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無実の守大助さんを救おう!
上告審報告・再審決起集会
概要速報


メモ:鷹取敦、写真:青山貞一

掲載月日:2008年6月9日


えん罪!北陵クリニック事件  上告審報告・再審決起集会

日時:2008年6月7日(土)13:30〜16:40
場所:港勤労福祉会館 第1洋室
参加者:約80名


●報告:藤沢顕卯さん(首都圏の会事務局長)

 一審では150回の公判の後、無期懲役の判決。二審ではたった4回の公判で事実調べをほとんど行わず控訴棄却。2/25 最高裁上告棄却され一審の無期懲役の判決が確定。 

 現在、宮城刑務所に収監されている。近く別の刑務所に移送される可能性あり。2001/1 に最初の件で逮捕・拘留されてから7年半が経過。

 元患者の一人が民事訴訟で損害賠償請求をもとめ、地裁では原告の訴えを認める判決。


●小川国亜さん(日本国民救援会・中央本部・事務局次長)

 再審制度について説明。 再審が認められるのは、今回の事件に当てはまるものとしては「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見した時」。

 明白性と新規性が重要だが、これをクリアすることが難しかったため「開かずの扉」と言われていた。真犯人が現れてさえも再審が認められなかったケースもある。

 「白鳥決定」・「財田川決定」で、確定判決における事実認定に「合理的な疑い」があれば十分であり、旧証拠と新証拠を総合的に評価すること、疑わしきは被告人の利益に、という原則が示され、「開かずの扉」が開かれた。

 しかし、この直後から最高裁が逆流を始め再び再審が認められない流れが始まった。大崎事件の決定では「白鳥・財田川決定」で示された原則を否定している。

 再審請求審は非公開。地元である宮城の世論を代える必要がある。


●花島弁護士(弁護団・主任弁護士)



 2/25 最高裁上告棄却、3/10 異議申し立て棄却。再審に向けた努力が必要。

 5/27 元患者による損害賠償請求(民事訴訟)判決では原告の言い分を認め5000万円の慰謝料の判決。控訴審へ。

 事件を評価する2つの柱は、捜査のあり方と医学・科学の目。 捜査のあり方については鑑定と自白。守さんを有罪にすることで誰が何を守ろうとしているのか。

 鑑定は筋弛緩剤が検出されるかどうかについてだが。警察が試料をすべて使い切ってしまったとして空のきれいに洗浄した容器を戻してきて、再鑑定が出来ない状態。他の刑事事件、たとえば覚醒剤のような事件でも、多くの場合試料を使い切ったとされ再鑑定が出来ない。今回の事件は原告が否認しているからなおさら再鑑定が必要だが、これが問題だと認めると他の刑事事件に影響が及ぶのでそれをおそれているのか。

 裁判官の医学、科学に対する理解がおかしい。科学の目でシロクロつける鉄則を忘れている。

 判決では法廷でどちらからも主張されていないこと(看護士が書き間違えたのだろういうこと)を裁判官が勝手に付け加え都合の悪い事実を却下している。

 背景には医師と看護師の立場の格差がある。病院を守るためではないか。

 最高裁の上告棄却では、法廷が開かれず、一通の手紙(判決文)が拘置所にいる被告と主任弁護士に送られてくるだけ。法廷で理由が述べられることがない。

 最高裁判決では、原判決についてのおかしな点(直接証拠が1つも無い、試料を全量使い切ってしまった、状況証拠を並べるだけ等)について、いっさいふれることなく、判断のものさし(鑑定のあるべき姿等)を示すこともない。最高裁の職責の放棄、判断の放棄。早く手じまいしたいという裁判所の態度も問題。

 検察のリークによる報道がつくったイメージが判決に影響する。これをひっくり返すことが非常に難しい。本来は疑わしきは罰せずで、有罪であることを検察が立証する必要があるが、実態は有罪が前提で、無罪であることを被告が立証しなければならない立場に追い込まれている。再審請求はこれがさらに強いので難しい。

 東北大医学部を中心とした医療「業界」ではモノが言いにくく、個々人に聞くと「おかしい」と言っても、「もう終わってしまったことだから」と公の場では話してもらえない。

 裁判員制度が始まると、「有罪にすることが決まっている」ことを裁判員が無罪と判断することは非常に難しいだろう。


●阿部弁護士
(弁護団長、再審無罪となった松山事件も担当していた)




 最高裁判決後、守さんに会ったが拘置所から刑務所に移され、髪はバリカンで剃られ、私服から刑務所の服に替えられ、判決が確定してしまったことを実感した。

 守さんは7年間1日も欠かさず日記をつけてきた。1ページ毎に逮捕されてからの日数が書かれている。これによると今日は2710日目。朝、昼、夕の食事の内容も書かれている。今日の集会に向けみなさんにメッセージ(2682日目の日記)。この事件の真実を日本の津々浦々に広めて欲しい。

 看護士、准看護師の上に医師、病院、医学部があるヒエラルキーが事件を規定してしまった。これに加え捜査の誤り、鑑定の誤りがえん罪を造っている。

 刑法学者であり判事でもあった、先年亡くなられたわたなべやすお(?)さんが最高裁で調査官をしていた時に、多くの刑事事件で有罪を破棄すべきという意見書を挙げていた。事実上の遺言として、最近は被告人の利益よりも秩序・治安の安定に重点を置く保守化した判決が増えていると書かれていた。

 今回の事件は警察の発表からはじまり、大報道、「急変の守」(実際にはそのように呼ばれていた事実はなかったと裁判でも示されている)との報道、5件の「事件」の逮捕・起訴の繰り返し、105日間の強制捜査、20人急変が発生し、うち10名が死亡かとの報道され、前代未聞の事件だった。

 起訴された5件の1つ1つをみると、症状がばらばらで、筋肉弛緩剤によっておきる症状の順番と違う(医師の証言)、カルテには当初から別の死因が書かれていた等、筋弛緩剤による死亡でないことが明らかだった。それが最初の逮捕、報道以降、すべて筋弛緩剤の投与によるものであるとされてしまった。

 そもそもは、急変の原因が分からなかった1歳の女児について、法医が症状が筋弛緩剤によるものに似ていると指摘し「犬殺し」(筋弛緩剤)は検出されないものだ、と伝えたのが発端で警察が動き、捜査本部が立ち上げられたのがきっかけで、報道(クリニックの経営者夫妻が訴えた)と違う。

 その後、「疑いの風船」がふくらみ、同時期の急変、死亡がすべて筋弛緩剤の投与によるものであるかのように思われた。

 守さんが就職した時期は、クリニックが老人養護施設と契約し、多くのお年寄りを受け入れるようになったので、80〜90歳の患者さんの急変、死亡が増えていた。また、救急病院の医者がやめ、救急患者が搬送されるようになったが措置が出来ない医者がいて、子供の急変、死亡が起きていた。そのため、その状況を当時は誰もおかしいとは思っていなかった。

 鑑定が唯一の証拠だったはずだが、スポーツのドーピング検査ですら、再鑑定ができるよう試料を取っておくのに、試料をすべて使い切ってしまった。本人が否認しているのだから、再鑑定が必要になることは明らかだったはず。

 国家公安委員会規則には、再鑑定のために試料を残すように書かれている。(ただし刑事事件に対する拘束力はない。)

 また、再鑑定するまでもなく、大阪府警の鑑定結果のデータの読み方がおかしく、実際には筋弛緩剤が検出されていないとする証言もあった。

 そのため、分析化学も医学(症状が筋弛緩剤によるものでない)も無視して、有罪を維持できるのか、と疑問だった。

 それにもかかわらず、判決ではこれらの疑問に答えていない。

 そもそも鑑定したとされる試料の存在そのものが疑問なケースがある。4歳の患者の場合には、3項目の血液検査のため3本の試験管に分けて外部に検査に出された。残った血液は存在しないはずなのに、試料の入手元についての説明すらない。

 再審の条件として求められる「新証拠」、「明白性」については、1、2、3審で判断の対象となっていない証拠は「新証拠」になりうると考える。また、筋弛緩剤の標準試料について分析を現在依頼している。病気の鑑定についても現在依頼中。

 日弁連の再審請求に向けた支援を要請している。日弁連では支援すべきかどうかを判断するための調査に入ることになった。

 再審請求を行うタイミングについては、新証拠によって世論をもりあげ、弁護団、科学者の支援を得て、再審に望ましい状況を作ってから行いたい。

----------------10分休憩

主な質疑(略)


●守さんの父親からの挨拶



 本人は気持ちの優しい、気が小さい、臆病な性格。教授を慕っており、こんなことになった今でも信頼しているよう。

 1ヶ月の未曾有の報道、青天の霹靂だった。

 弁護士に本人は無実だと伝えられても安心させるために言っているのではないかと疑心暗鬼だった。

 自分の仕事をどうするか。とりあえず病欠したが、学校の先生、銀行員をやっている兄弟に相談したところ、すでに辞表を出したという(受理されなかったが)。近くにいる身内が去っていた。

 自分の職場では理解してくれて、圧力がなかったのが幸いだった。

 自分自身の目に見えない大きなプレッシャーが非常に大きかった。

 遠くにいる親戚や知らない人たちが支えてくれた。支援の輪が広がっていった。

 命の続く限り息子を助けるためにがんばりたい。

 もともとは裁判を信じていたが、うらぎられた。最後は神、仏に頼んだが、か
なわなかった。今は皆さんにお願いするしかない。


●守さんの知人(クリニックに出入りしていた検査センター勤務)

 直接、守さんを知る人として。

 優しいお兄さん。会に届いた手紙でもわずかな期間しか会ったことのない自分に言及していて今でも優しい気持ちを持ち続けている人だと感じた。

 TVで事件の報道をみて、何かの間違い、絶対に違うと思っていたが、遠くで見守ることしか出来なかった。それを今は後悔している。出来ることを少しでもやりたい。守さんの笑顔をみたい。