厳寒のロシア2大都市短訪 はじめに 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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ロシア短訪・総目次に戻る ロシアの国章 サンクトペテルブルグ紋章 モスクワ紋章 はじめに 非常に短期間ではありますが、ロシアの二大都市、サンクトペテルブルグとモスクワを訪問する機会がありました。 その訪問をきっかけとして、約400頁、3000枚近い写真を使った一大、ロシアの現代版、歴史、文化絵巻を製作することになりました。しかも、わずか3か月弱の期間でです。 ロシアと言えば、2014年春にクリミアをロシアに編入したことで、欧米や日本から激しい経済制裁を受け続けています。さらに中東情勢でも、ロシアがシリアを支援し、スンナ(スンニ)派の大国サウジアラビアと敵対するシーア派の雄、イランと外交、防衛分野を中心に共同歩調をとるなどで、西側諸国とは一線を画した世界戦略をもった大国となっています。 ※ロシアは、988年に全ルーシの共通の祖先であるウラジーミル1世が洗礼 を受けルーシのキリスト教化の端緒を開いたのは、当時東ローマ帝国の 支配下にあった古代ギリシャ都市ケルソネソスであったとして、クリミアが 「ロシア固有の領土」であることを主張している。歴史的経緯だけでなく、 クリミアの住民の約85%がロシア語を話し、住民投票でもほぼ同じ割合 の住民がクリミア自治共和国に賛同しています。以下は、当該問題につ てのプーチン大統領の演説要旨です。 ※ プーチン大統領のクリミア編入についての演説要旨 ※ 青山貞一: 歴史的版図でひもとくロシア これらはいずれもウラジミール・プーチン大統領になってからのことですが、ロシアは、混迷する西側諸国をよそに、独自の国際的な多極分散型ネットワークを構築し、いうなれば「起承転結が明確な国づくりとユーラシアのネットワークづくり」を進めていると言えます。その一つは、中国と一緒に進めている「一帯一路」構想があります。「一帯一路」は現代の陸、海のシルクロードを意味します。 ※ユーラシア (Eurasia) ユーラシアは、ヨーロッパとアジアを合わせた領域を示す造語 です。Eurasia は Europe(あるいはEuropa) と Asia からの混成語です。 出典:Wikimedia 米国のフォーブス(Forbus、本社ニューヨーク)が行い発表する「世界にもっとも影響を与えた人物」でも、このところ四年続けてプーチン大統領が第一位をとりつづけるなど、まさに異彩を放っています。 ところで歴史を振り返れば、第二次世界大戦において3000万人近くの兵士、市民の犠牲をはらいながらも、ナチス・ドイツの四年間に及ぶソ連への侵略、猛攻に耐えるだけでなく、歴史的な大勝利をおさめました。もし、このときソ連がナチスに負けていれば、今の世界はなかったと言えます。 今でも毎年5月9日、「大祖国戦争勝利」パレードがモスクワで行われていますが、これはナチス・ドイツに当時のソ連国民が勝利したことをロシア国民が忘れないためのものです。ちなみに「祖国戦争勝利」記念行事がありますが、これはフランスのナポレオンの猛攻に当時のロシアが勝利したことを祝う行事です。 しかし、その後の世界は、米国による反共キャンペーン、プロパガンダにより二分されました。西側諸国の多くは、ソ連と対峙することになったのです。いわゆる冷戦構造です。確かにスターリンなどによる過度な独裁化や巨大中央集権のもとでの計画経済に無理があったことは事実であるとしても、欧米日本の帝国主義的な侵略、その後の経済支配も大問題であったのです。 1991年~1992年、いわゆる「プラハの春」はじめ東欧諸国に民主化の波が押し寄せ、ソ連とその周辺そして衛星国家が次々とソ連から離脱しました。その結果、ソ連は崩壊し現在のロシア(CIS)となってゆきます。 しかし、現在西側諸国で次々に起きている政治、経済、社会問題をみるまでもなく、「ソ連邦」が崩壊したことで、あらゆる問題が解決したわけではないのは確かです。そのなかには、繰り返される戦争、過度な格差社会、資源エネルギーの浪費、環境問題、歴史的資産破壊など、数え上げればきりがないほど深刻な問題が含まれています。
日本人そして西側諸国民の多くは、この間の米国を中心とした反共プロパガンダによって、ソ連はもとより今のロシアについても、現実を見ることなく、ほとんど関心を抱くことがなく現在に至っています。しかし、プロパガンダのベールで閉ざされてきたロシアをロマノフ王朝にまでさかのぼり、その実像に接することは、混とんとする世界のなかで、今後を考える上で重要ではないかと考えます。 それはロシアという国、地域、まち、人間のありようを見ることであるからです。 下の年表にあるように、ロシア・ツァーリ国を含め370年続いたロマノフ王朝のロシアでは、比類ない文化が芽生え、咲き誇っていたのです。そのすごさ、そして美しさに象徴される文化は、まさに筆舌に尽くしがたいものがあります。それはロシアに対するイデオロギー的な色眼鏡、偏見をはるかに凌駕するものであり、これまで、そして、今後のロシアを根底から理解する上できわめて大切なものと確信します。 註)ロシア・ツァーリ国(ロシア語:Царство Русское)は、 1547年にイヴァン4世がツァーリの称号を帯びて以後、1721年に ピョートル1世がロシア帝国建国を宣言するまで用いられていた ロシア国家の公称です。 それは芸術、教育、文学、音楽、宗教、街づくりなどあらゆる文化を網羅しています。しかも、ナポレオンやナチスの猛攻によって破壊された文化、文物は、永年の国、国民挙げての修復、再生努力で蘇生されています。しかも、上記は今のロシアのサンクトペテルブルグ、モスクワに集中しています。 ◆ロシア年表
出典:Wikipedia、各種文献を参考にして青山が作成 サンクトペテルブルグの聖イサク大聖堂を背景にした青山貞一、池田こみち 撮影:同行学芸員 Nikon Coolpix S9900 2017-2 サンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿を背景にした青山貞一、池田こみち 撮影:同行学芸員 Nikon Coolpix S9900 2017-2 今回の特集は、青山貞一、池田こみちが、過去、世界各地を歩き、現地視察し、帰国後、膨大な論考、写真ギャラリーを公開してきたことの一環として、ロシアのロマノフ王朝の歴史と文化を400頁の論考と3000枚近い写真、動画により紹介するものです。 今回の特集は、いわば「ロシア、ロシアの感性、ロシアの知性を理解する」第一歩とでもいうべきものです。今後、次々に特集を組みたいと思っています。 ぜひ、みなさまも、機会があれば、ここに紹介した稀有で秀逸なロシアの文化を現場で堪能してほしいと思います。 なお、論考と写真ギャラリーは、青山が構成、編集、執筆を担当し、ロシア語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランドル語などの翻訳は、池田こみちが担当し、池田と鷹取敦氏が校正を担当しました。 青山貞一、池田こみち 2017年5月30日 東京都目黒区大岡山にて 今回の特集では、写真は横600~650ピクセルと大判とし、環境総合研究所のデジタル技術を駆使し、デジタル処理を施すことにより色彩、精細さをリアルなものとしています。この特集は、今後、数回にわたり現地調査を行い拡充しする予定です。 つづく 総目次へ |