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終戦の日を前に
「メディア」を再考する!

青山貞一

2006年8月13日
改訂版:2008年8月10日

 ※ 本稿は、2006年8月13日に執筆した内容に
     青山貞一が一部手を加えて執筆したものである。


 8月15日を前に新聞、テレビなどメディアについて考えてみたい。以下は、私がイラク戦争勃発から半年後、友人に送ったメールの一部です。
 

 思い起こせば、今年(2004年のこと、筆者注)の1〜2月、朝日新聞、毎日新聞ですら米英によるイラク戦争を批判するどころか、戦争やむなし、と言う論調の社説などを掲載していました。

 日本中の読者から抗議がありましたが、朝日新聞は一度でなく、数回そのような論調の社説を出しました。

 ご承知のように、3月から現在まで米国を中心にイラク以外の戦争に関連した死亡者は400名を超えています。米国が言うところの戦時中の死亡者は130名程度、残りは戦後の死亡者です。戦争以降の方が多いところに注目しなければなりません。

 しかし、重要なのは勝手に侵略戦争を行い、他国を占領している米英などの兵隊の死亡者より、イラクの民衆等の死亡者の数です。

 これについて、米国政府は一切国民に何の情報も知らせていませんが、イラク・ボディー・カウントというNGOがリアルタイムでイラク側の死者の数を公表しています。現在のところ 7878人〜9708人 がイラク戦争による死亡者数であるとしています。

 以下は、そのイラク・ボディーアカウント(Iraq Body Count)のURLです。

      http://www.iraqbodycount.net/

 周知のように、米英両国がイラクに軍隊を突入させる最大の理由とした大量破壊兵器はイラクで見つからず、軍隊突入の理由も、中東の民主化などに変質していった。

 その結果、2006年8月現在、イラクでの一般市民らの死亡者数は、第三者的調査団体である Iraq Body Count http://www.iraqbodycount.net/ によれば、実に4万人を超えている。

 ※ 現在の死亡者数は、86,522〜 94,403人と一桁増加している。


出典:Iraq Body Count http://www.iraqbodycount.net/

 ひとりの人間の生命の重さに優劣がないとすれば、イラクで亡くなった一般市民ら4万人超の生命は一体なんだったのだろうか?

 この現実をしっかりと現地取材を行った上で、記事や報道フィルムにした日本のメディアはあるのだろうか?

Copyright  ARSHAD ULLAH, Ph.D
 
 もちろん、私はここでサダム・フセインらの独裁政治を肯定するつもりは毛頭ない。

 だが、大量破壊兵器の存在を理由に先制攻撃を仕掛けた米国の軍隊がイラクで最初にしたことは、何だったか?

 それは南部バスラ、北部チクリートの油田地帯の制圧であったことである。

 ひとことで言えば、9.11以降、米国がビンラディン、アルカイダ掃討を最大の理由にアフガニスタンで行ったことが、結局、天然ガスパイプライン敷設の権益であったように、さまざまな理由をつけ米国がイラクに踏み込んだ理由は、一国で世界の石油の1/4を消費し続ける米国がイラクにおける石油権益を確保、収奪することにあったと言っても過言ではないだろう。

 ここで本題にもどろう。

 米英西、すなわちアメリカ、イギリスそしてスペインの首脳が北アフリカにあるポルトガル領の小さな島、すなわちアゾレス等で自分たちのイラク攻撃、イラク戦争それも先制攻撃を正当化する演説を全世界にした数ヶ月前、朝日新聞は社説でイラク戦争やむなしととられても仕方がない論評を出した。

 この朝日新聞の社説に最初に公然と噛みついたのは、写真ジャーナリストの広河隆一氏であった。広河氏は、ご自身のメルマガの2002年最終号で以下のように述べている。


広河隆一 ■HIRO COLUMN


2002 年を振り返って


朝日は恐れよ

 12 月 21 日(2002年、青山注)の朝日新聞社説のタイトルが「イラク政府は恐れよ」でした。アメリカの新聞ではありません。日本の新聞の社説のタイトルなのです。

 後半に「説得力のある大義を欠いた戦争」をすべきではないというアメリカへの進言もありますが、このタイトルは、これ以上アメリカや安保理の満足しない報告書を出すと、イラクへの爆撃がはじまるぞというわけです。

 簡単に言うと、誠意をもって報告しないと爆弾の雨が降るぞというのです。これはアメリカの爆撃を肯定するための地盤作り以外の何ものでもありません。

 戦争とはいうものの、今、準備されているのは、湾岸戦争と違い、一方的にアメリカが爆弾を落とすだけの戦争です。被害者はアフガンの例でも明らかなように、非武装の市民、特に女性と子どもでしょう。

 社説の論拠は国連査察団が「イラクの提出した申告書には矛盾がある」という一次評価を国連安保理に提出したことと、パウエル米国務長官が「申告書には重大な違反があり、我々が平和的解決に向かうことはまったく不可能だ」と表明したことにあります。

 朝日独自の調査があったわけではありません。しかし朝日は「イラクは恐れよ」というタイトルをつけました。なんという傲慢なタイトルでしょう。恐れなくてはならないのは、爆撃を準備するアメリカに対する批判を忘れ、とんでもない論調をまかり通らせながら、アメリカに追随する日本のメディアです。

 朝日新聞は爆撃の被害者の子どもに対して、悪いのはフセインだからフセインをうらめとでも言うつもりでしょうか。しかし 1 人の子どもの命を奪う爆弾の投下を正当化する一切の論理は存在しません。アフガン空爆を正当化した朝日新聞は、今、イラクへの爆撃肯定への道を歩み出してしまいました。

 こうしたときにフォトジャーナリストに何ができるか

 このところ、第 2 次大戦で日本のフォトジャーナリスト (報道写真家) たちが何をしたのかという関連の本を読んでいます。ひどいものです。戦争をあおるお先棒を担いでいったのです。ほとんど 1 人の例外もなしにです。作家には抵抗した人もいました。しかし写真の分野では、そうした人はいませんでした。なぜでしょうか。

 他国の戦争を批判するのは易しいのですが、自国が戦争への道を歩み始めたときに、それを食い止めることは非常に困難です。アメリカのメディアはその恐ろしい泥沼にどっぷりとつかっています。イージス艦を派遣した日本は、その道を辿り始めています。朝日の社説は、非常に重要な時期に、アメリカによる戦争への支持を表明したといえます。


 朝日新聞は戦争が勃発する2003年1月4日にも上記の論調を引き継ぐ社説を出しているが、それに関連し私が知人に<転載禁>として送ったメールの全容を以下に示す。


 広河さんは今回の社説(2003年1月4日)の件はご存じなかったようですのでぜひ見て欲しいと連絡しました。その上で広河さんとメールで朝日新聞の社説についてちょっと議論しました。えらく怒っていました。

 朝日新聞は数回この種の社説を出していますが、それだけでなく連日の記事においても、朝日は一貫して「思考停止」に近い対応をしています。信じられないことです。

 イラク関係の記事は他紙に比べて圧倒的に少ない、あっても米国政府の広報的なものばかりです。私は、このところこの件で朝日新聞社にいる知人、友人と議論しています。

 ある知人は、「青山さんは朝日新聞に幻想をもっている。もはや朝日は青山さんの期待を担える新聞社ではありません」と言う趣旨のことを言われています。

 他の知人は「朝日新聞は政治部が主導しており、経営悪化の立て直しをふくめ与党へのすり寄りが....」という趣旨のことを述べていました。

 とはいえ、私は新聞は最低限、金を払って読んでいる読者に事実を知らせる義務があると考えます。

 新聞社は、いわば欠陥商品を売りつけて、開き直っていることは許されないと考えます。もし同じことが工業製品で行なわれれば消費者から提訴にあうはずです。

 私は今の朝日新聞は、新聞としての体呈をなしていない。少なくとも外交軍事に関してはまったくなってないと思っています。朝日だけをとっている方は分からないと思いますが、信じられない状態にあると危惧します。
 
 実は今、広河隆一さんと朝日新聞の件の社説に関連し、新聞社への抗議の仕方を議論しています。残念なのは私が肝心なときに海外に出かけてしまうことです。

 帰国後、別件で田中康夫さんと会うので、そのときにこの米国のイラク攻撃問題も議論したいと思っています。田中さんはまちがいなく、イラク攻撃問題も危惧されていると思います。田中さんは、朝日新聞や朝日長野放送の報道姿勢についても以前から定例記者会見においても批判しています。


 広河隆一さんは、その後、2003年1月10日に以下の「続 朝日は恐れよ」をご自身のメルマガに出します。

 


続 朝日は恐れよ

 【東京 1/10/2003 = 広河隆一


 前半略

 前回のコラム「2002 年を振り返って」で取り上げた朝日新聞の社説「イラク政府は恐れよ」に続いて、恐ろしい社説が現われました。1 月 4 日付け朝日新聞社説「歴史は繰り返すのか」です。

 ここにその社説の概要をあげます。

 まず社説は、1991 年の湾岸戦争の時、イラクが撤退を渋って戦争になったことを思い起こさせ、歴史は繰り返されるのか、と述べています。(湾岸戦争ではイラクがクウェートに侵攻したことが引き金になりましたが、今回はイラクがなんらかの侵攻を行ったわけではありません。フセインが「独裁者」で大量破壊兵器を開発して使うかもしれないと考えるアメリカが爆撃しようとしているのです。これには多くの国々が批判を述べています)

 社説は次に、これまでのところイラク政府が査察に協力していると書いています。だがイラクの主張は信用できない、それは以前に嘘をついたからだというのです。そのようなイラクに対してアメリカは攻撃の態勢を整えている、と社説は続きます。こうして朝日の社説は次のような結論を引き出します。

 「それでは戦争を回避するには、どうしたらよいのか。フセイン大統領が辞任し、イラクが国際社会に恭順の意を表すのが最善の方法だ。そうすれば、イラクの大量破壊兵器を一掃することは可能になる。」

 社説の筆者は、もうひとつの方法として、武力行使をしないで、すべての兵器が破棄されるまで、経済制裁と査察を徹底することを勧めています。

 この筆者は、フセインが辞任しなかったり、すべての兵器が破棄されなかったら、武力行使や徹底的な経済制裁が行なわれることもやむをえないと、言外に匂わせています。

 経済制裁で何万、何十万のイラクの子どもたちが死んでいったこと、今も劣化ウラン弾で多くの子どもが苦しみ死んでいっていることを、この筆者はどのように考えているのでしょうか。

 こんなにお粗末な論理を振り回し、アメリカの広報官のようになってしまった朝日の論説委員はどうなっているのか、あ然としてしまいます。天声人語の筆者の人間味ある書き方と、このタカ派の社説は、朝日の中でも両極端にあります。

 私が聞きたいのは、朝日新聞の記者たちが、この社説をどう思っているのかということです。新聞社内部の機構の問題だから、社説がどのように書かれようが声をあげることは出来ないのですか。

 しかし今はっきりしているのは、最近の 2 つの社説で、朝日新聞が、近い未来に生じる何万、何十万という子どもや女性を中心とするイラク市民に対する殺害に、責任が生じるだろうということです。子どもの上に落される爆弾を正当化できる理論は、絶対にありません。朝日は戦争をあおる道を歩み始めています。

 第二次大戦中に日本のすべての大新聞は、戦争を批判しなかったどころか、積極的に鼓舞宣伝しました。新聞が果たした役割についての徹底的な反省は, とうとう行なわれませんでした。朝日のむのたけじ記者は、敗戦直前に社内で「戦争報道で国民を欺いた。そこをいい加減にすると、また同じ過ちを繰り返す。このさい記者全員が退職すべきだ」と発言していました。そして敗戦の日に責任をとって退社したのは、彼だけだったのです (「メディアの検証」朝日新聞取材班著 三一書房刊)。

 それでも朝日は 1945 年 11 月 7 日に次のような宣言「国民と共に立たん」を発表しています。

 「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮状に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」

 今朝日新聞は非常に幼稚な理論で、戦争をあおる方向に進もうとしており、やがてイラクの子どもたちに、「事態の進展に無知なるまま今日の窮状に陥らしめた罪を天下に謝」することになるでしょう。

 戦争をあおっていると言えば、それは心外だと、社説の筆者は言うかもしれません。しかし良く考えてください。

 この社説は、フセインのせいで多くの人命が爆撃されて命を落すことになっても仕方ないとする論理を組み立てているのです。そしてこれまでの多くの戦争では、こうした記事が人々の心の中に、犠牲を正当化する論理を育てていったのです。

 やがて人々は犠牲者たちにこう言うでしょう。「言うことを聞かないからそんな目にあうのだ。恨むならお前たちのリーダーのフセインを恨め」と。

 しかし社説の筆者であるあなたは 爆撃で死線をさまよう子どもの目をまっすぐに見て「俺はお前の死に責任がない」と言えますか。

 社説の筆者は、大量破壊兵器を隠すからいけないのだ、と言います。でも大量破壊兵器を保有するから爆撃することが正当化されるというなら、核兵器を所有しているイスラエルを爆撃してもいいというのですか。

 戦争に対して批判的な視点ももてない新聞は新聞ではありません。それとも新聞王ピュリッツァーのように、戦争を煽り立てて、部数を伸ばした例に習おうとでもいうのですか。

 ジャーナリズムはいよいよ瀕死の状態に追いこまれています。今本当に危惧しなければならないのは、イラクよりもむしろ朝日新聞の行方なのです。次に大量の犠牲者が発生する前に、私たちは朝日新聞に、人々の命や人権や幸福がかけがえのないものだと感じる、ふつうの感覚を取り戻して欲しいのです。

 そこで朝日新聞の全記者、全職員に問います。あなたはこの社説を是とするのですか。


 上の広河さんの数々の指摘はきわめて妥当なものである。

 広河さんが上記のコラムを書かれたのは、イラク戦争勃発前である。

 広河さんはイラクが大量破壊兵器を保有しているかどうかまだ分からない時点で上記を書いたのだが、周知のようにその後の膨大な調査によっても大量破壊兵器は見つからず、米国ではブッシュ政権の内部からもそれらを理由に幹部が次々と辞任、米国のシンクタンクからも大量破壊兵器が見つからないと言う駄目押し的な調査報告書すらでたのである。

 果ては米国CIAが大量破壊兵器があるとした分析そのものが誤りであるという調査報告書を提出している。

   ※青山貞一:「CIAの大量破壊兵器分析誤り」
           
と言う報告書を提出
 
   ※大量破壊兵器脅威はわい曲、米シンクタンク報告
     東京新聞 2004.1.10 

 さらに英国では、大量破壊兵器に関連する問題の情報隠蔽でブレアー政権の主要閣僚が疑義を受け、それに関連した報道でBBC幹部が辞職に大込まれるなど、当然のことながら虚偽あるいは捏造と五十歩百歩の一方的な米英の言い分でこの戦争が行われた実態が次々にあらわになった。

 すなわちイギリスでも、イラクが開発し保有するとされる大量破壊兵器を指摘したイギリス政府の報告書の信憑性を指摘する声が急速に高まり、ブレア首相が、「英国の情報機関は世界最強だ。ねつ造はしていない。もうしばらく待って欲しい」と懸命に反論する始末となったことは記憶に新しい。

 そのなかで上述のように、現在までに無実な子供やお年寄り、病人など多くの社会経済的弱者、4万人以上がイラクで殺されているのである。

 結果的に分かったことは、以下の図における「アーン・シュタインの8段階の梯子」における1.すなわち情報操作による世論操作である。ブッシュ政権の主張を何らまともな検証なしに、こともあろうか天下の公器で追認し、社説で「イラク戦争やむなし」としていたのである。

 
8 市民による自主管理 Citizen Control 市民権利としての参加・
市民権力の段階

Degrees of
Citizen Power
   ↑
7 部分的な権限委譲 Delegated Power
   ↑
6 官民による共同作業 Partnership
   ↑
5 形式的な参加機会の増加 Placation 形式参加の段階
Degrees of
Tokenism  
   
4 形式的な意見聴取 Consultation
   ↑
3 一方的な情報提供 Informing
   ↑
2 不満をそらす操作 Therapy 非参加・実質的な
市民無視

Nonparticipation
   
1 情報操作による世論誘導 Manipulation
図  「民度を計る」ための8段階の階段
原典:シェリー・アーンシュタイン(米国の社会学者)
青山修正版


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 広河さんはその後、一端、廃刊となった Days Japan と言う写真雑誌を再興させ、ミッション、パッション、アクションをもった若いジャーナリストの育成に全力を傾注している。

 一方、広河さんらに辛辣に批判された朝日新聞はその後どうなったのか?  

 ここ一年ちょっとだけをとっても、朝日新聞が起こした主な「事件」を列記してみると、以下の通りたくさんある。


(1)取材内容を記録したMDの第三者への無断提供
 朝日新聞社の2人の記者は、私立医科大学が国の補助金を流用した問題を取材していたが、社会部の記者が取材相手にやりとりを録音しないと約束していながら、これを破り話しの内容を録音し、その後この相手に批判的な別の取材先に録音したMDを渡した事件。

(2)週刊朝日が武富士から「編集協力費」の名目で5千万受領
 朝日新聞社が、2000年から01年にかけて週刊朝日で連載した企画記事を巡り、消費者金融大手「武富士」から「編集協力費」として5000万円を受け取っていたこと。

(3) 「月刊現代」記事に関連し朝日新聞、社内資料流出認め謝罪
 
NHK特集番組が政治家の圧力により改変されたと報じた朝日新聞の詳細な取材内容が「月刊現代」に掲載されたが、朝日新聞は「社内資料が社外に流出したと考えざるを得ない」として、取材先の松尾武NHK元放送総局長、中川昭一経済産業相、安倍晋三自民党幹事長代理の3人に謝罪の文書を郵送したことを明らかにしたこと。

(4)朝日新聞長野総局記者が「新党」記事で虚偽メモ
 朝日新聞社は29日、田中康夫・長野県知事らの新党結成問題について、取材をしていないのに、取材できたかのような情報をもとに記事を掲載した。この記事は9月21日付朝刊2面に掲載された新党結成をめぐる「『第2新党』が浮上」と9月22日付朝刊3面に掲載された「追跡 政界流動」の2本。


 いずれも天下の公器としての新聞、それも日本を代表する大メディアとして、弁明の余地のない論外のものであろう。

 このブログでは、朝日新聞社のイラク戦争勃発直前の社説について論じた。

 しかし、イラク戦争に関連し戦争を煽るような社説、記事を書いていた日本の大新聞もある。また、当時、NHKは、まるで米国のホワイトハウスの広報官と見間違えるような報道を垂れ流していた。

 その張本人は、その後、フリーとなり今朝(2006年8月13日)のテレビ朝日サンデープロジェクトに出演し、分かったようなことを話している。

 いずれにしても、戦争報道に係わる問題は、メディア全体に係わる問題であり、朝日新聞だけの問題ではあり得ない。


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 広河さんが言明するように「戦争に対して批判的な視点ももてない新聞は新聞ではありません。それとも新聞王ピュリッツァーのように、戦争を煽り立てて、部数を伸ばした例に習おうとでもいうのですか。

 ぜひ、メディアに係わる人々は記者のみならずデスク、経営者までこれを肝に銘じなければならないだろう。