エントランスへはここをクリック  

モンテネグロ紀行

思わぬ経験
ヘルセグノビ(2)

Herceg Novi 
YT6A

青山貞一池田こみち
ランコ・ボカ
April  2007
無断転載禁
       

2007年3月12日(つづき)

 そうこうしているうちに、午前11時半となり、ホテルプラザのフロントに戻る。

 数分後、ランコ氏がフロントに現れた。

 ロシアのモスクワ南部から来たというセルゲイ氏もいる。ランコ氏は、「これから自分の車に取り替えてもらい、湾の対岸の600mほどの山の山頂にある無線設備とアンテナを見て貰いたい。75mバンドの大型アンテナを設計し、つくったがそれを山頂からさらに50mの鉄塔に上げるので見て欲しい」と言い出した。

 無線キチガイの私にとって願ってもないことだ。

 また対岸の600mの山頂からモンテネグロの景観を撮影できる絶好のチャンスである。池田さんにもあらかじめこのようなことになる可能性を伝えていたので、ランコの四輪駆動車に乗り換え、対岸の山頂を目指すことになった。


ヘルセグ・ノビ、コトルと行き先(YT6A)の位置関係

 運転は地元のランコ氏なので安心。結構スピードをだしている!

 ほぼ昨日コトールに行ったときと同じ道を行く。その後、コトール湾側をまわらず、何と無線施設がある山にショートカットするフェリーにのる。

 一台の車に4人が乗っているのでわずか600円程度で対岸に短時間に到着。


左からセルゲイ(ロシア)、ランコ(モンテネグロ)、貞一(日本)の
アマチュア無線で知り合った友人



ショートカットルートとしてフェリーがあった


黒い山がコトル湾に落ちるすばらしい景観を撮影する池田

 対岸到着後、TIVATというモンテネグロの空港の隣を通り、アンテナ山を目指す。

 途中、ランコ氏はガソリンを入れ、一泊分の食品を買い求め、車に詰め込む。どうも私たちを山頂のシャック(小屋)に留まらせようという魂胆らしい。


山頂に行く途中に撮影したコトル湾。対岸にパレスト、コトルがある

 ヘルセグ・ノビを出てから1時間弱で山頂近くに着いた。

 無線施設、アンテナはまったく見えない。何とここに、ランコの会社の従業員が装甲車のような四駆(ランドクルーザー)で来ていて、これに全員乗り換える。山頂は山頂だがシャックがあるところまではここから四キロもある。

 そこまでは一切舗装されておらず、どうみても時速10km以下。激しく揺られてシャックを目指す。

 30分ほど揺られやっと山頂のシャックに到着。

 何しろ600mの山頂。眼下にヘルセグノビ、コトール湾、さらにクロアチアとの国境、アドリア海などが広がる。飛行機でもないと見えない景観が360度パノラマ展開する。


山頂からの景観。対岸のヘルセグノビが一望できる。

 さらにランコ氏の豪華な無線設備、アンテナ設備にも驚いた。山頂にはランコ氏の無線設備、アンテナ設備の他、放送局用の無線設備、モンテネグロ軍の無線設備が200mほどの範囲で同居していると言う。これにはさらにびっくりだ。


地上と山頂の無線設備をインターネットでつなぐための
VHFを使った送受信システム。送信出力は数10Wだった。



壁には世界規模のコンテストで優勝した賞状が

 ランコ氏はセルビアモンテネグロ時代からこの地域の通信事業を一手にやっているようで、スカイコミュニケーションという会社を17年も経営していた。そのランコ氏は世界的に有名なYT6Aというコールサインの山頂のクラブ局用にもっている


ランコのクラブ局のQSLカード。
QTHと書いてあるところが山頂のクラブ局



ランコのクラブ局のQSLカード。山頂の写真を入れている

 山頂には何本ものアンテナ鉄塔、日本のハムでもなかなか持っていない無線設備があっただけでなく、ホテル並みの宿泊施設もあった。電気、通信、水、下水などのインフラが山頂に整っているってわけだ。




山頂にはご覧の通り、アンテナ鉄塔5本、生活が可能な
ホテル並みのシャック(小屋)もあった。



何んと、この山頂にある無線施設は衛星画像にも写っていた。
左側がランコ氏の通信施設、右側が軍の通信施設である。
いずれもアンテナの影が映っている。



コトル湾から山頂のランコの施設まで(作成:JA1IDY)

 ■YT6Aのアンテナファームの有名な写真はこちら

 この後、75m(3.8Mhz)用の2エレメント八木アンテナを50mの鉄塔の上にあげることとなる。ランコのクラブ局、YT6Aには、YU6ZZがランコのスタッフとして常駐している。


75mバンドアンテナの最終準備に余念のないYU6ZZ

 日本でもこれだけのアンテナシステムを持っているハムはそういない。

 しかも、この八木アンテナは、ほとんどフルサイズ。端から端まで約35mはある。それが2本ブームのそれぞれの端に固定してある。


75mフルサイズの八木アンテナの一部。名にしろでかい

 ひとくちに50mの鉄塔というものの、平地でも高い。ましてその上で何百kgのアンテナを設置するのはプロでも容易ではない。ましてや600mの山頂でのこと、それはプロの技術者でも大変なはずだ。


75m八木を50mの鉄塔にあげる作業開始。

 何と隣の軍の無線設備に常駐するモンテネグロ海軍の軍人までが巨大アンテナ建設に参加してくれた。これにはびっくり。誕生間もないモンテネグロでは軍人も市民活動に参加?建設後、この軍人と議論した。

 ところで、巨大アンテナだが、3時間ほどかけ、装甲車並の自動車にワイヤーをつなぎ、少しずつ引っ張らせ、鉄塔にアンテナシステムを持ち上げて行く。

 それを鉄塔に乗っているランコとそのスタッフが待ち受け、少しずつ鉄塔の鉄板まであげ、最終的にローテーターに固定する。


ほぼ頂上に上がったアンテナ。端から端まで30m以上ある。

 終了後、上げたアンテナを実際に使って電波を出してみる。

 ランコ氏は、日本にいる私のハム仲間の電話番号やメール番号を聞き、すぐに電話している。何ともすさまじい人だ。このような哲人がモンテネグロの一地方都市にいたこと自体脱帽である。

 日本とモンテネグロには8時間の時差がある。日本と交信する、しかも75m(3.8Mhz)バンドで交信するためには、最低限、どちらかが夕暮れか明け方である必要がある。アンテナが上がり、実際に電波を出し調整が完了したのは現地時間で午後4時過ぎ。まだ夕暮れには2時間はある。

600mの頂上から日没直前のアドリア海のクロアチア側を撮影(撮影:池田こみち)


アンテナ完成後、送受信設備をチェックするランコ氏

 そこで夕食を取ることになった。考えればまだ昼食も取っていない。

 ランコ氏の山頂常駐スタッフが、バーベキューの準備をしてくれる。豚肉のソーセージを薪で焼いたものだが、これがやたらうまい。これとパン、コーヒーで夕食をとる。

 終了後、私とロシアから来たセルゲイ氏は、世界に向けCQを連発する。


モスクワ南部から来たセルゲイさん

 私もうまく行けばモンテネグロから電波が出せると思い、自分の免許書と免許状のコピーを持参していた。それを使い、ランコ氏が作った山頂のクラブ局、YT6Aを運用することになった。何ともラッキーだ。おそらく日本人として最初のことである。


モンテネグロの地上600mの無線設備から世界各国に
YT6AでCQを出す青山貞一
(ここでの運用はゲストオペレーション、日本でのコールサインはJA1IDY)

 ヨーロッパの近隣諸国のハムがどんどん呼んでくる。そのうち友人の東京にいる草野氏との待ち合わせ時間が来る。ランコ氏がメールなどで連絡してくれたのだが、草野氏の東京の自宅では雑音が多く到底交信できない。

 そこで草野氏は深夜12時にわざわざ成田空港近くにある別のアンテナ施設まで車を飛ばし、そこから電波を出してきた。


YT6Aのシャックにて

 草野氏の電波はよく聞こえるが、こちらからの電波は強い混信があり、よく聞こえないと言う返事だ。そこで周波数を変え、40m(7Mhz)バンドに移る。

 今度は双方よく聞こえる。私の自宅に電話をして貰い、青山が無事でいることを伝えてもらうよう依頼する。

 この後、3時間ほど、私とセルゲイが入れ替わり立ち替わり世界中のハムと75mバンドで200局以上交信した。

 この後、就寝。朝6時に起床。600mの山頂は暴風のように風が強い。そとにでると、アドリア海やクロアチアの最南端の半島が朝焼け前に姿を現した。


山頂からみるアドリア海とクロアチアの半島

 こうして思わぬ楽しみが味わえた。

 13日の午前に山から下り、ランコ氏の事務所(スカイ・コミュニケーション)にお礼の挨拶に行く。事務所にはランコ氏のお母様もおり、数10紛議論。


ヘルセグナビの市街地にあるランコ氏の事務所で挨拶


つづく