台所からの地球温暖化対策
〜その実効性を高めるために今自治体に求められていること〜


池田 こみち
環境総合研究所副所

本稿は、月刊「地方議会人」2002年12月号
特集【環境政策と地方自治体】に掲載されたものです


本ホームページの内容の著作権は筆者にあります。複製、転載することを禁じます。

●はじめに
 「21世紀は環境の世紀」と繰り返し言われ続け、新世紀の始まりは循環型社会の幕開けとなることが期待されていたが、わずか2年で先行きがそれほど明るくないことを思い知らされることになった。グローバルからローカルまで、環境問題はますます複雑かつ多様なものとなってきている。各国の政治や経済状況によって思惑が交錯し、問題解決のための合意が得られない。そればかりか、国際協調を無視した一部国家の「孤立主義」が一層難しい状況を作り出している。2002年、国内では、行政や企業のモラルの低下、癒着構造などによって食の安全や環境が脅かされる事件が相次いだ。環境リスクが高まるなか、市民がどのように自らの生活、地域、そして子孫を守るかが問われている。"Think Globally, Act Locally" というキャッチフレーズが言われて久しいが、果たしてそれがどこまで自治体レベルの施策に生かされ、市民に理解されているのか、リオプラス10の2002年の暮れに改めて考えてみたい。

●目標は決められたが
 1992年のリオサミットでは、2000年時点で温室効果ガス(CO2)の排出量を1990年レベルに抑制することが目標として設定されたが、結果はといえば、抑制どころか日本では、1990年に1119.3百万トンだったものが、2000年には1237.1百万トンへと10%近くも増加している(表−1参照)。そして、97年のCOP3で採択された京都議定書では、先進国全体で2008年から2012年の間に90年水準と比べてCO2などの温室効果ガスを平均5.2%(日本6%、アメリカ7%、EU8%)削減するよう義務付けられた。しかし、その国際公約が達成できるかどうか、今のところめどは立っていない。

 1972年、ローマクラブが人類が限りある地球の資源を浪費しこのまま経済成長を追い求めていくなら、資源の枯渇と環境破壊を招き破滅に至るとして「成長の限界」という警告の書を世に問うてから30年、人類は科学技術の進歩に伴って、より明確に地球の病巣・病状を把握することができるようになった。そして、今何をしなければならないか、病の治療方法やリハビリの仕方についても学者から為政者、行政、企業、市民の間での情報の共有化が進められてきたはずである。しかし、地球温暖化については、まったくといってよいほど改善の兆しが見えてこない。気温の上昇、二酸化炭素濃度の上昇、砂漠化の進行・洪水の多発、森林資源の喪失などは着実に進行している。80年代からかなりの予算も投じて取り組みが進められてきたはずの温暖化対策だが、どこに問題があったのか、考えてみる必要がありそうだ。


表−1 主要国の二酸化炭素排出量推移
年 号 二酸化炭素
(CO2)
総排出量
一人当たり
排出量
1990 │ 1119.3  │ 9.06
1991 │ 1138.5  │ 9.18
1992 │ 1148.9  │ 9.23
1993 │ 1136.4  │ 9.11
1994 │ 1194.8  │ 9.56
1995 │ 1208.0  │ 9.62
1996 │ 1219.4  │ 9.69
1997 │ 1219.4  │ 9.67
1998 │ 1191.7  │ 9.42
1999 │ 1232.8  │ 9.73
2000 │ 1237.1  │ 9.75
出所)地球環境保全に関する関係閣僚会議[2002]
*総排出量の単位は[百万トン-二酸化炭素(CO2)換算]、
一人当たり排出量の単位は[トン-二酸化炭素(CO2)換算/人]

●90年代の温暖化対策の政策評価
 日本政府は、1990年10月に地球環境保全に関する関係閣僚会議において「地球温暖化防止行動計画」を決定し、同計画にもとづいて温暖化防止のための各種対策として、省エネルギー、廃棄物の減量化、交通体系の見直し、自然エネルギー・新エネルギーの開発などが推進されることになった。また、97年の京都でのCOP3において京都議定書が採択されたのを受けて、「地球温暖化対策推進大綱」を策定、国から自治体まで一体となって施策を推進してきている“はず”である。たとえば東京都でも1992年5月に「東京都地球温暖化防止行動計画」が、1995年5月に「東京都地球温暖化防止対策地域推進計画」が策定され、それらの計画にもとづいて社会基盤の整備事業として地域エネルギー供給、公共輸送機関の整備、交通の円滑化、資源の有効利用と言った施策が進められている。

 しかし、国や自治体は計画や目標をつくり、施策のメニューは整えたものの、あまり効果が上がっているとは言い難い。中でもエネルギー消費の伸び、CO2排出量の伸びが著しい運輸部門、民生・業務部門の対策が遅れている。国では、比較的CO2削減に前向きな環境省と、産業界を擁護する立場から後ろ向きの旧通産省(現経済産業省)とがことごとくぶつかってきたことが、日本の地球温暖化対策の遅れの大きな原因となっていると思える。

 たとえば、旧通産省は今後、電気需要が年率3%伸びるとする電気事業者の言い分を代弁してエネルギー長期需給見通しや電源開発基本計画など国のエネルギー計画の立案過程で右肩上がりの需要を主張し、結果的にCO2排出量の削減には消極的だった。2000年のCO2の排出水準を1990年の水準に安定化させるという目標を守るためには、民生部門を中心とした野放図なエネルギー消費の増加、なかんずく電気需要を抑制することが急務であったはずだ。その意味で経済産業省は率先して省エネ、自然エネルギー利用を推進するのが当然であり、需要ありきの政策に固執することは本末転倒である。

 しかし、旧通産省は需要抑制政策を進めるどころか、右上がりの供給計画を強引に押し進めてきたのである。実際、1996年秋に開催された第133回の電源開発調整審議会では、約400万キロワットと言う世界でも有数規模の上越火力の立地がCO2排出問題についてまったく議論される事なく承認された(上越火力は2002年10月末、電力需要低迷のため稼働延期が発表されている)。そして、2002年春、経済産業省は、RPSを盛り込んだ「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法案」を政府に提出し、2003年4月に施行されることになっている。これは、本来温暖化対策を進めるために「自然エネルギー」の利用を促進しようというものだが、あろうことか、「新エネルギー」には風力、太陽光、地熱などの自然エネルギーのほか、「その他、石油を熱源とする熱以外のエネルギー」として廃プラスチックなど廃棄物を燃料とした発電を盛り込もうとしていることが大きな問題となっている。これでは自然エネルギーの利用促進どころか、かえって二酸化炭素の排出量を増加させることにもなりかねない。EU諸国では早くから導入された炭素税についても、日本では10年来検討されているが、審議の俎上に上るたびに産業界からの根強い反対で未だに法制度化されていない。今年に入ってようやく経団連会長が炭素税の導入もやむなしとの意向を表明し、再度本格的な議論に入ってはいるが、根幹的な政策導入が大幅に遅れたことは間違いない。

 このように、国の政策は国民にとって非常にわかりにくいばかりでなく、矛盾に満ちており、およそ本気で温暖化対策を進めようとしているようには見えなかったことが大きな問題と言える。国の方針を受けた自治体の対策も総じて国民や事業者に省エネ努力を求めるキャンペーン型の施策が中心であり、とうてい効果を上げられるようなものではなかった。90年代の我が国の主な温暖化政策を列挙すれば、次のようなものである。@各種省エネ・省資源対策、キャンペーン(アイドリングストップや環境家計簿運動、グリーン購入の推進など)、A自動車の利用抑制/公共交通利用推進対策、キャンペーン、B自転車利用の推進や1日1万歩キャンペーン、C自然エネルギー利用促進対策(太陽光発電や太陽熱利用への補助や風力発電の推進など)、D原発立地推進(稼働中の原子力発電所からはCO2の排出量が少ないため)、E道路網整備の促進(渋滞が減れば自動車からのCO2の排出量が減るという理由から)、F緑化推進対策(植物はCO2を吸収することから)などであり、政策全体としての統一性を欠き、わかりずらいものとなっている。そればかりか効果が上がらないものであることが最大の問題である。

●これからの対策
 我が国の90年代の温暖化対策はまさに、「失われた十年」といわれても仕方がない。しかし、2001年11月のCOP7マラケシュ合意により、京都議定書の発効は現実的なものとなり、2008年からの5年間の第1約束期間、引き続く第2約束期間へ向けて、政府はそれまでの期間を助走期間としてより有効な対策を講じようとしている。その決意はよしとするが、当然、前世紀末の対策がいかに不十分かつ非高率なものであったかについて十分な政策評価に基づく施策の見直しが必要である。特に自治体にあっては、地球温暖化のリスクが一般市民にとってどのようなものなのか、現状はどこまで深刻な状況なのかについて、リスクコミュニケーションに努めるとともに、単なる環境政策としての温暖化対策ではなく、全行政的な対応を総合的に展開していくことが求められている。すなわち、先に述べたような念仏的な省エネ・省資源努力を繰り返し唱えるだけでなく、知事や市町村長など首長がまずはっきりとした地球環境問題に対する認識を表明し、税財政対策、都市・交通政策、産業政策、エネルギー政策、消費者政策、福祉政策などすべての政策分野に環境対策を基本とした施策を組み込むことが求められている。基本となる施策メニューは以下に示すとおりである。


 @より有効なCO2の排出総量規制の導入、A自主努力・技術革新の加速化、B炭素税・補助金など経済的インセンティブの有効活用、C森林・農地等での吸収促進のための農林政策の大幅見直し、D焼却主義に偏した廃棄物対策の抜本的な見直し、E京都メカニズムの自治体での活用に向けての取り組み(排出量取引(Emission Trade)、共同実施(Joint Inplementation)、クリーン開発メカニズム(CDM))などである。これらの施策を戦略的に構築することにより、全体として温室効果ガスの排出削減と自然エネルギーの利用を促進していくことがはじめて可能となる。

 特に自治体においては、市民や事業所による小さな排出削減努力の積み重ねが地球温暖化対策として有効であることを適切に解析評価し、その努力がさらに継続し広がっていくようなきめ細かい施策のフォローが不可欠となる。「台所からの地球環境対策」は確かに重要ではあるが、一人ひとりの市民や消費者、個々の事業所にそれを求める以上、都道府県や市町村としての施策がどこまでしっかりと組み立てられているか、また行政自身が事業所として模範を示しているかが問われている。ドイツのフライブルグやオーストラリア・ニュージーランドの自治体では、EUあるいは国の目標とは別に市町村長が二酸化炭素の排出削減目標やゴミの排出削減に向けて独自のチャレンジングな政策目標を掲げ、その達成に向けて市民も一丸となって取り組みを進めている。市民に単に日常生活レベルでの省エネ・省資源努力を求めるだけでなく、市民や事業者の知恵を生かせる施策の展開が必要な時代であり、そのためにも首長のリーダーシップが問われている。国の施策に準じていればよいという時代は終わったと考えるべきである。

 京都議定書の発効を目前に、まずは足下からこれまでの温暖化対策を見直して、より積極果敢な施策の展開を行っていくべき時ではないだろうか。その際、市町村においては、「台所からの地球環境対策」「Think Globally, Act Locally」が単なるお題目ではなく、本当に市民が動くための情報の共有化、政策立案プロセスへの市民参加の推進などからやり直す必要があるだろう。

 今まさに、京都議定書の議長国日本の役割が問われている。世界の二酸化炭素排出量の第4位に位置する日本が国際的にどのような役割が果たせるかは、日本自身がどれだけ日本に課せられた目標をしっかりと達成できるかに他ならない。科学的には、先進国の削減目標量が仮に達成できたとしても地球温暖化は決して問題解決に至るどころか、それはほんの一歩に過ぎないことを改めて認識すべきである。


参考文献:
・環境総合研究所編、新台所からの地球環境、ぎょうせい、1998年5月1日初版

・池田こみち、Going It Alone:Problem with the Japanese Govoernment's Decision-making in the  run up to Kyoto, Turning Up The Heat, 環境行政改革フォーラム編集発行、1998年5月

・地球環境問題と地域の対応を考える、Regional Policy Review, 2002 No.2, Vol.8、政策投 資銀行地域政策研究センター発行、2002年8月

・青山貞一、環境行政に通算のエゴ、読売新聞、1997年2月7日朝刊「論点」


注)「成長の限界」
 1972年、ローマクラブが発表した報告書。ローマクラブがマサチューセッツ工科大学のデニス・メドウズ助教授らに委託した研究の成果をまとめたもの。人口増加や環境悪化などの現在の傾向が続けば100年以内に地球上の成長は限界に達すると警鐘を鳴らし、地球の破局を避けるために、成長から世界的な均衡へと移っていくことの必要性を訴えた。地球環境問題の原点を論じたとも言える先駆的な報告で、その果たした役割は大きい。

注)RPS
 Renewables Portfolio Standard(再生可能エネルギー証書制度)の略。欧州などで導入の実績がある。