山梨県知事選の暫定総括 青山貞一 2007年1月30日 |
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2007年1月21日の日曜、各地で知事選挙、市町村長選挙が行われた。
巷では、そのまんま東氏(東国原英夫氏)が当選した宮崎県ばかりが注目されてた。しかし、同じ保守王国しかも宮崎同様、保守が2分された山梨県知事選はほとんど注目されなかった。 たまたま知人で甲府市在住の川村晃生氏(慶応義塾大学文学部教授)の依頼により、山梨県で無党派、市民派の知事候補を公募しようという「県民の会」の参与をしたこともあり、ここに山梨県知事前選挙についての論評と総括をしてみたい。 .... 山梨県では下表にあるように、戦後、民選知事となってこの方、58期の山本知事に至る前まで、いずれもひとりが3期以上をつとめてきた。とりわけ大月市出身の天野久氏は、4期16年をつとめ、その息子の天野健氏も3期12年、知事を務めている。その間知事となった田辺国男氏、望月幸明氏もぞれぞれ3期を勤めている。 民選後58期までのの山梨県知事一覧
山梨県は首都圏の保守王国のひとつだが、45期以降、田辺国男が官僚、国会議員上がりの知事であった以外、非官僚、非国会議員の県内市町村長や地場産業の名士などが知事となっていた。 55期から57期に知事を務めた天野健氏はもともと石和町長であった。天野知事は、1994年、明野村(現・山梨県北杜市明野町)に公共関与の廃棄物最終処分場を建設する計画を立てた。 しかし、地元の反対運動で難航し、さらに2000年に建設予定地に絶滅危惧種のオオタカが生息していることが判明したことで、建設に着手できない状況が続いた。 公共関与による産廃処分場建設問題では、私が技術顧問を勤める通称、ゴミ弁連会員で甲府在住の弁護士が係わっていたこともあり、私も山梨県知事の挙動に少なからぬ関心を持っていた。 結局この問題は在任中に解決せず、甲府市出身で甲府市長だった山本栄彦氏に知事が引き継がれる。 ..... 山本氏は甲府市積翠寺温泉の旅館「要害」の跡継ぎに生まれ(伯父は元甲府市長の山本達雄)、山梨県立甲府一高から明治大学経営学部に入学、卒業後、山梨県経営者協会勤務後、家業の旅館業を継いぎ、平成3年4月〜平成14年12月の3期12年、甲府市長をしていた。 2003年、甲府市長から転身したその山本栄彦氏が、天野建知事引退を受けた知事選挙に出馬した。 その山本氏は、天野前知事、堀内光雄衆議院議員、中島眞人参議院議員それに民主党の支援を受ける。 このときの対抗馬は、衆議院議員で元法務副大臣の横内正明に加え、元警視総監の井上幸彦氏、さらに共産党が推す福田剛司氏であった。山本氏は、下表にあるように、3人を退け当選する。 当選した山本氏は、2位の横内候補とは8,969票の僅差であった。
中央官僚や国会議員からの転身組みではないが、12年甲府市長をしていた山本氏は、他の保守系候補を破り当選したものの、その後、県議会では実質少数与党となり県政運営に苦しむことになる。 その結果、土木系公共事業をそれも従来型とは別の新たなハコモノ建設をつづけ、保守系の放漫の県政運営となる。その結果、県の財政は悪化し続けた。 また注視していた産廃処分場問題でも、結局、地元産業界の意向にそって規模を若干小さくしただけで、公共関与ハコモノ優先施策となった。 .... そのななかで、山本知事は2007年1月の知事選に再選を目指した。この選挙では、前回出馬し2位となった横内正明氏、共産党公認の石原秀文が出馬、さらに私も候補者選定の参与となった市民グループが選定した元電通社員の金子望を擁立した。 無所属、市民派知事候補の擁立を目指すリセット山梨・県民の会、通称「県民の会」は、慶応大学文学部の川村教授はじめ約20名で構成された。 県民の会では、以下の記事にあるように、山本知事はもとより、前回の知事選挙で2位につけた建設省の中央官僚から衆議院議員となった横内正明氏など、保守土建行政からの脱皮を目指し、政策立案能力がある新知事を誕生させるべく活動した。 新たな山梨県の知事に求める条件としては、政策立案能力のほか、「未来を指し示す哲学」や「透明度の低さの是正」などを挙げた。 具体的には、@土建行政の継続による財政の悪化を食い止めるための「持続可能な社会への方向転換」、A永年、保守行政が続いてきた事による政策立案過程での情報公開と県民参加の欠落に対し「県民と行政の情報共有」、さらにB市場原理主義などを原因とする格差拡大から「生活圏が保証される社会の実現」の3つを掲げた。 青山貞一:山梨県知事候補の公募開始! 2006年10月5日、山梨県庁で「県民の会」は候補者公募の記者会見を行う。
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参与間での議論は主にメールで行われ、要所で事務局から経過報告、関連新聞記事などが郵送された。
候補者選定過程では、共同代表と参与らとの間で既成政党との距離などについて議論が行われた。 最終的に「県民の会」は、公募者のなかから金子のぞむ氏を知事候補として推薦する。ただし、最終決定は参与でなく共同体表が行っている。
◆金子のぞむ候補の政策等 金子氏の選挙活動等については、以下を参照して欲しい。 ◆新たな山梨県知事候補を求める:リセット山梨・県民の会HP設置 2007年1月21日、投票が行われた。結果は以下のように前回第2位の建設官僚から衆議院議員に転身した横内正明氏が総得票の半分強で当選し、第2位が現職知事の山本氏、「県民の会」が候補者選定を行った金子氏は13,315票で最下位であった。 山梨県知事選挙 開票速報 確定
今回の知事選挙で山本氏は、自民党の国会議員の中では堀内と中島の支援を受けたものの、赤池誠章・保坂武・小野次郎の各国会議員は横内正明氏を支援、長崎幸太郎が中立を通したため保守層をまとめ切れているとは言えなかった。 横内氏を支援した国会議員 赤池誠章:自民党(町村派)、松下政経塾出身 保坂武:自民党(津島派) 小野次郎:自民党(無派閥) 中立を保った議員 長崎幸太郎:自民党 山本氏は、民主党でも輿石東や県連の支持を得たものの、自民党との相乗りを禁止している民主党本部からの推薦は得られず、更に有力な支持母体だった山梨県教職員組合が政治資金規正法違反絡みで積極的に動なかった結果、横内に47,428票差をつけられた。
ちなみに、横内正明氏は保守王国、山梨県における保守本流の系列を引く官僚、国会議員あがりの政治家であり、かつて「政界のドン」と言われた故金丸信・元自民党副総裁の地盤を引き継いでいる。 横内氏は、1993年の総選挙で初当選したが2003年の山梨県知事選、2004年の参院選では落選している。 新聞報道などでは、2007年(今回)の山梨知事選では「過去の人」と見られていたが、いつの間にか「改革派」を印象づけたと言う。 その意味からは、無所属、市民改革派として「県民の会」から出馬した金子氏は、出遅れと知名度で大きな差があるものの、非常に残念な結果となった。 しかし、山梨県地事前の現実を直視すれば、もともとカネと中傷が飛び交い、建設業者がフル稼働して票をたたき出すことで知られる「甲州選挙」の本質はそれほど変わったとは思えない。 2007年1月の知事選は、福島県、和歌山県、宮崎県などで知事汚職が相次いだこともあり、これまで現職を支えてきた建設業者は沈黙し、「組織票にはもう頼れない」選挙であったと言う。 本来、そのまんま東氏の宮崎県知事選当選が象徴するように、保守分裂のなかでの無党派、市民派が脚光を浴びる選挙であったはずであり、選挙の戦略と戦術でさまざまな課題が残った。これについては、別途、川村共同代表と議論してみたい。 とはいえ、ただタレント系の超著名人を担ぎ出せば事足りということにはならない。 いずれにしても、山梨県に限らず、公債費比率などでどの自治体も財政は極度に悪化しており、いつ「夕張市」となっても不思議ではない状態にあることには変わりない。 |