冤罪を生み出す構造 (1)99.6%という数字のマジック 青山貞一 2007年4月22日 |
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最近明らかになった例だけをとっても、以下の新聞記事にある鹿児島県の公職選挙法事件、冨山県の婦女暴行事件のように、日本の警察、検察のあり方を占う重大な杜撰捜査、見込み起訴、誤認起訴、冤罪が起きている。 誤認逮捕、証言の強要など、警察、検察の捜査、起訴のあり方を根底から揺るがす大きな社会問題が起きている。 また痴漢問題などで、罪を認めれば略式命令請求(略式起訴)の罰金で釈放すると被疑者に強要している実態も明らかになっている。 仮に微罪ではあっても、実際に容疑をかけられていることをしていないひとが、それを認めないのは当然である。 だが、それを認めない場合どうなるか? 本来、虚偽告訴されても仕方ないような「被害者」の証言だけで被疑者は起訴され、公判にもちこまれ、その結果、家庭や職場との関係がずたずたにされることもある。 これは、まさに人ごとではない。あなたも、いつなんどき杜撰捜査、見込み起訴、誤認起訴、冤罪に巻き込まれないとはいえない。 後になって虚偽告訴であなたを訴えたひとが訴えられたり、真犯人がでてきても、それは後の祭りである。 ここでは、より具体的、実務的に、冤罪を生み出す日本の警察、検察の捜査、起訴の構造の実態をえぐり、検証したい。
用語の説明は本論考の2回目に行うが、以下は日本の警察、検察が白書、公式WEBなど、あちこちで述べている数字である。 たとえば平成●●年度における公判請求(通称、起訴)は6・3%、略式命令請求(通称、略式起訴)は38・8%、起訴猶予が40・7%である、とか 一般刑法犯の起訴率は、55・4%、起訴猶予率は、36・0%で、道交違反を除く特別法違反の起訴率は、73・5%、起訴猶予率は、22.8%となっている、とか さらに、いわゆる終局処理についても、地方裁判所、簡易裁判所、家庭裁判所の通常第一審終局処理人員総数は、8万6630人、そのうち有罪は8万6259人、無罪が70人、有罪率は99.6%であった、という数字を聞いたことがあるだろう。 註:「99.6%」という数字について 某新聞の記事によると87年から現在までの間で、 1991年のみが99.6%前後であり、その他の年は 概ね99.9%前後を推移していると言う。ここでは、 他の諸データを含め1991年度のデータを使って いる。 これらの数字は、何を意味するか? とくに警察、検察がこえらの数字を出す意図はなにか? 一言で言えば、警察や検察は、刑事事件で起訴した容疑者の99.6.%が有罪であり、無罪率はわずか0.4%にすぎない、ということを言いたいのである。 これは何も警察や検察だけでない。私がある問題で現在国を訴えている行政訴訟でも、被告、国の弁護士(訟務検事)は、日本の刑事事件のうち、99...は有罪である、と述べている。 ...... 最初に私が言いたいことは、次のことである。 すなわち、検察が起訴したそれら0.4%、70人のひとびとにとっては、それがすべてであることである。 警察や検察にすれば統計上わずかな数字に過ぎない、いわば誤差であっても、それにより捜査を受け、起訴されたひとの人権はどうなるのかである。 無実であるのに逮捕、拘留され、手錠をかけられ、腰に縄をつけられ、連日検察庁に連行され、厳しい、時に暴力的な尋問を受け、あげくのはて、さしたる物的証拠もないのに起訴され、裁判所で公判を受けさせられるのである。 まして捜査段階での20日だけでなく、証拠隠滅や逃亡のおそれなどとして、長期拘留されるひとの人権はどうなるのかである。 そこではいくら「私はやっていない」と言っても聞き入られない。0.4%、70人のひとびとは、まさに冤罪で逮捕、起訴、公判請求されたひとたちなのである。 その間の人権無視の屈辱的な警察、検察の対応こそ、厳しく指弾されなければならず、けっして0.4%、70人の数字ではすまされない。 ...... 第2に私が言いたいことは、もともと無実であるのに、誤認逮捕、誤認起訴され、さらに裁判でも有罪判決されているひとたちのことである。 すなわち、有罪判決が下された、99.6%、8万6259人のことである。 そのなかには、ひょっとしたら、そのなかに無実の罪、冤罪が存在することだ。 鹿児島や富山の冤罪事件を見るまでもなく、すでに有罪となっている99.6%.の事件においても、冤罪の可能性がありうるのである。 有罪とされたひとたちのなかに、本来、無実であり、無罪であるべきなのに、警察、検察の杜撰捜査、思いこみ捜査、悪や意や差別、偏見をもった捜査、別件逮捕などの誤認捜査によって、起訴され、裁判にかけられ、そこでも十分な審議と証拠がないまま有罪とされているひとがいる可能性があるはずだ。 ....... 第3に私が言いたいことは、一般刑法犯の起訴率は、55・4%、起訴猶予率は、36・0%で、道交違反を除く特別法違反の起訴率は、73・5%、起訴猶予率は、22.8%となっている、ことについても、大きな課題があることだ。 不起訴や起訴猶予は、要約的に言えば、無実のひとを逮捕、身柄送検、勾留請求し、被疑者とした上で、警察や検察から連日、厳しい取り調べを受けさせ、無理矢理自白を強要させられたものの、どうみても起訴するには十分な証拠がなく、公判を維持できないと検察が判断したものであえる。 結果として不起訴や起訴猶予となったそれら無実のひとはどうなるのか? 数字の上から見れば、膨大な数のひとびとが嫌疑をかけられ、被疑者とされている現実がある。 ...... 私がここで言いたいことの第4は、中国、韓国など外国人であるが故に、捜査段階から差別的な色眼鏡で見られていないかということがある。 事実、身の回でも、どうみても、そうとしか思えない事件が起こっている。統計的に見て外国人の刑事犯罪が増えていることが確かであっても、だからといって外国人を被疑者、犯人扱いする見込み捜査、偏見捜査は断じてあってはならいことはいうまでもない。 この範疇には、医療事故のよくあるように、警察や検察が権威ある証人の言い分だけを採用することもある。 .... 先に述べたが、警察、検察ばかりでなく、霞ヶ関の省庁や官僚も、ことあるたびに刑事裁判の有罪率が99.6%であると誇らしげに述べる。 もとにもどれば、警察、検察が公訴提起(起訴)したひとびとのなかに、0.6%もの無罪判決を受けているひとがいること自体、大きな問題である 。また有罪判決を受けたひとのなかに、冤罪となったひとびとがいることはさらに重大だ。 私たち自身、もっとこの問題に目を向けなければならない。 これこそが日本の警察、検察にかけられた最大の課題である。鹿児島と富山の2つの事件は、まさにそれをかいま見せてくれた。 日本の警察、検察がしていることは、その実態を知れば知るほど、決して北朝鮮を嗤うことはできない、由々しきことなのである。 つづく |