフト(社会的仕掛け)、ハート(心の通い)に県土づくりの重点を移すとともに、政官業さらには学(御用学者)、報(報道、メディア)による現状の追認と利権から県民を守ってきたといえるだろう。 ..... 他方、すでに本連載で中村敦夫元衆議院議員の言葉を借り述べたように、田中康夫氏は強烈な個性の持ち主である。それが故に、嫌われていることも間違いない。だが、その個性が強いリーダーシップとなってり、上記の実績を生んできたことも、これまた事実である。 知事の資質に関し大切なことは個人的な好き嫌いではないはずだ。 知事たるもの、どんな苦境に接しても、逃げず、屈せず、怯まず、難題に向かって行くためには、強烈なミッション、パッション、アクションの裏付けがなければならいのである。 県民益の観点から知事にとってももっとも、何より大切なのは、言うまでもない信州・長野県そしておそらくこれからは日本を、どういう地域、国にするかと言うことだ。 要はそのビジョン(理念、哲学)、シナリオ(方針)、プログラム(政策、施策、財政)を描き、幾多の困難を乗り越え実施する能力があるかどうかである。 今の日本の政治家、為政者にもっともかけているのはこの点だと思う。 ..... 猪瀬氏は長野での会合で「田中知事では『県職員がかわいそう』と言ったそうだ。 その3の猪瀬氏のところで書いたように、知事の評価に関し大切なことは言うまでもなく、県民がどう思っているかである。 今や世界的に見ても恵まれた待遇の日本の自治体の公僕である県職員と仲良しクラブを作ることこそは、田中以前の吉村”ミズスマシ”午郎県政への後戻りすることに他ならないのではないだろうか。 田中知事のイメージダウン、支持率低下をねらった百条委員会の設置と開催に見るように、県議会の一方的なバッシングと、それに呼応する地元メディア。 そう言う苦境の中、客観的に見れば、全国唯一のNPO出身の知事が全国に誇れる数々の実績、事実を日夜あげてきたことを直視すべきである。 茅野氏の言動に象徴されるように、今、長野県民の多くに問われていることは、よくよく考えれば、個人的な感情、すなわち好き、嫌いで自分たちのリーダー、為政者を評価、判断してないけない、と言う単純なことに行き着く。 少々、難しく言えば、自分の価値判断と事実認識を混同すれば、それは必ず禍根を残すと言うことである。 信州痴痔戦・猿山狂騒戯画 混迷極める知事候補選定!←戻る |