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NHKのBS1が放映したフランスのテレビ局が制作した米国・ロシア・フランスにおける放射性廃棄物問題に関するドキュメント、「終わらない悪夢」のテキスト部分をトランスクリプトした。 ドキュメントの原題は以下の通りである。 原題:Waste: The Nuclear Nightmare 制作:Arte France/Bonne Pioche (フランス 2009年) 前編 ●プロローグ ・この番組は電力の80%を原子力に依存するフランスでつくられた番組。放射性廃棄物の処理という課題に焦点を当てている。 ・(株)アレバ CEO アンヌ・ロベルジョン氏は言う。一般の市民は、家庭のごみ処理にさえ不安を覚えるのだから放射性廃棄物に不安を感じるのは当然。我々は、透明性が欠けている部分があった。 Source:Arte France/Bonne Pioche 市民には知る権利がある。タブーや秘密にされるべき問題ではない。もっと開かれた議論をする必要がある。 ・EUの最近の世論調査では、原子力産業に75%の人が原発に不安を感じている。その・2000年6月に撮影された海底にドラム缶が沈んでいき、朽ち果てていく映像。海底には放射性廃棄物の詰まったドラム缶が散らばっている。 Source:Arte France/Bonne Pioche Source:Arte France/Bonne Pioche Source:Arte France/Bonne Pioche Source:Arte France/Bonne Pioche ・使用済み放射性廃棄物にはプロトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトンなど多様な放射性物質が含まれる。放射能は、それに触れた水、施設、作業服など全てを汚染する。 使用済み放射性廃棄物にはプロトニウム、セシウム、アメリシウム、クリプトンなど多様な放射性物質が含まれる Source:Arte France/Bonne Pioche ・放射性廃棄物は軍隊や企業などでどのように管理されているのかを調べていくことにする。 ●オランダ、アムステルダム グリーンピース本部 ・マイク・タウンズリー氏(グリーンピース本部)は、長年放射性廃棄物の海洋投棄に反対する運動に参加してきた。 海洋投棄に敢然と闘いを挑み海洋投棄を辞めさせてきたグリーンピース Source:Arte France/Bonne Pioche フランス北西部の海沿いの町ラ・アーグの沖に潜り、放射性廃棄物がドラム缶に入れられて海洋投棄されている実態を調査した。海底に投棄されたドラム缶は朽ち果て、放射性物質が流出し、食物連鎖の中に取り込まれていく。壊れたドラム缶にはウナギなどが生息していた。 海底に投棄されたドラム缶は朽ち果て Source:Arte France/Bonne Pioche およそ50年の間、各国はドラム缶に詰めて海洋投棄されていた Source:Arte France/Bonne Pioche Source:Arte France/Bonne Pioche ・人は、絶えず、自然界の弱い放射性物質に囲まれている。通常の生活でも飛行機や、花崗岩の近くなどで放射線を受けている。放射性物質で汚染された空気を吸い込んだり食べ物を食べれば体内に取り込むことになる。強い放射性物質を取り込めばDNAの損傷を修復できない。 ・海洋投棄はかつてはどこの国もやっていた。放射性廃棄物はイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本などの国がドラム缶で海洋投棄していた。これらの国々とって海は格好のゴミ捨て場となってきた歴史がある。 放射性廃棄物はイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本などの国がドラム缶で海洋投棄していた Source:Arte France/Bonne Pioche 放射性廃棄物はイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本などの国がドラム缶で海洋投棄していた Source:Arte France/Bonne Pioche ・IAEAの調査によれば、50年間でさまざまな国が約10万トン以上の放射性廃棄物を海洋投棄してきたと指摘しており、イギリスだけで全体の80%を超えているという。そして、海のないスイスは第二位の規模となっている。 世界中で行われていた海洋投棄。日本も例外ではない Source:Arte France/Bonne Pioche ・グリーンピースやその他のNGO・NPOによる海洋投棄現場での体当たりの反対運動が報道されることにより次第にそうした行為は世界に広がり世論を喚起したものの、海洋投棄が国際条約で禁止となるまでには10年もの歳月を要した。 ・海上での船からの海洋投棄が全面禁止されたのは1993年のこと。しかし廃棄物の管理については未だに曖昧な部分が残っている。 ●軍にとっての機密情報:米国ワシントン州のハンフォードの例 ・1942年、ルーズベルト大統領は、ハンフォードをマンハッタン計画の中心的な町として位置づけた。プルトニウム製造施設が大急ぎでつくられ人口は51000人にもふくれあがった。 米国ワシントン州のコロンビア川沿いにある現在のハンフォード核施設 Source:Arte France/Bonne Pioche ハンフォード Source:Arte France/Bonne Pioche ・原子力の研究開発は、各国の軍にとってトップレベルの機密情報であるため、長い間実験場や施設については公表されてこなかった。 ・ハンフォードは世界で初めてプルトニウムの製造に成功したところであり、米国の核兵器製造の拠点であった。原子爆弾の製造と核燃料の再処理施設を併設していた。 ・しかし、現在は見捨てられた町となっており、すべての核関連施設、軍関連施設は閉鎖されているようだ。施設を管理するDOEは私たち(取材クルー)の立ち入りを拒否した。そこで地元の人に話を聞いた。 ・地元NGOの代表 トム・カーペンター氏に周辺を案内して貰った。立ち入り禁止エリアに入るにはコロンビア川をボートで進む以外にない。こうした辺鄙な場所に核施設をつくるのは、人口が少ないために文句を言う人が少なく、また何かあっても犠牲となる住民が少ないことが最大の理由だ。 世界最初にプルトニウムを生産した原子炉(B炉)にボートで近づく Source:Arte France/Bonne Pioche ・1943年にはB炉と呼ばれる施設で、長崎に投下された原爆が製造された。 長崎に落とされた原爆はこのハンフォードでつくられた Source:Arte France/Bonne Pioche ・ハンフォードは兵器を作る場所なので長い間秘密の場所だったのだ。 ・川のそばに施設を作ったのは川の水を冷却水として利用し、排水を川に流すのに都合が良かったからに他ならない。 ・住民には知らされないまま、秘密裏にマンハッタン計画が進められていたのだ。 ・現在もコロンビア川の川底には高濃度の放射性物質が蓄積しており、今も川の水は汚染され続けているが、取り除くことは誰も出来ない。アメリカ軍の作戦であり住民は何も知らなかった。 ・ハンフォード核施設の責任者は、施設で働く職員の家族が川で泳いだり遊んだりすることを許可し、その危険性を知らせなかった。 20年間聞かされてきたことは事実ではなかった Source:Arte France/Bonne Pioche ・リッチランドに住むアラン・ボルド氏はもとこの施設で働いていた技師。 1963年に21歳で大学を卒業したばかりで就職し、上司を信頼して20年仕事をしてきたが、今になって、長年職場で言われてきたことは事実とはかけ離れていることがわかった。高いレベルの放射性物質で汚染されていることにショックを受けている。施設からの排水が長い間、周辺の環境を汚染してきた。あたりはすっかり汚染された。 ・1943年以降、最も危険性の高い廃液を貯蔵するため170個の巨大なコンクリートタンクをつくり、その後一時的なリスクを減らすためそれを地中に埋めた。タンクは、ひとつひとつにビルが入るほどの大きさだった。 ・地中に埋めたタンクは次第にヒビが入り、中の放射性物質を含む廃液が漏れだして、地下水を汚染していることが発見された。今でもおよそ2億リットルの廃液がタンクに残ったままとなっている。 60個のタンクから廃液が漏洩し地下水を汚染していった Source:Arte France/Bonne Pioche ・これらを処理するためには、溶かしたガラスを流し込んで固める以外にないが作業は進んでいない。その施設は今も建設中で完成するまで汚染水は漏れ続ける。 ・この地域は雨が少なく年間175mmの降雨量しかないが、それでも放射性物質の廃液を地下に浸透させるには十分だった。この先数十万年施設の地下は汚染され続ける。 ・原子炉から川にクロムが流れ込み、鮭の産卵場所を汚染した。それによって川底に生み付けられたサケの卵は汚染されることになる。クロムは稚魚にとって有毒な物質である。 ・2002年、DOEの調査では、コロンビア川の魚にSr-90が含まれていると報告されている。食べ続ければ癌を発症しやすくなる。 コロンビア川は今に至るまで汚染され続けている Source:Arte France/Bonne Pioche ●第三者機関による汚染レベルの調査 ・科学的な裏付けを得るため、フランスの独立系研究機関 クリラッドの研究者に調査を依頼しコロンビア川の汚染について調査を行った。 フランスの非営利第三者の研究所(CRIIRAD)に川の水の分析を依頼 Source:Arte France/Bonne Pioche ・その調査にはアメリカのノーム・バスク氏も同行した。見たところ何の問題もないように見えた。以前に川の汚染の最も酷いところを調査しようとしたが、当局は警備員に捕まえさせてサンプリングを妨害した。 今回は直接的な妨害ではなく、河川周辺の環境を改変することによってサンプリングをしにくくするといった妨害をしたようだ。護岸は整備され、樹木は伐採されて護岸には石が敷き詰めら覆われてしまうなど以前とはまったく様相が異なっていた。しかし、土壌を採取できる場所を見つけることができた。 ・フランスのクリラッドに持ち帰ってコロンビア川の土壌と水を分析したところ、第一に、川の水からはトリチウムが13Bq/L検出された。一方、施設より上流では2.5Bq/L以下にとどまった。 その結果、コロンビア川の汚染実態が明らかに(左は取材班の女性記者) Source:Arte France/Bonne Pioche ・第二に、不自然なほど高い濃度のウランも検出され、自然界のラジウムの4倍の濃度だった。さらに、自然では存在しないユーロピウム152も検出された。 ・施設側は、121kuのエリアの地下水がトリチウムの基準を超えていると認めている。この地下水はゆっくりコロンビア川に向かって流れている。また、ヨウ素129も検出されているが、有効な除去方法がないのが実態である。 ハンフォード施設からコロンビア川に放射性物質が漏洩し続けた Source:Arte France/Bonne Pioche ●ソビエト時代の核汚染 ・1945年から10年間に10の核施設が建設された。30年間ソ連からは何の情報も流れてこなかった。 ・1976年にジョレス・メドベージェフが核施設での爆発事故を暴くまで長い間こうした施設の実態は秘密に覆われていた。この事故は20年間秘密にされていた。なぜ秘密にされてきたのか。 ソ連の核施設の爆発事故を最初に暴露したメドベージェフ Source:Arte France/Bonne Pioche ・1976年、西側諸国では原発推進の必要性に迫られていたため、ソビエトでの爆発事故についてはあまり大きく報じられることはなかった。事故のことを暴露しても、核汚染のことはKGBの陰謀だと思ったのだろう。市民に恐怖を与えないように隠されていた。 英国原子力委員長はメドベージェフの話はナンセンスだと無視し、アメリカは知っていても黙っていた。おそらく原子力に対する恐怖を煽りたくないのが本音だったので、黙っているように言われたのだろう。 マヤーク核施設の爆発事故。 Source:Arte France/Bonne Pioche ・しかし、放射性廃棄物の処理の問題はいまでも解決されていない。その方法はまだ見つかっていない。 ・爆発事故はロシアでは1957年、ウラル地方のチェラビンスク州でおきた。 この事故はの1956年に造られたマヤークという町の近くの核施設で起きた水素爆発のような事故だった。この町は長い間地図に掲載されることもなく、暗号名で呼ばれてきた。 旧ソ連のチェリヤビンスクのマヤーク核施設 この町は永年地図に載らず暗号名で呼ばれていた Source:Arte France/Bonne Pioche ・1957年に爆発したタンクは、この秘密の町のそばにあった。現在も近づくことは出来ない。 この大惨事を調べるため、カラボルカ村にむかった。降り注ぐ放射性物質で大きな被害を受けた村である。当時12歳だった女性はその時、集団農場で農作業の手伝いをしていたという。爆発が起きた9月29日は、学校の全生徒1500人が畑に出ていた。午後4時頃に爆発音を聞いた。 ・爆発は午後4時頃に起きた。大人たちはまた戦争が起きたのかと思ったそうだ。地面が揺れ、空が真っ黒な雲に覆われていった。 ・事故は核施設の廃液タンクが冷却装置の故障で爆発したのが原因だが、その事実を村人は知るよしもなかった。その威力はTNT火薬75トンに相当した。放射性物質が上空1000mまで上り、15000kuを汚染することとなり、200人が死亡し、27万人が被爆した。 ・この核事故はチェルノブイリ以前の最悪の事故といえる。しかし、公表されることはなかった。事故から二日後、子どもたちは畑に集められ、また収穫の手伝いをさせられた。 子どもたちは一年生まで並ばされ、かり出され協力が必要だと言われた。畑にはトラクターで掘った溝があった。農民に大量のジャガイモを溝にただ放り込めと言われ、それでお仕舞いだった。農民たちは「汚染されたから食べられない」ということだけで、何に汚染されているかについては誰も知らなかった。 この惨事についての詳細は何も明らかにされていない。信頼のおける調査結果はなく、癌患者の数などの公的なデータもない。 ・その後、汚染された800kuの土地が立ち入り禁止地域となった。マヤーク核施設とその活動は今も秘密のベールに覆われている。 ・1990年代にペレストロイカ政策の下で撮影された映像を見ると、この世の終わりのような光景だった。核兵器用のプルトニウム製造施設であったこの施設は開業以来、廃液を近くのカラチャイ湖に投棄してきた。 ・湖の放射能レベルが危険なレベルに達したので当局は湖を埋め立てることにした。イギリス人記者の報告によると、大量の岩をカラチャイ湖に運んでいた。核廃棄物を運搬したトラックの運転手たちは、放射線量が高いため、12分の間にすべての作業を終えなければならなかった。 湖畔の放射線レベルは極めて高かいからだ。湖畔の濃度は極めて高いため、岩を堕ろす作業に3分以上はかけられなかった。現在カラチャイ湖は埋め立てられたが、さらに次々と生み出される廃液を埋め立てるため、新たに人工の湖が作られた。 ・新しい人工の湖の放射性レベルはカラチャイ湖よりは低いものの、そこから放射性物質はケチャ川に流れ出し数多くの村を通過して、さらにはオビ川、シベリアを経由して北極海に注いでいる。 ムリュスモゴ村 Source:Arte France/Bonne Pioche Source:Arte France/Bonne Pioche ・ムスリュモヴォ村は、ケチャ川ぞいにある村。クリラッドのクリスチャン・クールボン氏が入り、調査を行った。20年間放射能汚染について調べている。川沿いに橋の下などを調査すると、1400カウント/秒から、2000、2004・・・3000、4000、5000とレベルが高くなっていった。5000カウントは自然界の放射線の50倍に相当する。とても危険な状態であることが明らかになった。 フランスの非営利第三者研究所(CRIIRAD) の研究員がテチャ川の水をサンプリングする Source:Arte France/Bonne Pioche ・橋の下の川泥(底質)に至っては、16000カウント/秒という高濃度を記録した。これはチェルノブイリの汚染レベルに相当する。普通の橋の下にこれほどの場所はない。 ・そこでは、今でも住民が立ち入り魚を釣ったり、芦をかったりしているとのこと。立ち入り禁止にすべき場所である。橋の建設作業員は被爆したことだろう。 ・川は50年間も汚染されてきた。政府は多くの村を立ち退かせたがその中で、ムスリュモヴォは最後に残った村である。 Source:Arte France/Bonne Pioche ・近くには学校があったが、この地区で唯一の高校だった。1991年まで近隣の子どもたちが学んでいた。生徒に人気の場所で魚を捕ったり寝ころんだりしていたが、今は最も汚染の酷い場所である。老人たちがここでガチョウを連れてきて腰を下ろしていたが放射能のせいかみんな死んでしまった。 ・1993年、エリツィンの時代、真相が明らかになる。当時は情報公開が進んだ。アレクセイ・ヤブロコフ氏(ロシア科学アカデミー会員)が環境問題について助言する顧問を務めていた。 元エリツィン大統領環境顧問アレクセイ・ヤブロコフ氏(ロシア科学アカデミー会員) Source:Arte France/Bonne Pioche ・1986年 チェルノブイリ事故はソビエトのゴルバチョフによるグラスノスチのきっかけのひとつとなった事件であり、原子力施設の実態が少しずつ明らかにされていく時代であった。 ・マヤークについてもそのころから噂が広まり、次第に議論されるようになり情報が国民にも伝えられるようになっていった。マヤークの惨事は何万人にも影響を与えていた。 ・1991年から1995年の間がロシアで最も情報が公開された時代だったといえる。その後再びロシアでは情報がもみ消されたり隠されるようになっている。1995年以降ロシアでは情報を手に入れるのがまた難しくなっている。 ・政府は村から退去すれば、補償金を出すと言っているが、わずかなお金では生活できないので死ぬまでそこで暮らすしかないと市民が話している。 高濃度に汚染された牛乳を搾る住民 Source:Arte France/Bonne Pioche ・被災地域の住民にはなにも知らされず、今も汚染された食品を食べたり飲んだりしている。政府の補償はわずか250万円しかなく、それでは汚染された町を退去するにも出来ない状況だと住民は嘆く。 ・この間、大勢の住民が癌で亡くなっている。毎月9000円の年金では、家庭菜園の野菜や、家畜の牛乳などを飲まなければ生活ができないと老婆が語る。 ・住民の健康状態や放射線レベルは毎年、保健機関が調査しているが、その結果は住民には知らされていない。 ・私たちはサンプルを採取して研究所に送ったところ、その地域では牛乳からもセシウム137、トリチウム、Sr-90などが検出されている。牛乳を毎日飲み続ければ感になる可能性がますことになる。 ・市の郊外に放射線障害を調べる研究機関がある。研究所の疫学調査担当のミラ・コセンコ氏は、「住民は特殊な状況に置かれている。まわりの環境が放射線に汚染されているからである。テチャ川沿いの住民3万人について1950年代から50年間追跡調査を行っているが、被爆した放射線量と癌の発生には明確な関係があることが分かっている。 放射線障害研究所の疫学調査担当のミラ・コセンコ氏 Source:Arte France/Bonne Pioche しかし、その結果は住民には知らせていない」と語った。数世代が汚染されている地域に置き去りにされているのだ。老人たちの中には息子を48歳で癌で亡くした人もいる。 ・当局はもっと早く警告を出して住民を避難させるべきだった。我々はモルモットと同じだと住民は語る。「わざとここで生活させられているのだろう。これが我々の運命だ。」 ・チェラビンスク州政府の原子力環境保全局の副局長のスベトラナ・コスティナ氏は、川のそばで安全に暮らせるか、という質問に対して、「もちろん、大丈夫です。もう危険ではありません。 しかし、川の水は農業には使えない。川のそばで暮らす住民にはそのことを伝えている。住民はその制限に従って暮らしている。現在の状況では、放射能レベルは国際的な危険水準を下回っており、立ち退かせる法的根拠がないのです」と述べている。公には何も問題ないという見解だった。 行政当局者はそれでも居住するのに問題ないという Source:Arte France/Bonne Pioche ・現在、ケチャ川の土手は立ち入り禁止になっているが、警備は緩く住民や家畜はいまだに出入りしている。空間線量は自然の放射線の75倍の高さであった。 ・夜陰に乗じて周辺でサンプリングを行っい魚や土壌を採取した。フランスに持ち帰ったサンプルを分析してみたところ、幹線道路の橋の下の土手では、土壌のセシウム137の濃度は極めて高い。すさまじい汚染が明らかとなった。 最終結果を見ると、ケチャ川はトリチウムで高度に汚染されていた。特に土手の土壌のCs137のレベルは高く、18万Bq/kgにも達している。土壌そのものが放射性廃棄物となっている。水と土が汚染されそれが食物連鎖に取り込まれ、人々は外部被爆に加えて、魚(600Bq/kg)や牛乳(24Bq/kg)を食べることによって内部被爆も受けている。 。 現場でサンプリングした試料をフランスで第三者研究所(CRIIRAD)が分析 Source:Arte France/Bonne Pioche 高濃度のセシウム137が検出される Source:Arte France/Bonne Pioche ・村は汚染されているにも拘わらず、なぜ住民を避難させないのかということだ問題だ。 ・数日後、土壌からは猛毒のプルトニウム239や240も検出されておりその濃度レベルは2200Bq/kgにも及んでいることが判明した。 ・軍事用か民間用かを問わず、原子炉は廃棄物を生み出し、その一部が環境の中に出ていくということだ。 後編に続く 終わらない悪夢 |