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歴史を今に、ソウルの旅 景福宮A春遠亭
ソウルを車でなく足を使って回ると、そそかしこに歴史的資産があり、身近な自然とともに大切にされていることが分かる。 ソウルに行って驚くことのひとつは、すべての歴史を今に生かしていることだ。景福宮(キョンボックン)もそのひとつである。 歴史的資産を全面公開、それも無料同然で誰にでも公開している。しかも、数時間毎に日本語、英語、中国語など、韓国語以外の言語で学芸員が丁寧な説明をしてくれる。 景福宮(キョンボックン)は李氏朝鮮王朝が創設した王宮。北京の紫禁城をまね勤政殿を正殿にし、それを結ぶ線に対して左右対称に建物が配置されている。 私はソウルに行くたびに必ず立ち寄っている。 景福宮の趣をさらに引き立てているのは、慶会楼と香遠亭である。慶会楼は国の慶事がある時や、外交使節を応接する時に宴会を催した所で、大きな人工池の上にある。 他方、景福宮の最奥部(北端)に近い香遠池に浮かぶのが香遠亭である。寝殿の裏側に位置する後苑空間で、慶会楼と同じく池を掘り真ん中に人工島を作って東屋を建てたものだ。慶会楼に比べて女性的なのが特徴である。 この香遠亭は1873年、韓国で初めて電灯がともされた場所である。電気のほうがろうそくよりも費用が安いということや、甲申政変(1884年)などで恐怖を感じた高宗が暗がりを嫌ったことなどがその理由としてあげられている。 ところで、景福宮でどうしても触れなければならないことがある。 それは1592年文禄の役(壬辰倭乱)で豊臣秀吉の軍勢が略奪・放火し、景福宮のほぼ全ての建物を焼失させたことだ。その後、王宮は離宮の昌徳宮を正殿とし、約270年間にわたり景福宮は放置された。 さらに、1910年、日本軍人を総督とする朝鮮総督府が敷地内の建物の8割以上を破壊し、光化門を撤去、宮殿正面に総督府庁舎を建て征服者が日本だということを示し、街から宮殿を見えなくしたことだ。 王朝の正宮が2度も日本軍によって破壊され韓国という国が消滅したことは、韓国にとって屈辱の歴史の象徴とされている。今でも、工事中の景福宮の正門の壁に日本の植民地時代の総統府の写真が掲げられている。 足を踏んだひとはすぐに忘れるが、踏まれたまれたひとは一生忘れないというが、韓国を旅行すると、その痕跡を至るところに見る。日本が2度に渡り韓国を侵略し、植民地統治したことを韓国の国民は石に刻んでいる。このような過ちを、私たちは二度と起こしてはならない。 秋の香遠亭 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 秋の香遠亭 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 早春の香遠亭 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix 2007.3 秋の香遠亭 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 2007.11.10 ■景福宮(キョンボックン) |