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厳戒体制下での米国
トランジット大奮戦記

青山貞一

2006年9月15日



 9.11以降、米国経由でカナダ東部に行く機会が非常に増えたが、こと米国経由(トランジット)の場合、さまざまな意味で死闘を繰り返すはめになっている!

 カナダに行くのになぜ米国を通過するのか、については理由がいくつかある。

 先に米牛肉を強制的に食べさせられる恐怖〜米国航空機内食〜で述べたように、私たち貧乏教員にとっては、エコノミークラスの航空券に加え、さらに廉価な米国系航空会社をのディスカウントチケットを使わなければならない。

 その結果、ニューヨークやニューアーク、デトロイトなどを経由し、ハリファックスやセントジョーンズなどカナダ東部の諸都市に行かざるを得ないのである(とほほ)。

 たとえば、カナダで今や唯一の大航空会社となったエアーカナダの早割便もそれなりに廉価である。しかし、それでも米国系に比べると2割ほど高額だ。しかも早割だと変更がききづらく、申し込み時点でほぼ全額を支払わなければならない。

 さて、問題は行くたびに米国での入出国の審査が厳しさを増していることだ。

 先週、カナダ東部のニューファウンドランド・ラブラドール州のセントジョーンズ市などに環境問題の現地調査で出かけた。北半球で日本から一番遠い東の都市である(以下の地図参照のこと)。

 

カナダ全図赤○の中が最終目的地のセントジョーンズ


今回の飛行経路。左下にニューヨーク、真ん中にカナダ・ノバスコシア州ハリファックス、右端にニューファウンドランド・ラブラドール州のセントジョーンズがある。
出典:グーグルマップより検出後、編集


 よく使う米国系航空会社、コンチネンタル航空の場合、母港はニューヨークの隣、ニュージャージー州のニューアーク・リバティー国際空港Newark Liberty International Airport、以下単にニューアーク空港)で一端トランジット(乗り継ぎ)する。

 その数時間後、小型ジェット機に乗り換えカナダ東部のノバスコシア州やニューファウンドランド州などの諸都市に深夜に入ることになる。

 通常のニューアーク空港でのトランジット時間は実質2時間ほどだ。

 しかし、これが結構、くせ者。

 そもそも、成田出発の時間が、さしたる理由もなく、30分、1時間遅れることが当たり前となっているからだ。

 今回は何と3時間近くも遅れた(冗談じゃないぞ!)。最近、友人がニューアーク経由でカナダのトロントにビジネスクラスで行ったが、そのときは、ニューアークで何と6時間待たされたそうだ。50万円近くの航空券を買ってもこれではビジネスの価値がない。

 ちなみに今回コンチネンタルが使った機種はボーイング社のB777−200と言う完全コンピュータ制御の最新鋭機である。
 
 当初、15分遅れの時点で、遅れの理由について機材未到着と言っていた。

  だが、30分遅れの時点では機材未整備、さらに1時間遅れた時点ではコンピュータ機器の整備問題と伝えられた。

 これだけでもううんざりだ。そもそも完全なコンピュータを売り物としているB777のPCが整備不良とはなんだ!

 私の便は当初、午後4時20分に成田を発ち、同日午後4時過ぎにニューアークに到着し、厳しくなる一方の米国の各種入国審査を経て最終目的にであるカナダ・ノバスコシア州ハリファックス国際空港にゆく予定となっている。

 もし、成田段階で1時間も出発が遅れれば、ニューヨーク近lくのニューアーク空港での実質的なトランジット時間が半分となってしまい、当初予定の小型ジェットに乗り遅れる可能性が大となる。過去何度となくその憂き目にあっている。

 すかさず、女性係員に文句を言う。

  すると、日本人の係員は私の指摘通り、ニューアークからハリファックスへの乗り継ぎ便を、次の便に切り替えるという。しかたない。

 しかし、これで成田の出発遅れは終わらなかった(がーん)。

 その後、何と出発ゲートが当初予定ゲートから遠く離れたゲートに変更される。

 第二ターミナルの例のモノレールに再度乗る。

 そして70Mと言うバス利用のゲートにつく。こんな変更ははじめてだ。この時点で乗客にはあきらめの色が漂う。

 私の最大の不安は、次のようなものだ。

 すなわち、こうなるとニューアーク空港で当初搭乗予定の小型ジェットはおろか、切り替えてもらった次の小型ジェットにも搭乗できなくなる可能性があることである。

 実は次の小型ジェットはニューアーク発、ハリファックス行きの最終便であり、万一その便に乗り遅れると、ニューアーク空港で一泊せざるをえなくなる。

 翌日、早朝に便があれば、それでニューアークからハリファックスに小型ジェットで行くことになる。

 私はハリファックス空港から車で5分のところにあるホテルを予約していたので、当然それもキャンセルとなる。当日キャンセルだから全額当方の負担となる。

 さらにこれだけでない。

 翌日の早朝(7時30分)に、私はエアーカナダ・タンゴの小型ジェットで、カナダのハリファックス市からセントジョーンズ市へ行く航空機を予約してある。万一、ニューアークからハリファックスへの翌日朝の到着時間いかんではこれにも乗れなくなる。

 エアーカナダ(タンゴ)をこちらの理由だけで乗り遅れれば、払い戻しはしてくれない可能性もある。片道2,3万円がパーとなる。

 もしそうなると、これ以降のすべての旅程がめちゃくちゃ、パーになりかねないのだ。そんなことが、次々にあまたをよぎる。

 一方、航空会社のスタッフはこの種のトラブルは日常茶飯事となっているので、へっちゃら。さもなくても私語が多い航空会社の地上スタッフは皆でぺちゃくちゃ話している。怒り心頭だ。

 これは何も航空会社だけでないが、なぜか今時の社員、スタッフはかくも私語がおおいのだろうか。勤務中であるし、客は何時間も航空会社から飲み物一つだされず、じっと理不尽に待たされているのに。

 とくに米国系スタッフにこの傾向が強い感じがする。
 
 ...

 結局、搭乗客は70Mと言うゲートでさらに待たされる。

 当初成田を出発する時間から何と何と、3時間遅れで出発することになった。ほとんど、まともな詫びが航空会社からない。いつものこととはいえ、この業界は一体どうなっているんだ!

 私の最大の悪夢は、上述のように、3時間出発が遅れた結果、当初の乗り継ぎ便が×なだけでなく、ニューアークでの入国審査、出国審査などでちょっとでも遅れれば、次の乗り継ぎ便(これが当日の最終便)にも乗り遅れ、旅程がめちゃくちゃになることだ。

 それにつけても、3時間も遅れながら米国系のコンチネンタル航空からはまともな遅延理由は聞かされなかったのが頭に来る。

 一番想定されるのは、何らかの治安上の問題である。なぜなら、米国系航空会社は米国政府の指導、指示、命令のもと、過剰とも思えるテロ対策をせざるをえないからだ。

 しかし、航空会社はそれを逐次、登場予定者に伝えると不安が増大し、さもなくとも9.11以降、経営が極度に悪化している米国系航空会社の経営が苦しくなる。

 事実、9.11以降、数社が倒産したが、現在でもデルタ、ノースウェストなどの米国系有力航空会社は倒産すれすれの状態にあると言われている。また燃料価格の上昇もある。もっぱら燃料価格増は、現在では別途1万から2万円を消費者に転嫁している。

 もちろん、その背景には、9.11問題以外に、航空会社相互の航空チケットのディスカウント合戦がある。

 事実、私は複数のディスカウントチケット会社の会員となっているが、手元に来るチケットの中には、成田・ニューヨーク往復で4万円(ただし空港利用料、エネルギーチャージ増などは別)という異常に廉価なものもある。

 成田を出発し、B77−200は片道で約12時間半かけ、ニューアーク・リバティー国際空港に到着。まずはほっとする。

 この時点で現地時間は午後7時過ぎ。当初予定では4時だから当然、当初予定のハリファックス行き小型ジェットには乗れない。

 次ぎのハリファックス行き小型ジェットの出発時間は、ニューアーク発、午後8時40分である。(実は現地は時差の関係で時間がきわめて複雑)。 

 となると、これから約1時間で

 (1)第一関門は米国入国審査(パスポートコントロール)、
    左右人差し指紋どり、及び顔写真撮影を含む、
 (2)次は成田で預けた大型荷物の引き取り、
 (3)当初乗り継ぎ便から次の乗り継ぎ便へのチケットの
    変更確認とチケット受け取り、
 (4)それを受けての乗り継ぎ便への大型荷物の引き渡し、
 (5)乗り継ぎ便搭乗に際しての手荷物検査と身体検査、
 (6)手荷物検査所から実際に搭乗するゲートまでの移動


のすべてをこなさなければならない(呆然)。

 相当旅慣れているプロ(?)でも無理な算段だ。

 上記のすべてを実質1時間ちょっとでできなければ、悪夢が待ちかまえる。

 過去の経験からすると、テロ対策厳戒態勢で上記を1時間終わるのはまったく不可能。結局、イチカ、バチカしかないぞ!

 私が搭乗した日は、そもそも2006年9月4日、9.11のちょうど一週間前というのも気になる。何しろやたらチェックが厳しい。

 そもそも英国政府が米国行き航空機に液体爆発物持ち込みを事前発見したこともあり、さらに手荷物検査が厳しくなっていると言う状況もある。

 まず、第一関門だ。

 到着した航空機からいかに早めに外に出るかが問題だ。先に米牛肉を強制的に食べさせられる恐怖〜米国航空機内食〜で述べたように、私の座席はB777−200の最後部にあるからだ。

 やっとのことで最後部から機外にでる。

 いつも使う動く歩道は使わず、必死にエプロンの通路を小走りで歩く。

 幸い、パスポートコントロールはそれほど込んでいなかった。3時間も遅れた結果、他の到着機とかち合わなかったからだろう。

 しかし、ここでとんでもない目にあう。

 ご承知のように数年前から、トランジットであっても入国時のパスポートコントロールでは、左右の人差し指の指紋をとられ、最後に顔写真もとられる。

 もし、誰もが英語がそれなりにわかれば、よいが成田発のこの便には、この時期にもかかわらず、どうみてもニューヨークに遊びがてらにきている若者が多数おり、しかもまったく英語のエの字が分からず、話せない者がいる。

 昔であれば、お年寄りはその手の若者は、一定時間で審査が終わったが、現在ではそうはいかない。

 数年前、デルタ航空でアトランタ経由でボストンに行ったとき、留学生(もどき)が私たちの前に多数おり、ひとりひとりが別室に連れて行かれ厳しい審査を受けていた。米国では、入国理由として労働、ビジネス、調査、留学などとする者にはきわめて厳しい対応をもともとしている。

 もどろう。

 結局、肩に入れ墨(タトゥー)をしたり、やたらケバい服、それも下着紛いの服を着た若い女性らに、審査が15分以上もかかってしまった。

 通常ならせいぜい3分である。

 ちなみに私はトンデモの左右人差し指の指紋とり、顔写真撮影を含め約2分で終わっている。

 今回の旅行では米国をトランジットするだけで空港外に一切でないのに、都合3回、指紋と顔写真をとられた!これについては別途書きたい。今の米国では人権侵害という人権侵害が白昼堂々とまかり通っている。通過するだけの私たち、当然、空港外に一歩も出られない私たちになぜ、3度も指紋と顔写真をとるんだろう!

 彼女らがひっっかかっている最大の理由は、ニューヨークに観光に来ているだが、宿泊先欄にホテル名も住所もないことだ。これは日本人側があまりにも非常識である。

 何度となくそれを審査官が聞いているがとんちんかんな返事しかできない。身なりからして、泊まり先もなく、どうにかなるだろうと、遊びに来ている。そんなことだから、審査官も執拗に聞くが、何らまともに返答すらできない。

 本来、この手の入国者はあらかじめ別室に誘導すべきだが、それをしたのは13分以上たってからだ。検査体制の問題もあると思う。

 そんなこともあり、せっかく早めに列に並んだのに真っ青となった。

 すでに午後7時40分をすぎている。

 次は預けた荷物探しだ。

 私は仲間うちで「荷物がなくなるので有名」(以下を参照)となっていることもあり、もしここで荷物がでてこないと完全にアウトだ。幸い、それほど時間もかからず荷物がでてきた。

青山貞一:海外で航空荷物が未着となったら
 〜ハリファックスからボストンで起こったこと〜


 それを持って走って、コンチネンタル航空の乗り継ぎチケットカウンターに走る。

 3時間遅れて到着を告げると、「それは分かっている」と、例によって米国人の傲慢な態度。

 何でお客にこんな態度がとれるのかといつもながら米国人に対応に嫌気がさす。しかし、ここは喧嘩している場合ではないと自覚。それだけで時間がかかるので、いつになく我慢。

 結果的にここでも10分以上の時間がかかった。本来、あらかじめ乗り継ぎ搭乗者が分かっているのだから、次の便のチケットを発券しておきカウンターに到着後、すぐにチケットをわたすべきだ。

 ここで大型荷物を預ける。

 これもトランジットなんだから、成田から最終目的地まで自動的に運ぶべきだ。

 しかし、何しろ米国はカナダなど日本同様属国くらいにしか思っておらず(苦笑)、何でも自分の国を通る人間は全部、検査することとしているらしい。私情もあるがカナダ人は米国人と待った異なり、親切でゼントルだと思う。

 この時点ですでに8時15分をゆうに過ぎている。

 本来、ここでチェックインすれば、航空機が出発時間が過ぎても待っていてくれるはずだが、今の米国ではそうはいかない。時間が来ると同じ航空会社系の飛行機でも出発してしまうことがある。

 次は(5)の手荷物検査、身体検査だ。これがやたら厳しい。まずは収容所さながらの行列だ。米国の検査係に行き先を顎でさしずされる(ムカツク)。

 しかも、毎回、来るたびにこれらの検査が厳しくなっている。

 靴下をぬがされるのは当たり前。

 手荷物も、中をひとつひとつ開ける。

 すでにレイの英国事件があり、かつ9.11の一週間前ということもあり、いかなる液体も逃さずとばかりだ。

 たとえば、目薬、女性だと化粧水、私の場合、東京で検眼し購入したばかりの数万した最新のコンタクトレンズのスペアーケースも、係員が引っ張り出し、もって行かれそうになった。

 冗談じゃない。なくなったら目が見えなくなると、激しく抗議したら、いやいや突っ返した。前回なかったが、今回から、あちこちに、検査で係員が取り上げることには免責されると英語で書いてある。

 もしこれが悪用されると、手荷物はまだしも大型荷物のなかみが、知らぬ間になくなる可能性さえある。おそろしい。

 ペットボトルなどは当然のこととして、小さな目薬、化粧水などもすべてひっかかっていた。これは米国だけでなく、カナダでも同じだ。

 さらに不運だったのは、検査官の言い分によれば、ランダム・サンプリングの詳細検査とやらに当たってしまったことだ。

 当たった人は、さらに徹底した厳しい検査が行われるとのことだ。

 私が何と、その検査に目出度く当選してしまった。

 裸足となるのは当然のこと、男性検査員に頭からつま先まで徹底してタッチ検査される。当然、手荷物も上記に加えて、ぜんそくや胃腸、かぜの薬までひとつひとつチェックされるありさま。

 私の場合、必ずPC、デジカメ、関連するケーブルなど相手にすれば気になるものを手荷物に入れているので、それらもひとつひとつチェックされる。以前、大型荷物に入れていたら、一部がなくなっていた経験がある。充電装置などがないと、PCもデジカメも使えない。私の場合、1週間の旅行で最低でも3000枚ほどのデジカメ写真を撮影し、PCのHDDに登録している。そんなこともあり、どうしても線類は必需品となっている。もちろん、ADSLなどの回線へPCを接続する線も。

 結局、この手荷物検査と身体検査では、最初に並んでから出るまで、20分弱かかった。

 ということで、(1)から(6)で1時間以上かかり、当初予定の次の便(最終便)の出発時間(搭乗時間ではない、いわゆるファイナルコール)である午後8時40分ちょうどになってしまった。もうだめかと半ばあきらめる。

 ここで目前に空港内を移動する電気自動車の無料タクシーを発見!!

 すぐさま搭乗ゲート番号を告げ、急行してもらう。

 搭乗カウンターのおばさんがカモンとばかり手を振っていて、何とかかんとかハリファックス行きの便に搭乗できた。

 この間1時間ちょっと。今のアメリカ入国では、(1)のパスポートコントロールだけで1時間以上はざらだから、ラッキーといえばらっきーだが、まさに死闘である。どこかでちょっともドジればそれでニューアークで一泊となる。

 事実、ニューアークからトロントに乗り換える予定の若者は、結局、次のトロント便が一杯でニューアーク空港そばのホテルで一泊となったが、それに関連した費用負担(ホテル代だけでなく、国際電話代など)で相当の時間、コンチネンタルの窓口と交渉していた。
 
にもかかわらず、ここでも実際の出発は、搭乗後1時間以上遅れ、ハリファックス国際空港に到着したの、現地時間で深夜0時近くとなった。

 まさに米国経由でカナダ東部にゆくのは、9.11以降、いつでも苦闘、乱闘、死闘である。

 晴れて翌日早朝、東京から予約してあったエアーカナダ(タンゴ)の小型ジェット機にのりハリファックスからセントジョーンズ空港に到着することができた! それにしても異常だ!


ニューファウンドランド・ラブラドール州都にある
セントジョーンズ空港



ニューファウンドランド・ラブラドール州庁舎前で筆者
 

 参考 セントジョーンズ市は、日本から北半球最東端の町(人口は17万人)
    
9月上旬の気温は15〜18度だった。