長野県の審議会事情 青山貞一、池田こみち 2006年12月27日 |
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2006年8月の長野県知事選挙の結果、村井仁知事が誕生し、田中康夫前知事から村井新知事に県政が移った。 これに伴い長野県における政策立案のひとつの要である審議会や委員会が、年の瀬に来て開催ラッシュとなっている。 地方自治法では審議会委員の任命権者を知事としている。また、委員の任期は2年間である。 長野県の審議会やそれに準ずる委員会の委員構成がどうなったのかについての詳細情報はほとんどないので、その概要を報告しよう。 .... まず、田中康夫政権下での主な審議会の委員の任期は今年(2006年)の6月から8月で切れていた。 その結果、任期切れとなる総合計画審議会、環境審議会、住宅審議会などの審議会や公共事業評価監視委員会の委員の任命時期と県知事選挙が重なった。 田中前知事は、それらの審議会や委員会の委員に関し、「ヤッシー流」を行った。すなわち、田中前知事は知事選前に委員を再任命、新任命案を練っていたが、同時に、落選したあとの知事任期である2006年8月31日までの間の知事権限の残存期間に新委員の任命を行ったのである。 もちろん、これは法的に何ら問題はない。 だが、知事選後の2006年秋、県議会議員らによるバッシングがはじまった。 田中康夫氏は知事選で落選したにもかかわらず、審議会や委員会に新委員を任命するのはけしからんというわけだ。9月の県議会でも議員らは喧しく騒いでいた。 .... 村井知事による新体制に移行しつつあった2006年秋、長野県の各行政部局は、この問題でそれぞれが右往左往していた。かといっていつまでも審議会や委員会を開催しないわけには行かない。 そこで関連する各行政部署が「考案」?したのが、条例で規定している定員一杯まで委員を増やすこと、すなわち「水増し」作戦にでてきた。委員数を増やすことで田中前知事が任命した委員の発言機会を減じ、影響力を下げようという戦術である。 そもそも、田中政権下では、いわゆる「あて職」で欠席ばかりの委員や出席してもほとんど発言しない委員を任期後に再任命しない方針をとっていたため、条例や要綱で規定する定員の半分以下、審議会によっては1/3以下となっているものもあった。 以下は当初私(青山)が4年前にはじめた審議会委員の出席、発言状況調査の一部。これが田中康夫知事(当時)が審議会改革を行うきっかけとなった。当然、発言しない委員でも謝金、交通費がかかる。膨大な数ある審議会、委員会の改革は財政面でも効果を発揮することとなった。 ◆長野県環境審議会審議委員(平成14年度)の 出欠及び発言有無の状況について たとえば、環境審議会は、2006年6月まで委員数は12名だった。これが村井新知事下では、定員一杯の30名となった。もっぱら、30名の中には各行政部署が新知事の下で増やした委員とは別に、田中前知事が任期中に任命した新委員(青山ら)も含まれるが、私が知る限り17名と2倍以上に委員を増やした。 同様に、総合計画審議会は従来、5名だった委員が3倍の15名となった。公共事業評価監視委員会は、入れ替えもあるが、従来10名だったのが定員一杯の13名となった。 ちなみに、私(青山)は、田中前知事から産廃条例制定アドバイザー(2002年4月〜)、長野県環境保全研究所長(2003年4月〜2004年3月に特別職の地方公務員)や環境政策アドバイザー(2004年6月〜2005年3月)、政策アドバイザー(2005年4月〜2006年8月)を任命されていたこともあり、2006年夏までは、一切、審議会、委員会等の委員にはなっていなかった。 私に田中前知事下の知事部局より審議会、委員会への委員就任打診があったのは当初、6月から7月であった。その後、知事選があり、田中氏落選後に知事部局から正式の要請があり、田中知事名の任命状が届いた。 一方、池田こみちは、4年前からと審議会委員、ここ2年は加えて総合計画審議会の委員さらに土地利用・事業認定部会員に就任していた。そして2006年の夏から秋にかけそれらの委員の留任要請が打診され承諾していた。総合計画審議会では、池田は委員の互選により会長となっていた。 .... この12月25日に平成18年度第一回目の総合計画審議会が長野県庁3階の特別会議室で開催され池田こみちが出席した。この概要は以下の新聞記事にある。 ◆長野県総合計画審議会が初会合 村井知事が諮問 信濃毎日 総合計画審議会には、知事選の論功行賞か、細川元総理の奥様が委員となっている。細川佳代子氏は、村井仁候補の応援で何度か長野に来ていた。 また12月26日は、同じ特別会議室で平成18年度の第一回長野県公共事業評価監視委員会があり、青山も出席した。委員会には副知事はじめ関連する行政部局の部長や説明要員と取材陣(マスメディア)がいた。 この第一回、公共事業評価監視委員会では、10の公共事業の見直しが議題となっていたが、当初、自宅に送られてきた案内には、(1)平成18年度公共事業再評価案の審議について、(2)その他と言う記述しかなかった。そこで私は電話を入れ、具体的な議題を教えて欲しいと伝えたところ約1週間後に「平成18年度第一回長野県公共事業評価監視委員会の資料について」と題する8頁の資料が送付されてきた。 委員会の当日、机上に配付されていた資料には、10の公共事業の見直しについて、事務局(行政側)の説明が5分、委員との間での質疑が10分、合計15分を10の事業について繰り返すとあったからである。15分×10事業=150分で2時間半、それ以外に委員長選出等で全体で3時間となっており、午後1時30分から午後4時30分まで、合計3時間で終了する予定となっていた。 しかし、会議がはじまりすぐに、上記の設定がいかにおざなりのものであり、非現実的なものであるかを委員全員が知る。 10の事業の最初の公共事業見直し案件、すなわち諏訪流域下水道事業だけで約1時間かかり、それでもなお時間が足りないことがわかったからである。当日配布された資料と行政側の説明は、流域下水道に限らず、数の多い道路、河川改修などいずれも、根拠付属、裏付けとなるデータ不足で何度も説明にたった職員が立ち往生する始末であった。人口フレーム、交通量など計画変更のもととなる基礎的データが配布資料にないことが大問題である。 結局、1月と2月に、それぞれ約5時間をとり、再度、質疑することになった。さらに委員から現地を一切視察せずに、机上、書面だけで評価監視はできないので、現地視察をさせてほしいと言う提案があり、1月中旬に現地視察を行うこととなった。 かくして、田中県政時代に設置した公共事業評価監視委員会は、村井知事体制となっても、無駄な事業の取りやめ、縮小、計画・設計変更に向け第一歩を踏み出すこととなった。 長野県に限らず都道府県、政令指定都市、基礎自治体(市町村)の審議会、委員会は政策、計画、施策の立案過程で第三者が、その@必要性、A妥当性、B正当性を徹底審議すると言う委員構成と場になっていない。 単なる行政事務局案の追認の場やアリバイ作りの場となることも多いようだ。やらせタウンミーティングではないが、やらせ審議会、やらせ委員会となることも多々あるのではないか。 もともと当事者に近い市町村長や議員が入っていたり、利害関係者が入っていることも多く、それらがまっとうな審議のじゃまとなることが多い。またこれはどこでも問題になることだが、御用学者、御用NPOらが議論を行政の意向、意図にそって議論をねじ曲げることもある。 そもそも審議会、委員会は利害調整の場ではないはずだが、実際は行政事務局がまとめた案を利害調整、利害折衷を含め追認する場に成り下がっていることが大きな問題であろう。 もっぱら、これは国でも似たり寄ったりである。国ではまさに「政」「官」「業」「学」「報」それぞれの分野の委員が魑魅魍魎、跋扈しているからだ。 これについては、機会をあらためて言及したい。 今後、各審議会、委員会の議事の詳細を長野県が公開する予定である。 なお、以下に青山、池田が係わっている審議会、委員会の委員名簿を示す。ただし、専門委員会、部会は除いてある。 ●長野県総合計画審議会 委員 5名→15名
●長野県環境審議会 委員 12名→30名
出典:長野県環境審議会配布資料、現在、長野県ホームページに公開されている。 ●長野県公共事業評価監視委員会 委員 10名→13名
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