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731 部隊と医学者たち

 
出典:TBS 知ってるつもり?!  1988年


 
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編
September 30, 2017
独立系メディア
E-wave Tokyo
無断転載禁


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■4: 実験材料としてのマルタ
    〜細菌爆弾開発と野外実験の実態

 図らずも731部隊に身を置くことになった秋元。研究会で見た人体実験のフィルムはそれまでにない衝撃を彼に与えた。

 「私は一ヶ月のうちにすべてが分かった。私は生き地獄に居た。私は上司に3度抗議した。すると彼は私に言った。お前は、自分の自由意思でここに来たのだ。おまえに出て行く権利はない。」


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 戦時下、命令に反することは出来ようはずもない、731部隊第一部血清班班長としての秋元の日々が始まった。彼は一体どのような研究をしていたのか。これは731部隊関係者が書いた論文である。

 「異型人血液及ビ獣血液ヲ以テセル輸血例ニ就テ」


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 8歳のサラブレッドの血を人間に直接輸血したらどうなるか、前線で馬の血液しかない場合、人間に馬の血を輸血できるか調べていた。秋元が所属していた第一部では、細菌の基礎研究が行われていた。ペスト、コレラ、チフス、炭疽菌などの細菌が兵器として利用できるかが研究されていた。同時に「マルタ」と呼ばれた捕虜達の管理を行っていた。中国各地で憲兵隊によって微罪で逮捕された人々は領事館の地下などに拘束され、裁判も行われず、次々と731部隊のある平房に送り込まれた。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 731部隊に送り込むことは、文書にあるように「特移扱」(とくいあつかい)と呼ばれた。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

元大連憲兵隊准尉 三尾 豊証言


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 「特移扱い」に一旦なったら、それは、そのまま(特説監獄に)送るだけなんですね。にも係わらず、それは大きな功績になるんです。手柄になる。今考えると恐るべきことをやるのに、むしろ、扱う方としては、競ってやっていた。」

 平房で医学者に引き渡されたマルタは番号を付けられ、ロ号棟の内側にある特設監獄に閉じ込められた。

そして、窓一つない5mの壁に囲まれた特設監獄からマルタは一人また一人と引き出され、様々な細菌に感染させられ、生きたまま解剖されたのである。こうして3000人以上と言われる人々が二度と帰ることはなかった。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 こうして731部隊で最も有効な兵器と考えられていたのか、ペスト菌爆弾である。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 第四部では細菌培養室でペスト菌を月に300kgも培養、同時に、感染媒体であるネズミが大量に飼育されたという。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 ペストに感染させた蚤が焼け死なない様に、爆発しても火の出ない陶器製の爆弾が第三部で開発された。そして、実戦を行う第二部では、人間を生きたまま一定間隔で杭に縛り付け、上空から細菌爆弾を投下する実験が行われたのである。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 部隊の秘密を守るため、隊員同士の情報交換は固く禁じられ、自らの研究がどのように兵器に利用されるのか、隊員達はほとんど知らなかった。秋元寿恵夫自身も罪の意識を振り払い、研究に没頭するうち、いつしか心は麻痺していった。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年

 ところがある日、研究棟であるロ号棟の廊下から中庭を覗いた秋元はひとつの光景に目を奪われることになる。中庭に椅子をだし、編み物をする婦人。膝にはあどけない女の赤ん坊が抱かれていた。ロ号棟の中庭にあるのは特設監獄。この母と子はマルタ、実験材料だったのだ。

 その光景は、秋元の中に残っていた人間の心を呼び覚ましたのだ。彼は後に語っていた。

 「これが吾が命かと思うと苦しさはいや増した。次第に科学者として生きることと、人間として生きることとの間に、超えがたい溝が生じて来たのであった。」(秋元寿恵夫、「医の倫理を問う」より)

 明治41年長野市に生まれた秋元寿恵夫、父親(正親)は学校の教員。その所為か少年時代から彼の身の回りに常にあったのは書物であった。特にロシアの文豪ドストエフスキーの小説は、彼を夢中にさせたという。東大医学部に入学、血清学を専攻し、将来を期待されるエリート医学者となった。しかし、彼が他の医学者とどこか違っていたのは書物を通して人間を見つめる目を養っていたことにあるのかも知れない。


出典:731 極秘細菌戦部隊 TBS 知ってるつもり?!  1988年


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