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イタリア人と言えば、ラテン系の明るくおおざっぱな気質と思われがちだが、何度もイタリアにでかけていると、もちろんそういう面もあるにはあるだろうが、こと政治や民主主義に関しては、ローマ帝国の元老院のころから世界をリードしてきたと言っても過言ではない。 この3月9日、成田を発ちローマ、ナポリ経由でソレント、アマルフィ海岸に現地調査ででかけた。現地に着いた翌々日に東日本大震災が起きた。 筆者、南イタリアのピアノ・ディ・ソレント(Piano di Sorrento)近くにて 撮影:池田こみち氏 イタリアの大マスコミは、連日連夜、地震や津波とともに福島第一原発事故を報道しまくっていた。 とくにテレビでは連日、TG1、TG2,TG3というテレビ局が専門家や研究者さらに活動家、実務家などさまざまな立場のひとをスタジオに呼び、右左に分かれキャスターの司会のもと、原発建設再開論者と脱原発派による激しい議論が闘わされていた。 イタリアTG3テレビにおける福島原発巨大事故 報道をつとめたBianca Berlinguerさん 撮影:青山貞一 イタリア国立原子物理研究所の ジョバンニ・フィオレンテーニ所長 撮影:青山貞一 議論に参加していたイタリアの女性研究者? 撮影:青山貞一 ところで、イタリアでは、チェルノブイリ原発事故が起きた翌年の1987年の11月に、原発の建設と稼働に関する法律の廃止を求めた国民投票が行われ、1990年までに稼働していた以下に示す全4基の原発及び燃料加工やリサイクル関連の施設を閉鎖した。 その意味で、イタリアはドイツや米国よりも早く、国民の意思で直接民主主義的に脱原発を実現した国と言える。 ◆諸外国の国民投票制度(PDF) 実際、イタリア滞在中、会う人に私たちが、日本人であることが分かると、Fukushima Nuclear Power Plant incidente と寄ってきたほどである。 しかし、かのなんども「淫行」問題でスキャンダルを起こしているベルルスコーニ首相は、2009年、サルコジ仏大統領とローマで会談し、イタリアでの原子力発電所建設に向けた協力協定に署名していた。 同協定によると、フランスの電力公社EDFと伊電力大手ENELが合弁会社を設立し、2013年までに新たな原発建設に着手するというもので、2020年までに計4カ所の原発を建設、稼働させる計画となっていた。 そして今年3月の福島第一原発の事故、それもメルトダウン(チャイナシンドローム)を受け、ベルルスコーニ首相による原発建設立地・稼働の是非を問う国民投票を行うことになった。 ただし、この国民投票は、投票率が50%超であることが前提となる。イタリア内務省によると有権者は18歳以上の約4735万人が対象となる。 このイタリアの原発を巡る国民投票制度は、チェルノブイリ事故翌年の1997年以降、投票率が50%をなかなか超えずに不成立が続いている。 しかし、上述してきたように、Fukushima Nuclear Power Plant incidente 後もであり、当然、元祖脱原発のイタリアで国民投票が成立するかどうかが大きな焦点となっている。
ティベリ川の河畔にある最高裁判所 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 ティベリ川の河畔にある最高裁判所の屋上にある馬の像 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
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