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独立系メディア「今日のコラム」論説


議院内閣制下の大臣は
「族議員」か「ど素人」?


青山貞一

掲載日:2006.9.30


 日本が議院内閣制をとっている以上、ある程度は仕方ない、と言えばそれまでだ。しかし、毎回新内閣が発足し、官邸で記者会見している新大臣を見ると、やはり、いつもながら同じことを痛感する。

議院内閣制(、Parliamentary System):

「議会」と「政府(内閣)」が分立してはいるが、「政府(内閣)」は「議会」の信任によって存在する制度。「議会」は二院制の場合、主に下院の信任を必要とされ、一方で内閣は議会の解散権をもつことによって制度上議会と内閣との間に相互関係を築いている政治統治体系をいう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 それは、日本の大臣の多くが多数派を占める与党の国会議員から、「論功行賞」あるいは「当選回数による順送り」のいずれかで決まっていることである。大統領制であれば、議員と無関係に大統領が大臣、長官らを選べるから、「論功行賞」はもとより「当選回数による順送り」などありえない。

 また国民から選ばれた大統領は、国会議員ではなく、官民を問わず、それぞれの分野の専門家、研究者、実務家、事業家、NPO代表などから、どさっと人材を連れ大統領府に乗り込める。

大統領制(presidential system)

「大統領制」では立法府と行政府が独立して牽制しあう。行政府の長は大統領であり、首相は存在しないか、存在する場合でも大統領の下僚に過ぎない。大統領に対する不信任決議や、議会に対する解散権は認められないので、大統領も議員もいったん就任すれば本人が辞任するか、事故がないかぎり任期を中断されることがない。しかし大統領と議会は孤立して分かれるのではなく、相手の行動に影響を及ぼすべく交渉し、場合によっては拒否権を行使する。また、この制度の場合、大統領の所属政党と議会の多数派が違う政党になることもあり、その場合法案の成立が思うように出来なくなるため、大統領の政権運営は難しいものになる。
 議会が大統領に対して用いる牽制・抑制手段には、予算承認権、条約批准権の他、高官人事の承認権、大統領に対する弾劾・罷免などがある。大統領が用いる対抗手段には、政府法案の提出あるいは勧告権、大統領令などの行政立法権、法案の拒否権や遅延権、非常事態宣言や戒厳令などの非常権限などがある。有無と細部は各国で異なる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 米国ではかつて、NPO代表であるデニス・ヘイズ氏がカーター政権時代に自然エネルギー連邦調査会長官をつとめていたこともある。

 議院内閣制ではあっても、選ばれた議員自身が自分が担当する分野、たとえば法務なり、国土交通、環境、福祉などの基礎的な素養、見識があればまだしも、まったく「ど素人」が大臣についていることが多い。

 それらの大臣には「何だこりゃ?」 と思われる発言も多い。いずれにしても、当該分野の素養、知識、経験、見識がまったくない国会議員らがいきなり大臣となることは、国民にとって非常に不幸なことである。 もちろん、「ど素人」であるが故の強みはあるかも知れない。しかし、実際にはそれ以外のリスクの方が遙かに大きい。

 さらに言えば、「ど素人」が大臣となった場合、省庁の官僚が待っていましたとばかり、新大臣に数週間、あれこれとレクをする。レクはまさに省庁が従来してきたことの延長線上でなされる。したがって、残された「ど素人」の強み、良ささえ、発揮できなくなる可能性が高い。

 記者会見や国会答弁で、いかにも役人が書いた筋書き通りに話しているなぁ、と思えるのは、このようなケースだ。

 それでは、ある分野に通じた大臣であればそれでよいか、と言うと、必ずしもそうでない。それはなぜか?

 答えは簡単である。政治家の世界、とくに与党内でその道にタケタ人材と言うことは、いわるゆ「族議員」であることと、ニアリーイコール(ほぼ同じ)であるからだ。

 「族議員」は、産業、企業と癒着し、それらの以降で立法、行政をコントロールする議員と思われがちだが、もともとは以下の説明にあるように、必ずしもそうではなく、「ある分野の政策立案に影響力を持つ政治家の集団の」を意味している。しかし、永年、ある分野にとどまり、政権が長く続くことにより、当該分野の業界、企業などとの利害関係が生じ、国民益より省益、さらに産業益、企業益と、特定利害集団の益にその活動が特化することもある。

族議員

与党議員の中で、ある分野の政策立案に影響力を持つ政治家の集団のこと。集団においてはその分野を所管する省庁の大臣、政務次官などの経験者、所管官庁のキャリア官僚(事務次官、審議官など)の出身議員が多く、彼らが政策立案の決定権を握っている。族議員はロビイストと化しており、特定の省庁や業界の権益を巡る癒着体質が問題視されている。あえて「族」の方針に反対する政策を立法行政府が立案遂行することは困難な状況になっている。

日本の自民党の主な族議員として、郵政族(総務省・郵政公社)、道路族・建設族(国土交通省)、農林族(農林水産省)、文教族(文部科学省)、国防族(防衛庁)、厚生族・労働族(厚生労働省)、商工族(経済産業省)大蔵族・財務族・金融族(大蔵省・財務省)があげられる。

また議院内閣制であることから首相も族議員のひとりであることが多く、首相の属する「族」はその内閣の政策決定に大きな影響力を及ぼすことになる。小泉内閣で政策決定に最大の影響力を保持しているのは小泉純一郎首相が属す大蔵族・財務族であるといわれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 「族議員」は毎日、毎日、族分野の企業、産業などから、さまざまな陳情を受ける。また族分野の研究会、勉強会にせっせと参加、出席する。その結果、その道の専門家でも、およそ知らないようなことをよく知っている。

 それもただ知っている、知識が多いだけでない。その世界のからくり、メカニズム、人脈、力関係など、単なる常識や大学、大学院ではおそわらないことに、よく通じていることが多い。

 もちろん、「族議員」は、自分の専門とする分野はやたらと詳しいが、ちょっと脇にはずれると、まさに「ど素人」となることが多い。その点は、学者の世界に似ている。いわゆる専門バカの世界である。

 ある時、地方自治法の一部改正で住民訴訟関連制度の大幅な改正を旧自治省の官僚が画策したことがある。結局その法改正は衆参を通過した。

 私の学者や弁護士の仲間は、この改正はとんでもない考え、さっそく自民、民主、公明、社民等の各政党の有力議員に自治省(その後、総務省)の法改正を阻止すべく、議員会館を連日訪問し、私たちがなぜ、この法改正に反対するか、その理由などを説明し回ったことがある。

 このとき私と一緒に活動したメンバーは、日本を代表する行政法の専門家で皆大学の教授をしていた。そのうちの一人で元々、霞ヶ関のキャリアーをしていた経験がある大学教授が、自民党は誰に説明に行くかと言いだした。首相経験者にしようということになり、最終的に橋本龍太郎衆議院議員(当時)に話そうということになった。

 さっそく、その友人が議員会館の秘書に連絡し、霞ヶ関、永田町近くの小さなフランス料理店で橋本さんと待ち合わせをした。 時間通り来られた橋本さんに、本題を友人が説明した。橋本さんは、「えぇ、そんな法律改正があったの」と言われた。さらに話してゆくと「それはまずいね。だけどすでに衆院に提出され継続審議となっているんでしょ」と言われた。

 橋本さんは「毎国会、150近くの法案や改正案があるので、自分でもすべてに目を通す議員はいない、住民訴訟法改正案の場合、市町村合併をやりやするための地方自治法の改正と抱き合わせとなっていた」。橋本さんへの旧自治省官僚の説明では、「市町村合併をしやすくする法改正の説明ばかりされ、同じ地方自治法の一部改正の住民訴訟法改正については、ほとんどなかった」と言われた。

 本題にもどす。

 法改正問題の一通り話が終わった後、橋本さんと雑談をした。橋本さんはご自身の得意な分野のお話をはじめられ、30分ほど橋本さんのお話しを伺った。しかし、その内容はえらく詳しいもので、何から何まで細々、よくご存じなことに驚いかされたのである。私の専門分野でないと言うこともあるにはあるが、すごいのである。これにはみな、驚いてしまった。これは自民党の議員に多い。

 ただ、その橋本さんでも、自分が関心があったり、失礼だが族議員としてがんばられた分野以外では、法案ですら目を通していないこともわかった。

 このように、議院内閣制のもとでの大臣は、官僚に操られる「ど素人」でもl困る。さりとて「族議員」でも困るのである。

 当然、族議員は通常、その分野の産業の利益になることに熱心に係わっても、当該分野の不利益や害についてはあまり熱心にならないからだ。そして、分野が少しでも異なると、関心が一気になくなることもある。

 もちろん、専門的知見がなくとも、ある政策判断において、善し悪しに一定以上の見識があれば、それなりの役割を果たせると言う見方もある。

 その道の知見、見識ある民間人を大臣に登用すればよいと言う考えもある。官僚の側からすれば、大臣などはじめから飾りであるという見方もある。

 さらに大臣ではないが、石原慎太郎氏や田中康夫氏のように、作家の世界から政治の世界に入り、1,2年で頭角をあらわしているひともいる。もっぱら、知事の場合は、任期がよほどのことがない限り4年あり、そこで頭角を現すこともあるが、国の大臣の場合、1年あまりで替わってしまうことがある。2年続けばよい方だと言う指摘もある。

 そうなると、知事の場合と大臣とはかなり違う。

 。。。

 できればこのコラムの次回にでも、安倍晋三総理が組閣した各大臣を、上の観点からひとりひとりチェックしてみたいと思う。

 ちょっとみただけで、「論功行賞」人事はもとより利権にまみれた「族議員」や「ど素人」が多数いることが分かる。また官僚の腹話術や操り人形となりそうな大臣もいそうだ。メディアは、新大臣就任時でも、その後でもおよそどうでもよい質問をしていることが多い。

 考えてみれば、大臣に質問を出すメディアの記者も、「ど素人」であることが多いのだ。そうなると、「ど素人」記者vs「ど素人」大臣、あるいは「ど素人」vs「族議員」の構図となる。さらに、この種の記者会見はどういうわけか、やたら時間が限られていて、司会役が早めに終わらせてしまう。

 これではいつになっても、単なる顔見せショーとなり、本当の意味での政治主導は実現せず、官僚主導など克服できっこない。

 本筋の政治を実現するためには、現在、二世、三世に占有されている国会議員や族議員が跳梁跋扈する利害調整型政治から国民益に根ざし、政権交代が可能な政治に変えることがどうしても不可欠だ。

 そのためには、まさに国会議員になりたい、大臣になりたいひとではなく、本来国政で思い切りがんばってもらいたい「人材」に、国民の一票を振り向けることがもっとも大切である。

 また「族議員」は使い方次第で国民益の観点から強い力になる可能性もないことはない。以下はその昔、新潟日報記者のインタビューに応じたときの記事である。


新潟日報 2002年1月25日朝刊

永田町に言いたい(2)
族議員の「薬」生かせ/国民の声、政策に反映を

環境総合研究所所長 青山 貞一

―政策提言などで政治家に接する機会が多いが、永田町の現状をどう見るか。

青山
 内閣が提出する法案の大部分は(官僚がつくった)政府提出法案だ。国会に提出する前に与党の政策決定機関の審議を経ているとはいえ、多くの法案はさほど吟味されることなく素通りしているのが現状だ。

 「国会審議を円滑にするために、与党は事前に政府提出法案に所属議員の考えを反映させている。これは政治主導といえる」
(自民党・稲葉大和衆議院議員)

青山
 政治主導の本来の意味は、議会が立法行為を一手に握って、行政府をコントロールすることだ。立法プロセスもできるだけオープンにして、幅広く国民から声を聞く、ということではないか。政治主導は立法府主導ということだ。

―議員立法を増やすべきだと。

青山
 その通りなのだが、議員提出法案も官僚がコントロールしている現実がある。法案の骨格は議員の発案でできていても、(具体的な規制値など)肝心の部分は官僚が省令などで決めている。
 日本の法律は、非常に難解に書かれている。条文が難解で解釈によって意味が変わるため、官僚が裁量を振るう余地が生まれる。官僚の権力の源泉ともなっている。

―与党議員は部会などの場で、政府の法案づくりに直接関与する機会が多いと主張するが。

青山
 自民党議員の中には官僚以上の政策通がいることは確かだ。しかし、自民党政権が長期間続いているため、こうした議員は特定の利権と結びつき族議員化しがちだ。
 政権交代がないから、特定分野の利益代表である議員が政府法案づくりに関与し続ける。特定分野の利益しか考えない議員は野党にもいる。こうした族議員が数多くいる限り、いつまでたっても国民全般の意志が政策に反映されない。

 「政権交代がないことが立法府主導を拒んでいることは間違いない。野党も議員立法を数多く手がけているが、数で劣るので日の目を見ない」
(民主党・筒井信隆衆議院議員)

―国民の声は国会審議に届きにくい。

青山
 米国の議会では公聴会が頻繁に開かれる。しかし、日本は採決の直前に儀礼的に開かれるに過ぎない。専門家の意見を聞くなら、審議開始前でなければ審議に反映されるはずがない。
 英国議会は、審議の過程で法案に与野党の意見を細かい点まで反映させる。日本の国会審議は形骸化しているが、もっと審議の中で議員なり国民の声が反映されるようにしないと。

―今、どんな政治家像が求められているのか。

青山
 与党には族議員が多く、野党議員は専門知識に欠ける人が多いと感じる。ただ、特定分野との結びつきが強いが専門知識がある議員は、いわば毒にも薬にもなる。国民は、こうした議員の「薬」の部分を生かすようにすべきだ。与野党を問わず国民の側から働きかけて、「使える」政治家を育てる必要があるのではないか。

「特定業界などとの癒着はよくないが、専門知識を持って議員立法につなげることは必要。いい族議員、悪い族議員というのがあるのではないか」
(自民・田中直紀参議院議員)

青山
 特定の支持層が背景にいる政治家にしてみると、(選挙を考えれば)国民各層の声を聞くというのは怖い面もあるのだろう。しかし、自分に批判的な層こそ、真に有用な情報をもたらすともいえる。そういう声を聞く度量がほしい。