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事故当日(8月12日)、日本政府は米軍からの救援を断りながら、救助は墜落後、半日の後、8月13日朝からとし、マスコミもそれを受け、墜落場所は不明で、夜遅くなったので明日朝から捜索を開始すると報道していたのです。 下は、テレビ朝日の特番ビデオです。インタビューされた米軍関係者らは、日本政府が神奈川県座間キャンプから現地に北UH-1の米軍ヘリによる救助を拒否している様子がはっきりと見て取れます。米軍関係者には座間キャンプだけでなく、横田基地のC130輸送機の乗組員もいます。 ★日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)You Tube 米軍座間キャンプのUH-1ヘリコプター 証言する元米兵 以下は、「日航機墜落事故についての文集、小さな目は見た」、上野村立上野小学校の子供達の証言の一部です。※個人名が特定される部分はイニシャル、または伏字に替えています
上野小学校の生徒が「八月十二日の夕方、六時四十五分ごろ南の空の方からジェット機二機ともう一機大きい飛行機が飛んできたから、あわてて外へ出て見た。」と書いています。大きな飛行機はJAL123便であり、ジェット機2機は、おそらく自衛隊のF4E機です。 さらに、「八月十二日の夕方に、花火をしていてヘリコプターがいっぱい飛んでいたからどうしたのかと思った。」とあります。このヘリのなかには、日本政府から救援を拒否された米軍のUH-1が含まれていたはずです。 以下の表1は、米軍、航空自衛隊、陸上自衛隊、長野県警などのヘリや航空機がJAL123便の日航機ジャンボジェット機が墜落した位置を調査し、報告している時刻と位置を報告している内容です。 この調査によれば、8月12日夜から8月13日早朝にかけ自衛隊は、墜落現場を7回のうち6回激突した位置を間違って報告していることになります。13日早朝5:37に長野県警が正確な位置を報告してからも、陸自は間違った位置を報告しています。 となれば、早朝まで自衛隊以外が現地に行くのを妨害しているとしか思えなくなります。信じられないことです。 表1 米軍、航空自衛隊、陸上自衛隊、長野県警などのヘリや航空機 の日航機墜落位置の調査、報告内容
つづく |