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   ウズベキスタン現地予備調査

タシケント
ナボイ劇場など
Toshkent, Timur Square
 
青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月9日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

 私達は、この後、超豪華な国会議事堂がある官庁街、ティムール広場を通り、日没までに何とか第二次世界大戦終了後、旧ソ連の捕虜になった日本兵も建築に関わったというナボイ・オペラ・バレイ劇場だけでも見ようとナボイ公園、独立広場などを必死に歩きました。


タシケント主要部マップ


アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)

 またティムール広場のすぐそばに青いドームの建築物が見えました。これはアミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)です。


アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4


アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4


アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


タシュケント (トリップアドバイザー提供)

◆アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)

 アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)はウズベキスタン・タシュケントにある博物館です。ティムール王朝歴史博物館 (ウズベク語: Temuriylar tarixi davlat Muzeyi)とも呼ばれます。外見の青いドームと豪華な内装で知られています。

 ティムール朝の開祖ティムールの名を冠しており、主にティムール朝の歴史に関する展示をしているほか、現在のウズベキスタン大統領イスラム・カリモフについての展示もあります。

 博物館はティムール生誕660周年に当たる1996年に建設された。博物館に隣接する庭園にはいくつかの噴水が、同じく隣接するアミール・ティムール広場には馬の背に乗ったティムールの像があります。

 交通アクセス:タシュケントの中心街にあり、ウズベキスタン鉄道のタシュケント駅からは徒歩約5分、タシュケント国際空港からはタクシーで約5〜10分です。


アミール・ティムール博物館        出典:Wikipedia


ウズベキスタン外務省迎賓館

 またティムール広場から独立広場に行く途中のサイールゴフ通りの一角に、ウズベキスタン外務省のすばらしい迎賓館もありました。

 現在、外務省の迎賓館として使われているこのすばらしい建築物は、もともとニコライ・コンスタンチノヴィチ大公のために建設された宮殿です。
下は現地で撮影した写真です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4

◆ウズベキスタン外務省迎賓館

 この現在、外務省の迎賓館として使われている建築物は、もともとニコライ・コンスタンチノヴィチ大公のために建設された宮殿です。

 ニコライ大公は当時ロシア帝国の主要地域からトルキスタン総督府のあるタシュケントへと追放されていました。宮殿は灰色と黄色のレンガでできた2階建ての建物であり、賓客用の部屋を伴っていました。

 また、夏季の気温が高い時期においても涼しく過ごせる構造となっていました。地下には厨房が配置されています。

 宮殿の側面部分には丸い塔が建設されており、宮殿と見事な調和を保っています。宮殿周辺の地域にはタシュケントの有名な植物学者、薬剤師であったイェロニム・クラウゼ(ロシア語版)による庭園がありました。

 カウフマン通りを見渡せる玄関の傍は道路が円形状になっており、柱に屋根の着いた玄関が広い通りから姿を現します。

 カウフマン通りからこの場所までは美しく質の高い格子戸の付いた入場門と退出門、2つの門で隔てられています。格子と入口に続く通りの間、刈り込まれた生垣や花畑が取り囲むように客を出迎えます。1階部分の両側には大理石の台座が置かれ、大きなツノを持つ実物大の銅製のシカの像が飾られていました。宮殿の左翼部分には大公の居住部屋が、宮殿の右翼部分には大公妃の居住部屋がありました。



    ウズベキスタン外務省迎賓館        出典:Wikipedia


◆プロムナードギャラリー

  この近くでは、画家が多数おり思い思いに絵を描いていました。
 

画家が多数おり思い思いに絵を描いていました。
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4

 また路上をギャラリーと見立てたプロムナードギャラリーも行われていました。なかなかどうしてすばらしいです。


プロムナードギャラリーも行われていました。
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4

 さらには、似顔絵を描く画家も多数いました。


似顔絵を描く画家も多数いました。
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4

 夕闇は迫っていましたが、このあたりは、街路景観が非常に秀逸な場所でした。下の写真を見て頂くと分かりますが、一切、電線、電柱もなくデザインされた街路灯が並んでいます。

 日本で言えば神宮外苑の絵画館前通りでしょうか?


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


 この先の公園の中に、下の写真のような銅像がありました。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

  銅像にある字を拡大すると以下の通りです。ウズベック後、ギリシャ語あるいはロシア語のようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 その後、鷹取さんが調べてくれたところ、シャラフ・ラシドフ氏の銅像であることがわかりました。ソ連時代のこの種のものが破壊されている中、残されていたことになります。もっぱら、現在の大統領も先に報告したように、ウズベク・ソビエト社会主義共和国大統領であったイスラム・カリモフが独立以来その職にあります。

シャラフ・ラシドフ

 シャラフ・ラシドヴィチ・ラシドフ(ロシア語: Шараф Рашидович Рашидов, 1917年11月6日 - 1983年10月31日)は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の政治家、ソ連共産党員。ジザフ出身。

1941年、サマルカンド国立大学、1948年、ソ連共産党中央委員会附属高等党学校(通信教育)を卒業。
1941年 - サマルカンドの「レーニン・ユールイ」紙の責任書記、副編集長、編集長
1941年8月 - ソ連軍における党業務
1943年 - サマルカンド紙編集長
1944年〜1947年 - ウズベキスタン共産党サマルカンド州委員会書記
1947年〜1949年 - 「キジル・ウズベキスタン」紙編集長
1949年〜1950年 - ウズベキスタン作家連盟理事長
1950年〜1959年 - ウズベク・ソビエト社会主義共和国最高会議幹部会議長
1959年 - ウズベキスタン共産党中央委員会第一書記
1961年からソ連共産党中央委員会政治局員候補。第3期〜第10期ソ連最高会議代議員。
社会主義労働英雄(1974年、1977年)。レーニン賞を受賞。




出典:Wikipedia


◆巨大な建築物 = ウズベキスタンの行政省庁ビル

 なお、このあたりから西の独立広場(Mustаqillik mаydоni)を見ると、これまたものすごく横長の立派な白い建築物が見えました。


出典:グーグルアース

 帰国後、あるガイドブックを調べて見ると、コンサートホールとありました。コンサートホールにしてはあまりにも巨大すぎますが、これもソ連時代の建築物かも知れません。

 さらに調べてゆくと、独立広場にあるこの巨大な建築物は、ウズベキスタンの行政省庁のビルであることが分かりました。


タシケントにあった巨大な建築物。行政省庁ビル
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


タシケントにあった巨大な建築物。行政省庁ビル
出典:Wikipedia


◆ウズベキスタン国立歴史博物館

 途中、ナボイ劇場近くに以下の写真の建物を見つけました。これはウズベキスタンの国立歴史博物館でした。時間があれば、ぜひ、入館してみたかった博物館です。


ウズベキスタンの国立歴史博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


ウズベキスタンの国立歴史博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


ウズベキスタンの国立歴史博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


◆開館時間:
 開館時間は午前10時から午後5時まで、休館日は月曜日となっている。
ウズベキスタン国立歴史博物館

 ウズベキスタン国立歴史博物館 (英語: State Museum of History of Uzbekistan、ウズベク語: O'zbekiston tarixi davlat muzeyi、ロシア語: Государственный музей истории Узбекистана、旧称:トルキスタン国立博物館) はウズベキスタンのタシュケントにある博物館であり、中央アジア最古の博物館です。

 ウズベキスタン国立博物館はタシュケントにロシア帝国のトルキスタン総督府が置かれていた1876年にトルキスタン民俗学博物館として設立された後、1919年2月にトルキスタン国立博物館と改称されました。

 1970年に博物館の場所を移転、ロシアにあるレーニン中央博物館のタシュケント分館として改装されました。1991年のウズベキスタン独立後に、現在の名称となっています。

 ウズベキスタン国立博物館には考古学、歴史学、民俗学的な中央アジア文明の事物や歴史の流れが、石器時代から時代順に展示されている他、かつて中央アジアで使用されていた貨幣も展示されています。

 トルキスタン民俗学博物館時代の1900年と1906年には、パリとミラノでそれぞれ行われた万国博覧会に展示物を提供しています。

 また、特筆すべき展示物として、テルメズのファヤズ・テパ遺跡から見つかった紀元後2〜3世紀のものと考えられる三尊仏が移管、展示されています。



 そしてついに、探していたナボイ劇場です。

ナボイ・オペラ・バレイ劇場

 その後、やっとのことで、国立歴史博物館とウズベキスタン航空本社ビルのすぐ隣に、日本兵が強制労働で建築に駆り出されたというナボイ・オペラ・バレイ劇場を発見しました。

 何と、劇場は思った以上に大きく、立派などっしりとした建築物です。ただ、改修で劇場の中は見られませんでしたが、70年前、ソ連の捕虜となった日本人が強制労働で関わったとされるこのナボイ劇場がかくも重厚で装飾に満ちた建築物にで会え感激しました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 劇場は現役で使われていますが、弦境州工事中でした。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-3-4

 下はトリップアドバイザーから情報提供されましたナボイ劇場の内部の貴重な写真です。


タシュケント・ナボイ劇場の内部の写真 (トリップアドバイザー提供)

◆ナヴォイ劇場

 アレクセイ・シュチューセフが設計して1939〜1942、1944〜1947年に建設され、1947年11月にアリシェル・ナヴァーイー生誕500周年を記念して初公開されています。

 劇場の収容観客数は1400人で、舞台の広さは540平方メートルあります。

  第二次世界大戦で、ソ連の捕虜になった日本人に強制労働として、劇場の建設が課せられました。長時間の労働に加え、食事には腐ったものが出てくるなど劣悪な環境でした。実際に作業に関わった500人のうち、79人もの日本人が亡くなっています。

 しかし、強制労働にもかかわらず『日本に必ず帰って、もう一度桜を見よう』の合言葉のもと、妥協のない姿勢で建設に携わり、3年かかるであろうこの建設を僅か2年で完成。細部の彫刻にまでこだわるなど完璧な出来であったとされています。


戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜が工事をしたとされる
バレエ・オペラ劇場のナヴォイ劇場   

 なお、サマルカンド国立外国語大学で教授を務めた胡口靖夫は、ナヴォイ劇場の建設に従事した日本人の「私らが昭和20年11月上旬ころに着いたときにはもう建物はほとんどできていました。これは間違いありません」という証言などから、日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていたことになります。

 「日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった」と結論付けており、「勤勉に働いた日本人が基礎からレンガを積み上げて“建設”した」とされるのは「伝説」だとして、それが検証なしに広められていることを批判しています。 

出典:Wikipedia

 以下、今回は時間の関係で行けませんでしたが、ウズベキスタン大使館のパンフレットにありましたみどころ所を情報提供しておきます。


◆ヤッカサライ墓地

 ウズベキスタンの首都タシュケントに日本人抑留者の墓地があり、この墓地がタシケント日本人墓地と呼ばれています。

 場所は市の南東地区、ヤッカサライ(Yakkasaray(en:Yakkasaray))通りに位置する公営墓地の一角に、ドイツ人墓地が隣接しています。

 太平洋戦争終戦直後、中国東北地方(満洲)や樺太に駐留していた日本兵約57.5万人が、武装解除投降後、捕虜としてソヴィエト連邦により強制的にソビエト連邦内のシベリアや中央アジア地域、遠くはコーカサス地方、ウクライナ等へ連行され、強制的に労働を強いられました。

 中央アジア地域のウズベキスタンにも約2万3千名の日本軍捕虜が移送され、ウズベキスタン各地で建設事業に従事する長期的な抑留生活を送り、日ソ間の国交が回復(日ソ共同宣言)され、帰国する1956年までの間に884名(2010年1月現在)が亡くなっています。

 このヤッカサライにある日本人墓地は、タシケント地区及びウズベキスタン各地で亡くなった抑留日本人共同墓地です。


ウズベキスタンの首都タシュケントにある日本人抑留者の墓地      出典:Wikipedia


ウズベキスタン国立応用美術館

 1927年にタシュケントにおいてウズベク・ソビエト社会主義共和国国内の芸術家が集まり展覧会が開催されました。以降、この展覧会は定期的に開催されるようになり、「ウズベキスタン国立展覧会」として開催されるようになりました。

 その後、展覧会で展示される対象は手作りの刺繍工芸、木彫りの彫刻、絨毯、宝石など応用美術の様々な分野へと拡大されてゆきました。

 この展覧会で展示された美術品を集め、ウズベキスタン工芸美術館が1937年7月に設立されました。

 1960年、ウズベキスタン工芸美術館はウズベキスタン応用美術常設展示館へと改名されました。

 1997年、美術館はウズベキスタン共和国文化省の管轄下に入り、ウズベキスタン国立応用美術館へと改名されました。

 館内では、ドゥッピ (Do'ppi) などの伝統衣装の帽子、ネックレスや髪飾りなどの貴金属製品などが展示されています。

 館内は伝統工芸を展示している区画、20世紀に制作された絨毯や帽子などの伝統衣装を展示している区画、現代美術との融合により新たな創作を行なっている作品群のある区画の3つの区画に分かれています。

 館内スペースの関係から7,000点以上の美術品を展示することはできないものの、職人の製作のもと収集品は増加しています。


ウズベキスタン国立応用美術館        出典:Wikipedia


タシケントのその他の観光資源

 タシケントは、1917年のロシア革命で一旦古い町並みが破壊され、さらに1966年のタシュケント地震で古い建物はほとんどが破壊されたため歴史ある建物は数少なくなっています。しかし、タシュケントはソビエト連邦時代に建設されたモニュメントなどの像が多く街に残っています。

 ウズベキスタンの首都、および中央アジア最大の都市ということもあり、観光施設も多くあります。タシュケントタワーは中央アジアで最も高い375メートルの建築物です。

 クケルダシュ・マドラサ、ブハラ・ハン国のアブドゥッラーフ2世 (1557-1598) の治世に建設されたマドラサもあります。

 現在マーワラーアンナフルイスラム会により修復作業が行われている。内部を博物館へと作り変える議論も行われていますが、2013年時点ではモスクとして使用されています。

 チョルスー・バザール、クケルダシュ・マドラサの付近に位置しています。巨大な屋外バザールはタシュケント旧市街の中心的な役割を担っている。想像しうる全ての物が販売されているとされています。

 テリャシャヤフ・モスク (ハスト・イマーム・モスク)には、世界最古のクルアーン (イスラム教の教典) とされるウスマーン写本が置かれています。

 殺害された第3代正統カリフ、ウスマーンの血痕が付着しているとされています。ティムールによりサマルカンドへと持ち帰られたと考えられています。トルキスタン総督府時代に一旦サンクトペテルブルクへと持ち去られたものの、1924年に再びウズベキスタンに返還されています。

 ユーヌス・ハーン廟群、15世紀に建設された3つの霊廟の集合体。19世紀に修復作業が行われています。最大の霊廟はムガル帝国の創始者バーブルの祖父であった ユーヌス・ハーンの墓です。

 アリシェル・ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場。モスクワにあるレーニン廟と同じ設計者であるアレクセイ・シューセフにより設計された。第二次世界大戦の際、シベリア抑留により日本の軍人が多数タシュケントへと連行され、この建物の礎を築いています。

アミール・ティムール広場に設置されていたロシア正教会は1898年に建設されたが、2009年に取り壊されました。また、タシュケント郊外のチャルヴァク湖は行楽地として有名で、マリンスポーツ、ウィンタースポーツを楽しむことができまし。


 上記のように、ナボイ劇場を視察した時点で、すでに夕闇が迫っていました。

 夕暮れの独立広場から見た馬に乗ったティムール像越しに見た国会議事堂は今まで世界の都市で見たことがないほど夢のような景観です。


お月様も参加し、大変幻想的な写真となりました。
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-4


つづく