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伊藤詩織著

「ブラックボックス」

読後感


定価:本体1,400円+税
発売日:2017年10月18日 発行元:文藝春秋

池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2017年10月28日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁


第二章 あの日、私は一度殺された
キンドル上の「ブラックボックス」
撮影:池田こみち


 レイプ被害を受けたことを会見で訴えたジャーナリスト、伊藤詩織さんの手記『Black Box』が2017年10月18日(水)に発売されたことを受け、詩織さんは、10月24日(火)にFCCJ(海外特派員協会)で会見を開き、その手記を執筆した目的などを集まった内外の記者達に訴えた。

 質疑応答を含め1時間を超える会見の間、終始前を向き、冷静にしかも確固とした信念をもって主張する彼女の姿には心を打たれた。そこで、さっそく電子版を購入し一気に読んだ。

 彼女が被害に遭ったのは2015年4月3日。それから二年余りが過ぎた2017年5月29日、彼女は司法記者クラブで会見を行った。その間、被害者としてできる限りのことをしてきたにも拘わらず、加害者には何の処罰も加えられないどころか、そのレイプ事件が検察の判断によって不起訴処分となったため、検察審査会に申し立てを行ったことを報告した会見だった。

 この会見で事件を知ることになった人が多いと思う。しかし、4ヶ月後の9月21日に検察審査会はこれを「不起訴相当」と議決し、現在は、9月28日付で東京地裁に民事訴訟を起こし真相究明を求めている。

 本書では、山口との出会いから事件に至る経過、その後の被害者としての彼女の葛藤が非常にリアルに、しかも冷静にジャーナリストの目線で記録され、解析されていく。被害を受けた直後の病院で、被害を訴えた警察で、加害者告訴に向けた検察とのやりとり、そして何よりも加害者である山口とのメールや電話でのやりとりで、その都度ブラックボックスにぶち当たり挫折するが、それを乗り越えて、被害者Aから被害者=伊藤詩織として前を向いていく姿に圧倒される。

 彼女のそのエネルギーはどこからでてくるのだろうか、と思っていたが、本書の第一章−生い立ち−では、小さい頃から男の子まさりの元気で頑固で活動的な子供だったとのことが紹介され、なるほど、と頷けるところが多々見られる。下に弟と妹がいる三人弟妹の長女で面倒見もいいお姉ちゃんだったという。

 小学校時代からモデルの仕事をしていたことが自立心を養っていたようだ。中学三年生の部活で怪我をして長期入院した。その後高校に入るときに、アメリカの片田舎カンサスの学校に一年間ホームステイ留学することになるが、そこでの悪戦苦闘が彼女を次第にジャーナリストへと育てていくことになる。

 英語を習得したことによるコミュニケーションの広がり、アメリカ社会での様々な実体験、自ら情報発信することの楽しさや大切さを身を以て感じていくプロセスが興味深い。

 その後一旦帰国するが、どうしてもニューヨークでジャーナリストの勉強をしようと決意し、学費を稼ぐために賢明に働く姿は、非常にたくましく、ほほえましくもある。若者の内向き志向が指摘されて久しいが、詩織さんのようにどんどん外に出て自分を磨こうとする若者がいたことに私自身も励まされた。

 だが、その一方でご両親の心配に同情すると共に「能ある鷹は爪を磨け」「虎穴にいらずんば虎児を得ず」的な突き放した子育て方針に敬意を表したい気持ちにもなった。

 そうこうしてイタリア、インドなどで自分を磨き、再びニューヨークにもどる。大学卒業を目前にした2014年の夏、お付き合いしていた彼とも別れて本格的にジャーナリストになる夢を追い求め仕事先を探していた矢先に山口と偶然遭遇することになったのだ。

 当時、TBSのワシントン支局長だった山口が仕事でニューヨークに来ている時にあったのが最初とある。その後、彼女はジャーナリストとしてニューヨークで仕事をするため、ビザの取得などの件で、再び山口と連絡をとるようになるが、あくまでも仕事上の連絡の延長上であったにも関わらず、その日が来てしまう。

 第二章のタイトル「あの日、私は一度殺された」は衝撃的だ。しかし、彼女の受けた心身の傷を思えば、まさに殺されたも同然なのだろう。よくぞ死なないでここまで踏ん張ってくれたものと感心しないでは居られない。

 その日から二年余り、被害者に手をさしのべる医療施設がない、アドバイスしてくれる第三者機関もない、警察・検察などの司法手続きには様々な壁や穴があり常識が通用しないなどブラックボックスが積み上げられていく様子は痛々しく、怒りがこみ上げる。

 私たちの国には、こうした性犯罪被害者を救うための仕組みもなければ、何もない。まさにハード・ソフト・ハートがないにもかかわらず、誰もそのことをきちんと訴えて将来に向けて改善していこうとすらしてこなかったことが一被害者である詩織さんによって明らかにされていく。

・被害を受けてすぐに妊娠や感染を防ぐための薬剤「モーニング・アフター・ピル」の処方の問題

・証拠を取るための「レイプキット」や衣類などの証拠を保全するためのマニュアルの整備の問題。

・女性を睡眠薬などで意識不明にして襲うための薬剤「デート・レイプ・ドラッグ」の取り締まりの問題。

・親兄弟や身近な人には言えないことを第三者が受け止めて相談できる施設、機関、組織の問題

・法的な対応をアドバイスする組織や機関の問題。

・法律そのものの不備の問題。(合意の壁や証拠の壁)

・司法機関が分権されておらず、時の政府や権力者を忖度した判断に陥る日本的体質の問題。

・社会そのものが被害者を差別視したり、偏見の目でみる日本的風習の問題。

・日本において、女性の立場が依然として低いままのジェンダーギャップの問題。

・女性自身が同じ女性の被害を受け止められないという日本的風土の問題。

など、まさにハード(施設・設備)、ソフト(法律、仕組み、マニュアルなど)、ハート(コミュニケーションをとりながら被害者を受け止める人や風土としてやさしさ)が圧倒的に不備であることに、今更ながら気付かされ情けなくなるのは私ばかりではないだろう。

 ジャーナリストとして客観的に事実を伝え、周辺の関連情報を取材し整理して発信しながら、未来に向けて闘い続ける詩織さんの姿勢はジャーナリストの鏡とも言うべきものだ。

 それに引き替え当の山口は、と言えば、時の総理大臣にすり寄り、御用記者に成り下がったばかりでなく、堂々と会見することもなく逃げ隠れして、詩織さんのFCCJの会見後も、「貴方は被害者ではない」などという文章を某雑誌に掲載した。

 いやしくもTBSという大メディアのワシントン支局長まで務めた人間として、取るべき態度ではないだろう。堂々と反論の会見をすればいい。

 真相の究明は今進められている民事訴訟の行方を待つ以外にないが、これまでの被害者=詩織さんの闘いぶりに対して、加害者とされる山口の対応はあまりにもお粗末という意外にない。「一度殺された」「破壊の一瞬を体験した」詩織さんが、闘いを通じて、また元のように明るく元気な女性に生き返りジャーナリストとして活躍してほしいと願うばかりである。