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スコットランド現地調査報告
 
〜悲劇の女王、メアリースチュアートの
足跡をたどる旅〜
A戴冠式を行ったスターリング城
Trip of Qeen Mary Stuart's Footprint

青山貞一 池田こみち

掲載月日:2012年12月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁


上の地図は2200kmに及ぶ走行ルートと主な調査、視察点である

 リンリスゴー城(宮殿)で生まれたメアリーだが、メアリー・スチュアートはイングランドの追っ手から逃げるため、生後わずか6日目に母親マリ・ド・ギーズの計らいで、リンリスゴーから西北30kmにある岩山の上にあるスターリング(Stirling Castle)城に移される。


リンリスゴーからスターリングへ  Source:Google Map

 そして翌1543年9月9日、メアリーは盛大な戴冠式を行いスコットランドの女王となった。

 スターリングのまちも、リンリスゴー同様、中世の面影を色濃く残した静かなまちだ。と同時に、城の立地と形がエジンバラ城に似ていることからミニチュア版のエジンバラとも言われている。

   下の写真はスターリング城の遠景である。この城は、エジンバラ同様、外敵(イングランド)からスコットランドを守るための要塞としての機能を重視されつくられている。

スターリング城を示すユニコーンのアイコン


メアリーはリンリスゴー城からスターリング城に移された
どことなくエジンバラ城に似ている
Source: English Wikipedia


1900年のスターリング城
Source: English Wikipedia


Stirling Castle, drawn by John Slezer in 1693, and showing James IV's now-demolished Forework
Source English Wikipedia

 さらに、このスターリングのまちは、かつてスコットランドの首都でもあった。というのも、このスターリングは、スコットランドが永年の宿敵イングランドと正面から激突しスコットランドが勝利した地であるからだ。

 13世紀にウィリアム・ウォレス率いるスコットランドの民衆軍が重装備のイングランド正規軍を打ち破った「スターリングブリッジの戦い」があった地である。その後、ウォレスはイングランドに捕らえられ、市中引き回しの上、八つ裂きの刑に処せられた。

 しかし、スコットランド国王のロバート・ザ・ブルースは14世紀に入ってからスターリングのすぐ南にあるバノックバーンの地でイングランドと戦い完全勝利した。

 これら13〜14世紀の二つの勝利によって、スコットランドはイングランドから独立を勝ち取っている。


ウイリアム・ウォレス率いる民衆軍が重装備のイングランド正規軍を
破ったスターリングの戦い。ただしこの写真は映画(Brave Heart)の一幕
Source:Movie, Brave Heart

  下の写真はイングランドの猛攻を最初に破りスコットランドの独立の父とされているウイリアム・ウォレスを記念して築造された国立ウォレス記念塔である。


イングランドの猛攻を最初に破りスコットランドの独立の父と
されているウイリアム・ウォレスを記念して築造された
国立ウォレス記念塔。宿泊先のスターリング大学から撮影
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 スターリングでは、国立ウォレス記念塔近くにあるスターリング大学のゲストハウスに宿をとった。この大学や大学院には日本の学生や研究員らが多数在籍していると聞いた。


宿泊先のスターリング大学のゲストハウス
後ろに国立ウォレス記念塔がそびえている
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

◆スターリング城 (Stirling Castle)

 スコットランドのスターリングにある城。スコットランド史において歴史的にも建築学的にも重要であるとされる。キャッスル・ヒルと呼ばれる火山性のでこぼこした岩の上に城が建ち、三方をけわしい断崖に囲まれ非常に防御に優れている。このため早い段階から重要な要塞として、戦略上の要所だった。現在城は国の文化財であり、文化財保護団体ヒストリック・スコットランドが管理している。

 スターリング城の主要な建築物は、メアリースチュアートが存命中の15世紀から16世紀にかけできたものである。

 18世紀前半の攻撃に耐えた14世紀の建築物がわずかに残っている。13世紀、イングランド王エドワード1世は、スコットランドへ侵攻しスターリング城を包囲した。歴史家たちは、ここには『ウォーウルフ』(Warwolf)という巨大な投石機が作られ最初に用いられ、非常に効果を上げたと記録している。


メアリースチュアートの紋章もある
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 城は外からの攻撃に備え、予備の門番小屋がジェームズ4世によって建てられた。元は壮麗な、一つの岩全体の広さをそなえる部分だった。どちらの端もどっしりとした長方形をした石造りの家で、城門の両方に四つの大きな円錐形の屋根がついていた。

 南側の石造りの家に残る張り壁に隣接した長さ、外側と北側の石造りの家の痕跡、これら壮大な構成が王子の門と呼ばれ残る。

 門番小屋の左、主要部の南側か奥にあたるのが宮殿部分である。

 これはジェームズ4世によって建設が始まった。しかし、ほとんどが彼の子ジェームズ5世(メアリーの父)の代に行われた。

 ルネサンス様式と後期ゴシック様式の組み合わせで、優れた石造りのスコットランドでも印象的な建築の一つである。

 王の寝室の天井は、元は『スターリング・ヘッズ』で知られる有名な円形の絵画で飾られていた。しかしこれらは1777年に持ち去られた。多くが城内に保存され、いくつかはスターリングのスミス財団、その他はエディンバラの国立博物館にある。可能ならば、王の間を原型にすべく散逸した絵画を集める計画がある。

 宮廷奥の東側には、ジェームズ4世により建てられたグレート・ホールがある。何十年も兵舎として使用された後、最近原型に復元された。長さ125フィート、幅36フィート、南側の高座に二つの華麗な張り出し窓がある。

 ルネサンス様式の王室礼拝堂は宮殿北側にあり、これは1594年にジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)により建てられた。ここで彼の嫡子ヘンリー王子が洗礼を受けた。

 現在、城の広場は野外コンサート会場に使用されている

出典:Wikipedia

 下は岩山の上にあるスターリング城の入り口。

 私達は、城から数km離れた専用駐車場に車を止め、城と駐車場を往復するシャトルバスに乗り城の入り口近くで降りた。


スターリング城の入り口
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング城遠景
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング城の施設配置図
source:http://www.undiscoveredscotland.co.uk/stirling/stirlingcastle/


スターリング城の模型。真ん中の大きな建物がグレートホールと宮殿がある。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


スターリング場の立体説明図
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 スターリング城はスコットランドがイングランドとの戦いに明け暮れた時代につくられただけあって、まるで堅牢な要塞である。


スターリング城内部
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 下はスターリング城内に王宮(Royal Palace)を造成したメアリースチュアートの実の父のジェームス五世国王である。


王宮をつくったスコットランド国王 ジェームス五世
メアリースチュアートの実父
Source English Wikipedia


スターリング城の王宮(Royal Palace)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


ユニコーンをあしらった壁掛け(タペストリーのレプリカ)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 以下の5枚の写真はトリップアドバイザーの提供。

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

 下はスターリング城の有名なグレートホールである。

 今回訪問した15カ所のどの城にもグレートホールがあったが、一番立派だったのはリンリスゴー城のグレートホールであった。修復された天井の木の枠組みに注目。

 実際、スターリング城やエジンバラ城は、絢爛豪華なイメージからはほど遠い、質素な内装であった。やはりイングランドとの戦いに明け暮れた時代の城だけあって、機能が重視されたのだろう。


スターリング城のグレートホール。修復された天井の木の枠組み
に注目。どの城にも、グレートホールがあったが、一番立派だっ
たのはリンリスゴー城のグレートホールであった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 下はグレートホールに於かれた王座に座った池田こみち。

 この王座はメアリースチュアートが戴冠式を行い女王になったときに使ったもの。戴冠式そのものは礼拝堂で行われている。 メアリーはスターリング城には幼少の頃に居住していたが、フランスから帰国してからも何度か滞在している。


メアリースチュアートも座った?王座(レプリカ)に座った池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 下は池田が座っている王座の上にあるジェームス五世の紋章の壁掛け(タペストリー、レプリカ)である。


メアリースチュアートの実父、ジェームス五世の紋章(レプリカ)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


メアリースチュアートの戴冠式が行われたチャペルロイヤル
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


メアリースチュアートの戴冠式が行われたチャペルロイヤル(修復後)の内部
Source English Wikipedia

 スターリング城内には、15−16世紀の王室の服装などがイラストになっており、大変興味深いものがあった。


左はメアリーの父親、ジェームス5世、右は母親のフランス貴族のマリ・ド・
ギーズ。スターリング城所蔵
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


メアリー女王の侍女ら。スターリング城所蔵
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 スターリング城には、対イングランドが攻めてきた時に備えフランスから送られた多くの砲台が設置されていた。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 下は15世紀のアン女王時代に作られた庭園。


アン王女の庭園の説明板
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


アン王女の庭園
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

 以下の写真はトリップアドバイザーの提供。

Stirling Castle
Stirling Castle (トリップアドバイザー提供)

 下はスターリング城の庭園から見たスターリングのまちなみ。整序されていてすばらしい景観である。


スターリング城から見たスターリングのまちなみ
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


つづく