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冤罪を生み出す構造(3)
告発手記:
だれか私を私と証明して(上)

山崎えり子

掲載日:2007年5月1日


初出 週刊金曜日2006年11月10日号


 本稿は著者の承諾を得て独立系メディアに掲載しました。山崎えり子様及びお骨折り頂きました藤沢顕卯氏にこの場をお借りして感謝の意を表します。編集部


告発手記 「カリスマ主婦」と呼ばれたベストセラー作家は今も逃亡生活、だれか私を証明して、菊地池直子と呼ばれて(上)
          
初出:週刊金曜日、2006年11月10日号

 作家の山崎えり子さんは、二〇〇六年二月、東京地裁で懲役一年六月、執行猶予三年の有罪判決を受けた。容疑は公正証書原本不実記載、同行使罪である。しかし、この事件の背後にはオウム真理教が登場する別件逮捕が存在した。
密室で行なわれる取り調べが表沙汰になることは希だ。だが被害者が物書きであったため、その驚くべき実態が明らかにされる。

【筆者】 山崎えり子

 やまさき えりこ・本名、内山江里子。

【プロフィール】

 本名を隠す生活だったこともあり、紙と鉛筆の表現にのめり込む。家計簿大賞コンクールで特賞を取り、NHKラジオに出演したことを契機に本を執筆するようになる。一九九八年に出版した『節約生活のススメ』など生活実用書がベストセラーに。しかし、知人の戸籍を使い公正証書原本不実記載、同行使罪で有罪判決を受け、社会的地位は失った。現在は日雇いアルバイトなどをして全国各地を転々としながら、人権問題に取り組んでいる。

 地下鉄サリン事件から12年目。「走る爆弾娘」と呼ばれた菊池直子容疑者は今どこに。山崎えり子氏とどこが似ているのだろうか。(写真/時事)


 刑事に踏まれて、潰された右足の指。(写真)


【本文】

 二〇〇五年一一月二二日。静岡県北西部の天気は晴れ。朝八時四〇分頃だっただろうか。朝食の後、私は家の脇にある家庭菜園で栽培しているサツマ芋を掘り起こしていた。七年前から始めた家庭菜園には、ブロッコリーなど数種類の野菜が育っていた。

 インターホンが玄関で鳴った。何かと思い、いったん一端、家に上がり玄関に回って扉を開けると、背広姿の男が黒い警察手帳を右手で差し出した。

 「何で逮捕されるかわかるな、菊池」

◆悪夢の誤認逮捕

 『菊池って誰?』――。

 聞き返す間もなく、逮捕状と家宅捜索令状を差し出す刑事ら七人ほどの私服警察官たちが家の中に入ってきた。手帳を差し出した男はキャップと警察官たちが呼んでいた。三人名ほどの制服警察官は物置や車の中を調べているらしかった。

 パニック状態で逮捕状の確認ができず何が起こったのかわからなかったが、次々と家にあるものがダンボールに箱詰めされてしまうので、外で捜査員に指示を出す「キャップ」に家宅捜索令状だけは見せてほしいと頼んだ。

 東京地方裁判所は、家計簿やアルバムなどは差押え許可リストとして令状に記載していた。だが、車、物置、自転車のタイヤの中は令状なしで勝手に捜索されていた。「どうして記入されていないところまでやるんですか」と、おずおずと質問したところ、「おまえは菊地直子なんだから、令状になくても仕方ないな」となんとも無法な答えが返ってきた。

 刑事の言う菊地直子さんとは、平田信、高橋克也両氏とともに警察庁特別指名手配犯の元オウム真理教(現・宗教団体アーレフ)信者のことだった。現在も逃走中で懸賞金も掛けられている。

 と同時に家の中から、「キャップ、証拠品が発見されました」と刑事が、叫んでいた。この刑事の名前はのちに高橋清一だと知った。

 私も「キャップ」も慌てて家のリビングに向かうと、高橋ら七人は拍手と歓声を上げ興奮していた。別の刑事は「これで三階級特進だ」と頬を上気させており、キャップは「菊地の身柄を拘束しました」と携帯電話で警察署の上司なのか誰かに報告をしていた。

 彼らの言う証拠品とは、祥伝社から出版した『最新版節約生活のススメ』の韓国語版、そして台所にあった蔘鶏湯のレトルトパック、引き出しに入っていた1/100オンス金コイン数枚などらしかった。高橋らは令状に記載されていないこれらの物を押収していった。これらのうち、コインなど一部は返還されていない。

 後日、憲法三十五条によれば令状に記載されていない場所の捜索や物の押収は、憲法違反だと知った。が、当時の私は、「菊地直子さん」と誤認されていることで動揺していた。どうにか「なぜ、韓国版の本や食べ物や金があるからって私が菊地直子さんなんですか」と声を絞り出すと、キャップは「菊地は朝鮮半島に逃亡し、また日本に戻っているという話があるからだ」と私に説明した。

 さらに「菊地は、右こめかみや右目下ホクロがあるが、おまえもあるじゃあないか」とも言われた。私は菊地直子さんとは身長も年も違うはずだと主張したが、「きさまは銭があるんだから、整形だってできるし、中国に行けば骨や筋肉を削って背丈も変えられるんだ」と怒鳴り返された。

 当時、私のエッセイ『節約生活のススメ』がベストセラーになっており、生活関連の書籍を二五点ほど出版し数十万部が売れていた。自分で言うのも恐縮だが、連載もそこそこ持っていた。

 下河邉伸治巡査らはわが家の預貯金もすべて調べているようで、月々三〇〇〇円の金積立預金すら「海外に持ち出しやすいからだろう」と決めつけていた。私はこの時点で、この人たち達に何を言っても通用しないのだとすでに諦めており、私の頭の中には「菊地直子さん」イコール「死刑」しかなかった。

 何を押収されたのか把握できないまま、下河邉はいい加減な押収品目録交付書を交付した。

◆警視庁荻窪署が静岡に

 今、少しは冷静になってきたから自分から言えるようになったが、逮捕された私は公正証書原本不実記載、同行使で懲役一年六月執行猶予三年の有罪判決を受けた。

 自分の犯した罪については、いかなる理由があったにせよ申し開きはしない。今の私には生活実用書を書く資格もない。すべては身から出た錆だと猛省している。今年七月に発売された月刊誌『婦人公論』のインタビュー記事を受けたとき、「オウム真理教の菊地直子に仕立て上げられようが罪は罪」という批判が、寄せられた感想の中の半数を占めたと聞いた。

 私は、それらを真摯に受け止めなければならないと改めて肝に銘じたが、それでもあえて今、再び当時の事でペンを握るのは、誰もが、無能な捜査員によるずさんな捜査や裁判所の信用を損なわせる場面に直面するかもしれない現実を伝えたいからである。

 私は静岡県に住んでいたので本来所轄署は静岡県警のはずである。しかし、東京都の警視庁によって逮捕され、当日夜には本庁に移送され、担当検事は東京地方検察庁公安部の山本美雪検事と捜査員の高橋に告げられている。

 何と言っても私は日本の警察が威信をかけて捜索している特別指名手配犯・菊地直子さんだと決めつけられている。東京地検公安部による捜査も当然だ。また、後に説明するが、高橋を始め、私の家を捜査したのは暴力団と癒着しているとしか考えられない警視庁荻窪署の組織犯罪対策課の刑事(旧捜査四課。いわゆるマルボウ担当刑事)であった。

 有無を言わせぬまま高橋刑事たちは私を銀色のワゴン車に同乗させた。車中で静岡から警視庁に移送される四時間、高橋は何十回も、「おまえは菊地直子なんだろう。わかっているんだよ」と耳元でわめき散らし、私の頭はキーンという耳鳴りが響き続けていた。

 だが、高橋の声よりも、むしろ私は車の外の景色を見ることに集中していた。菊地さんとして処刑されるので富士山や太平洋などの風景を、もう一生見る事はできないだろうとまで覚悟しており、目に焼きつけることに必死だったのだ。

 今でも革靴が履けないのだが、車中では足が腫れ上がるほど足を何度も何度も踏まれた。が、そんな痛みよりも、お世話になった近所の方々や大切な人にもう会えないことのほうが辛く、心が痛んだ。

留置所で自殺未遂

 私は本名を内山江里子という。四歳の時に両親は離婚し、母は死亡し、一人っ子である。身内に薬物依存症者がいるため、誰にも実名を語ることなく逃げるように生活してきて一三年間。内山江里子を証明してくれる親族はいない。

 過去を隠して生きてきた私は警察にとって菊地直子さんに仕立てる格好の獲物だったのだろう。

 高橋は、「近所から通報があり、不審な女で素性も判らない。菊地直子に似ている、と電話があった。だから三年もかけて電話の着信記録を調べ、自宅近辺に監視カメラを設置し、預貯金や交友関係を別件で調べた」と私に語った。

 三年間も無駄な税金を使わなくても、私はオウム真理教関係者とは一切接触した事もなく宗教活動もしていない。自宅で原稿を書くか図書館にいることがほとんどで月に一度、講演の仕事か生活まわりの工夫の取材をする生活だ。仕事を持つただの主婦に過ぎない。何かの肩書を持っているわけでも名誉があるわけでもない。実名を語れない事をのぞけば、普通の暮らしをしているだけだった。

 法律音痴の私だったが当番弁護士制度ぐらいは知っていた。高橋に警視庁に連れていかれると、すぐさま「当番弁護士を呼んで下さい」と嘆願した。しかし高橋の返事は「まだダメだ。ある程度調書を作成してからだ」と言った。

 確か日本国憲法では弁護士を呼ぶ権利(注・三四条「何人も理由を直ちに告げられ且つ直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ抑留又は拘禁されない」)を法律で保障されているのになぜ、私には、その権利を与えられないのか納得できなかった。これは違憲である。

 翌日、本庁の職員を通じて、当番弁護士の申し込みをした。警察で「当番弁護士を呼んで下さい」とだけ言えば弁護士をすぐに呼んでもらえると甘く考えていた私は、日本は立派な法律や制度は多くあるけれど、機能していない事実に直面した。自業自得と言われてしまえばそれまでだ。

 逮捕当日は、菊地地直子さんとして処刑される不安感と悔しさでパニックになり、留置所の中でハンドタオルを口につっこみ息を止めて何度も何度も自殺を図った。だが、ハンドタオルを口に詰めたくらいでは死ねなかった。

 翌日も高橋及び高橋とペアを組む・三宅捜査員による菊地直子さんとしての取り調べがあった。「北朝鮮へどうやって密入国したのか」「菊地直子よ、ホーリーネームぐらい答えられるだろ?」

 とぼける訳ではないが、本当に知らなかった。麻原彰晃(本名・松本智津夫)や北朝鮮の事も詳しくない。答えられないので、高橋の声は、感情的にさらに大きくなり、「あんたが内山江里子だっていくら言ったって証拠がないんだよ」と言われた。

 私が菊池直子さんだという証拠も同じようになかったはずだが、刑事に尋問されればされるほど、自分が、だんだん菊地直子さんになっていくような気がしていった。取り調べは刑事の思い込みで終始していた。

 逮捕から二日目の夕方、ようやく当番弁護士の清水琢麿先生に会うことができた。先生は、「公正証書原本不実記載、同行使で逮捕されたんですね」と、話しかけてきてくれた。私が答える前にすでに事件を知っていた。そして次に、「何が一番今、お困りですか」と優しく語りかけるような口調で質問してくれた。その声を聞くだけで涙をこらえるのがやっとだった。

 「先生、刑事が菊地直子さんと決めつけていて気が狂いそうです。私は、菊地さんではないんです……」

 私は説明しながら実名を隠していた理由や今までの事情を話した。先生はメモを取りながら、親身に話を聞いてくださった。

「私は、時としてうるさい弁護士にもなりますから荻窪署の担当捜査員に早いうちに電話をします。でも、あなたを内山江里子として証明しなければなりません。高校か大学の名簿かアルバムを入手するなど何か方法を考えましょう」

 そう、おっしゃり励まし、一時間ほど接見をしてくださった。
 
◆空辣な秋霜烈日
 

 一一月二四日、拘留延長手続きがなされるため、検察庁に行った。普通は、何人かまとめて手錠ロープで繋がれ、護送車で一斉送致となるらしいが、「菊地直子さん」である私は単送(独り)扱いで捜査員三人に身動きの取れないよう囲まれ一台の車で向かった。

 担当検事の名前は公安部の山本美雪とすでに聞かされていたが会って驚いた。まず名前を聞かれたのだが、逮捕状も見る余裕なく、「菊地直子」と答えるのは嫌だし本名は証明できないし、ペンネームを言うべきなのか三〜四秒迷っていたところ、「あなたね! 名前には黙秘権はないんですよ。

 時間がないんですから無駄な時間をとらせないで。馬鹿」と、ブルーオパールの指輪を磨きながらヒステリックに言われた。ドラマに登場する冷静で知的なイメージの検察官とはまったく違っていた。

 「あの、ペンネームでいいですか?」と聞くと、「自称、内山江里子でしょ」と山本は面倒臭そうに答え、「一応、公正証書原本不実記載・同行使の容疑を読み上げ間違いないか確認します」と早口に言った。

 私が「はい」と答えると「勾留の必要がある」と判断されて裁判所へ送致することになった。山本のいる部屋を出るときの出来事だ。「さっさと歩きなさい」と命令されたが、前述の通り高橋に足を踏まれて爪が割れてしまっていたため早く退室できなかった。嫌み味な言葉と大きなため息が聞こえた。

 検事のバッジには「秋霜烈日」(編集部注 刑罰や権威が厳しく厳かなことをたとえている)の意味がこめられているが、厳かというよりはただ重々しく、正義感というよりは権力をふりかざして下等品を扱っている冷たさだけを感じた。

 (本文中一部敬称略、つづく