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以前から気になっていた「能楽」にはじめて接することができた。 同僚の池田こみちの聖心女子大付属中学校、高等学校の同級生、鵜澤 久さんが私の自宅近くのJR目黒駅近くにある能楽堂で能を研究公演するということで、池田そして池田の叔母と3人で参加した。 鵜澤さんは、聖心女子大付属高校卒業後、東京芸術大学邦楽科観世流を専攻後、同大学院を修了し、現在、女性の観世流シテ方能楽師準職分である。鵜澤さんのお嬢さん、鵜澤光さんも東京芸術大学邦楽科観世流を専攻後、現在、女性の観世流シテ方能楽師準職分であり、今回公演されていた。 左、池田こみち、右、観世流シテ方能楽師 鵜澤久氏 能楽堂の楽屋にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 左、青山貞一、右、観世流シテ方能楽師 鵜澤久 能楽堂の楽屋にて 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8 2013-1-26 能楽堂の場所は、JR目黒駅南口からドレスメーカー学院通り(ドレメ通り)を南側に300mほど下ったところにある。喜多六平太記念能楽堂(以下は道順地図)である。 喜多六平太記念能楽堂の位置 出典:グーグルマップ 実は6年ほど前まで、私達の環境総合研究所(東京都目黒区)の本社は、この能楽堂の斜前にあるマンション雅叙苑にあった。そんなこともあり、一度能楽堂に行ってみたいと思っていたが、池田の友人が観世流の能楽師であったこともあり、今回、研究公演に参加することとなった。 なお、鵜澤さんのご自宅兼稽古場は、私達の現在の研究所がある東京都品川区旗の台のすぐ近くにあり、鵜澤さんご自身が研究所に来られたこともある。 目黒駅近くにある喜多六平太記念能楽堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 喜多六平太記念能楽堂の入り口 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 なお、観世流とは、能楽における能の流派のひとつであり、シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。シテ方観世流については、以下の説明をご覧頂きたい。
飛鳥時代 奈良時代......「猿楽」の源流、起源? 平安時代......「能楽」の源流、起源? 鎌倉時代 室町時代...... 観阿弥、世阿弥 南北朝時代.....世阿弥 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代 幕末 明治時代 下の写真は平泉中尊寺の白山神社にある能楽堂である。この能楽堂は、舞台、楽屋、橋掛、鏡の間などを完備し、近世の能舞台としては東日本唯一のもの。国の重要文化財に指定されている。 平泉中尊寺の白山神社にて 撮影:池田こみち Digital Camera Nikon CoolPix S10
東日本随一と言われる平泉中尊寺、白山神社の能楽堂 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 下は、秩父事件の発端となった椋神社内にある能楽堂である。 椋神社境内の能楽堂(埼玉県秩父郡にて) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 椋神社境内 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
入場券 能楽堂内部は、以下の写真のごとくとなっている。大きな神社に行くと、どこにも能舞台があるが、その舞台が能楽堂内部に入れ子になっている。 東京のど真ん中、それも自宅近くに、こんな能楽堂があるとはつゆほども知らなかった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 観客席は以下の配置図にあるように舞台の下側を中心に左側、二階席がある。私達はA席の最後部に座った。上の写真はそこから撮影した舞台である。 出典:鵜澤久第三回研究公演パンフレットより 肝心の番組を示す。 鵜澤光さんらによる「仕舞」そして鵜澤久さんの「葛城」あと、観阿弥の作品で有名な「求塚」が公演された。 あらかじめあらましなどを「勉強」していったが、能の世界の奥行きと歴史・文化に魅せられた一日であった。気になったこととして、どうみても参加者の平均年齢が70歳超であったことである。 他の伝統芸能でもそうだが、もっと若い人々に能楽の存在をアピールできればと思う! 青山貞一 |
出典:鵜澤久第三回研究公演パンフレットより
以下は<求塚>の解説。 ◆求塚 ― もとめづか ― 作者 観阿弥 素材 『大和物語』 場所 摂津国 生田(現・神戸市生田区) 季節 早春 演能時間 1時間40分〜50分 分類 4番目 執心物 ■あらすじ 出典:http://www.kanshou.com/03/butai/motome.htm 「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」 旅の僧が都に上る途中、生田の里で、若菜摘みの女性に、生田の森、生田の川、求塚などの事を尋ねます。若菜摘みの女性たちは戯れながら帰ってしまいますが、1人残った女性が、求塚のことを語ります。 「 昔この所に、菟名日少女と申す女ありしに。また其の頃、小竹田男子、血沼の丈夫と申しし者、かの菟名日少女に心をかけ、同じ日の同じ時、わりなき思ひの玉章を通はす。…」小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男に思いを寄せられた菟名日少女は「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と、どちらにも靡かずにいましたが、様々の争いの後、二人の男は生田川の鴛鴦を弓矢で射、二つの矢先は同じ鴛鴦に当りました。菟名日少女は、鴛鴦が死んだ事までも「我故」と思い、「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」、これを最後の言葉に菟名日少女は生田川に身を捨てます。それを取り上げ、塚の土中に籠め、又、二人の男は「何時まで生田川…」何時まで生きる事があろうかと、と刺し違えて死んでしまいました。 これを語るうちに、その女性は、菟名日少女を「私」と言い、二人の男が死んだ事まで「我が利(トガ)」で、たすけ給えと言いながら塚の中に入ってしまいます。 所の者に話を聞き、僧は弔いをしていると、求塚の中より弔いを喜ぶ声が聞こえ、浮かばれていない菟名日少女の亡霊が現れます。小竹田男子と血沼の丈夫、二人の男は、菟名日少女の左右の手を引き、来れ来れと責め、又、鴛鴦は鉄鳥となって、菟名日少女の髪に乗り移り、頭をつつき、髄を食います。菟名日少女は、地獄の鬼に追っ立てられ、「行かんとすれば、前は海、後は火焔、左も右も水火の責めに詰められて」しかたなく柱に縋りつくと、柱は火焔となって燃え上がります。八大地獄の責めを受け、三年三月の苦しみが果てると、鬼も去り火焔も消え、暗闇となります。菟名日少女の亡霊は、元の住処を求め行き、求塚の草の蔭野の露の様に消え失せます。 能「求塚」の前半、菟名日少女は、雪の残る新春に菜摘み女たちに交じり、旅僧に戯言を言いながら、楽しそうに若菜を摘みます。本当ならば幸せな一生を送る筈であったと思います。ひょっとすると、楽しそうに若菜を摘む女たちと自分も一緒にと思って、ひかれるように交じったのでしょうか。 菟名日少女は、「彼方へ靡かば此方の恨みなるべし…。」と考える様な、やさしい少女であった事と思います。己が決断をしなかった事で、また、己にかかる事を受け入れ様とした事で、思いもよらない結果となりました。鴛鴦が命を落とした事も「我故」と考え、自分で自分の命を絶ち、それ故、二人の男まで死んでしまいます。 「住みわびぬ我が身捨ててん津の国の生田の川は名のみなりけり」生田の川は名のみなりけり。生きるという名前であるのに、生きられなかった…。浮世を渡るという言葉がありますが、生きていく事の難しさを思わずには居られません。菟名日少女、小竹田男子、血沼の丈夫の三人は、神戸の処女塚、その東西にある二つの求塚に、今も浮かばれずにいるのでしょうか。「やさしい」「優柔不断」、「強い」「わがまま」、「中道」「適度」、色々な言葉を改めて考えさせられる思いでおります。 ■登場人物 前シテ・・・菜摘の女 面:若女、節木増、孫次郎、小面 装束:鬘、紅入鬘帯、摺箔、紅入縫箔腰巻、水衣、紅入腰帯又は唐織着流、鬘扇、篭 後シテ・・・莵名日少女の霊 面:痩女 装束:鬘、紅無鬘帯、摺箔、浅黄大口、白練壺折、紅無腰帯、紅無鬘扇 ツレ・・・菜摘の女 面:小面 装束:鬘、紅入鬘帯、摺箔、紅入縫箔腰巻、水衣、紅入腰帯、紅入中啓、籠 ワキ・・・旅僧 装束:角帽子、無地熨斗目、 水衣、鍜子腰帯、墨絵扇、数珠 ワキツレ・・・従僧 装束:角帽子、無地熨斗目、縷水衣、鍜子腰帯、墨絵扇、数珠 アイ・・・所の者 装束:長上下 ■舞台展開 塚に見立てた作り物が後見によって出される。 旅僧(ワキ)、従僧(ワキツレ)が、都へ上る途中、生田の里へ着く。 里の若い女(シテ・ツレ)の登場。早春の生田の風景を叙し若菜を摘もうと言う。 若菜摘みの様子が謡われる。ツレ二人は帰ってしまい、シテのみが残る。 一人残っていた里女は、旅僧を求塚へと案内し、その謂れを語り出す。 ―昔、莵名日少女が二人の男に求愛され、生田川の鴛鴦を射当てた者にと決めたが、二人の矢は一つの鳥の翼に当ってしまった。 少女は生田川に身を投げ、二人の男は刺し違えて空しくなった。―そして、僧に回向を頼んで塚の内へと消えていった。 所の者(アイ)の居語。求塚の謂れについて莵名日少女の物語を述べる。 旅僧、莵名日少女の亡魂を弔っている。 莵名日少女の霊(後シテ)が荒涼たる墳墓の有様、現世への妄執を述べ、塚の中から現れる。 旅僧が回向をすると、莵名日少女の霊は苦しみのなかでも御法の声を聞けたことを感謝するのだが、今も二人の男の亡心に責められ、また八大地獄の数々の苦しみの様を見せる。 しばらくの安らぎの時がきて、もとの住処へ帰ろうと言って、暗闇のなかに塚を探し求め、そのまま姿は消え失せる。 より詳細版 |