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日本から最東端の都市
セント・ジョーンズ探訪

青山貞一

2006年10月22日


転載禁

 この初秋、日本から最東端にある町、セント・ジョーンズ市に成田→ニューアーク→ハリファックス経由ででかけた。目的は環境調査である。

 まずセントジョーンズがあるニューファンドランド・ラブラドール州(以下、NFL)の位置を以下に示す。赤い部分がNFLである。まさに北半球の最果ての地だ。セントジョーンズは、赤い部分の右端のニューファウンドランド島にある。

 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


カナダ全図赤○の中が最終目的地のセントジョーンズ

 日本でNFLに関連したことといえば、ラブラドール犬であろうか!

 ラブラドール・リトリバー犬もそうだ。町のおみやげやにも、ラブラドール犬の縫いぐるみや絵はがきがある。散歩に連れ歩く犬もラブラドールばかりだ。現地では黒色の犬が多かった。


 
 さらに以下のイラストに示す大型犬のニューファンド犬も有名だ。こちらも黒色が圧倒的に多かった。



 まず、州都、セントジョーンズ市があるニューファンドランド島の歴史について見てみよう。

ニューファンドランド島

 ニューファンドランド島には、かつてベオスック(Beothuks)族、ミグマ(またはミックマックとも呼ばれる、Mi'kmaq/Micmac)族という先住民族が居住していた。

 10世紀末には欧州人として初めて、バイキング族がこの地へ入植した。ランス・オー・メドウズ(L'Anse aux Meadows)にあるその遺跡が世界遺産となっている 新大陸に渡ってきたポルトガル人によって「テラ・ノバ(Terra Nova)」という名前がつけられ、英訳され「ニューファンドランド」となった。

 その後探検家のジョン・カボットが上陸し、1497年にイギリスの最初の海外の植民地とした。1854年に自治領(Dominion)となった。その後カナダ連邦に加入することを拒否し、自治領を維持したが、1934年に植民地に戻った。

 1949年3月31日に、カナダ連邦に10番目の州として加わり、ニューファンドランド州となる。1964年から、州内ではニューファンドランド及びラブラドール州という名称を使用し始めるが、ラブラドール半島の主部を占めるケベック州が難色を示したため、連邦レベルで正式に採用されることはなかった。しかし、連邦議会は2001年10月に憲法を改正することにより、同年12月6日から、正式に現在の名称に変更された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 NFLの州都、セントジョーンズは日本からまさに最東端にある。 よく行くカナダ・ノバスコシア州のハリファックス市よりさらに北東にある。

 ハリファックス市でも日本人に出会うことは希だが、セント・ジョーンズとなるとほとんど日本人には会わない。セントジョーンズ市の人口は約10万人。広域圏の人口は約17万人(2001年統計)である。

セント・ジョーンズ市

 1497年、探検家ジョン・カボットがヨーロッパ人として初めて町近くの港に上陸したと言われる。上陸した地点は今もなお争点になっているが、その後、ポルトガルやフランスの探検隊が次々と訪れている。早くからその存在を地図に見ることが出来、北米で最も古い歴史を持つ街である。

 1583年、このエリアはエリザベス女王1世の特許状が出たイギリス最初の植民地となる。その当時、港の沖には16ものイギリス船と20ものフランス船とポルトガル船が入港していたが、定住者はいなかった。

 17世紀にかけて徐々に人口が増え、夏には、多くの漁師や漁船が訪れるようになる。18世紀には、行政府が置かれ、教会の普及や商業などに力を入れ始めた。その後、セント・ジョーンズは漁港、英国海軍の駐屯地、同エリアの行政府や商業の中心地としてゆっくり発展していく。

 古くはアメリカ独立戦争ほか、第2次世界大戦時などで、軍港として機能した場所でもある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 セントジョーンズ市は、カナダ・ニューブランズウィック州のセント・ジョンと混同されがちだが別の街である。

 繰り返すが、セントジョーンズ市は北米で最も東にある都市であり、アトランティック・カナダ(北大西洋側のカナダ)ではノバスコシア州の36万人のハリファックス市に次ぐ2番目の規模である。

 9月上旬の気温は天気が悪かったこともあるが、18度前後、真冬はマイナス20度以下、10月下旬の気温は8度前後で相当寒い。

 以下は、セントジョーンズ空港のプレートだ。空港は上の地図を見れば分かるように、市の北にあり、市中心部との距離はわずかである。



 今回は、そのセントジョーンズ空港にたどり着くのが至難の業だった。これについては、すでに以下のブログに書いたので読んで欲しい。

青山貞一:厳戒体制下での米国トランジット大奮戦記

 今まで何100回と飛行機に乗っているが、これほど目的地に到着するのに苦労したこともめずらしい。

 ハリファックス空港を朝一番立った。小型ジェットを使い1時間ちょっとでセントジョーンズ空港に到着。午後に調査で訪問する時間までの数時間、車で町を回ってみることにした。町そのものはそれほど大きくないので、自動車なら簡単に見て回れる。


衛星画像で見たセントジョーンズ中央の湾がセントジョーンズ港


セントジョーンズ市のクレスト

 セント・ジョーンズに着いて分かったのだが、この町はもともとハリファックス同様、北大西洋漁業の拠点であり、漁港の町である。入り組んだ湾奥に漁港と船舶用のドックがある。

 市の情報によると現在は、沿岸化石燃料採掘、海洋土木技術、漁業海洋バイオ技術、、海洋観光など、漁業だけでなく多様な海洋産業都市となっている。セントジョーンズ港の写真を以下に示す。大きな船舶が湾に出入りしている。

セントジョーンズの港
シグナルヒルから撮影した
セントジョーンズ港
シグナルヒルから撮影した
セントジョーンズ港遠景
天気がよいとこう見える
Source: Wikipedia, the free encyclopedia

 湾側から見たセントジョーンズ市を市役所のwebから示す。


Copyright City of St. John's

 ところでこの町には、おもしろい地名がある。たとえばシグナル・ヒルだ。直訳すると、「信号の丘」である。その名の通り、カナダ東海岸とイギリス本国の間で最初に電信による通信を行った場所であるという。



 セントジョーンズを見下ろす小高い丘のテッペンに下のイラストと写真のように歴史的な建造物があった。この建造物のなかに、無線通信の設備があり、現在はシグナル・ヒルの歴史博物館となっている。



シグナル・ヒル遠景
受付の女性が歴史的建造物の
屋上を開けてくれた。

 よくみると、アマチュア無線のトランシーバーやQSLカードもある。さらに年代物の送信管(真空管)も展示されていた。

 JA1IDYの無線局をもつ筆者としては、びっくり。歴史的建造物の上から1.8Mhz〜7Mhzのワイヤーアンテナも張ってある。おそらくときたまここにカナダのハムが来て、電波を出しているのだろう。

アマチュア無線の設備も 年代物の真空管が
展示されていた
建物の中は歴史博物館に おみやげコーナーにあった
NFLの鳥、パフィンのぬいぐるみ

 建物の一角におみやげコーナーがあった。そのなかに上の写真にあるパフィン(Puffin)というかわいらしい鳥のぬいぐるみがあった。聞けば、ニューファウンドランド州の鳥とか。日本でも知床半島などに生息するエトピリカがいるが、そのなかまのようである。

シグナル・ヒルの歴史を物語る説明板

 シグナル・ヒル市中心部に駆け下りてみた。残念ながら雨模様の天気で写真がうまくとれない。

 そこでセントジョーンズ市のwebに掲載されている写真から中心市街地の様子を以下に示そう。 ノバスコシア州の世界遺産の町、ルナバーグを彷彿とさせる。実にカラフルでおとぎの国に行ったみたいで見ているだけで子供心になる!

かわいらしいセントジョーンズの市街地
Copyright City of St. John's
かわいらしいセントジョーンズの市街地
Copyright City of St. John's
カラフルでユニークなセントジョーンズの市街地
Copyright City of St. John's
カラフルでユニークなセントジョーンズの市街地
Copyright City of St. John's
カラフルでユニークなセントジョーンズの市街地
Copyright City of St. John's

 一通り、市街地を見て回った後、今回の訪問機関のひとつ、ニューファウンドランド州政府に行ってみた。NFL州政府はシグナル・ヒルからもよく見える。このころから天気もいくらか回復し、すこしだけ日が差してきた。

NFL州政府ビル
環境部が入っているビル 州政府ビルの前で筆者

 なお、現地調査内容については、別途調査報告書を作成しており、ブログには示していない。

 つづく